第6話 錆びた古剣
レイは覗き込むように膝をついた。
湿った土が、服の膝にじわりと染み込む。冷たさが布越しに伝わってきたが、気にしない。
紫雷がそこまで伝わっていった。
(なんだろう)
レイはそれを確かめようと瓦礫をどかしながらいったん、止まった。
黒ずんだ木材は、見た目よりも崩れやすそうだった。少し触れただけで、ぼろぼろと端が欠ける。錆びた工具の先は赤茶け、どこまでが鉄で、どこからが土なのか分からない。
不用意に動かせば、奥の瓦礫が崩れるかもしれない。
ミアの声が、一瞬だけ頭をよぎった。
「無理をしないこと」
レイは唇を結んだ。
ここは、廃坑の深い場所ではない。浅層の脇にある、崩れた倉庫跡だ。
急に崩れる事はないだろう。
天井のどこかで、水滴が落ちた。
ぽたり、と小さな音がして、古い木材の隙間に吸い込まれていく。
目の前の腐った板にそっと触れる。
力を入れすぎないように、ゆっくり横へずらす。
板の裏側には、細かな噛み跡が残っていた。鋭い歯で削られたような跡が、木の縁にいくつも並んでいる。鉱石鼠のものだろうか。支柱や工具をかじるという話を、ロウエンかエマから聞いたことがあった。
この場所は、思っていたよりも脆いかもしれない。
レイは慎重に木材をどけた。
湿った瓦礫や木の板の中に、金属の芯のようなものを見つけた。
(これじゃない)
もう少し奥。
レイは瓦礫の隙間に手を入れた。
湿った土が爪の間に入り込む。腐った布切れが指に絡み、思わず手を引きかけた。触れたくない感触だったが、レイは小さく息を吐いて、布切れを横へ寄せる。
その時、足元の小石がかすかに動いた。
レイは動きを止めた。
暗がりの奥で、小さな影が走る。鼠のようにも見えたが、背中に硬い石片のようなものが混じっていた。影は一度だけこちらを見たように止まり、すぐに廃坑の奥へ行ってしまった。
(こっちに来なくて良かった)
レイは、しばらくその場にしゃがんだまま、耳を澄ませた。
水滴の音。
遠くで石が落ちる音。
天井の闇が、かすかに揺れる気配。
薄羽蝙蝠の羽音が遅れて降ってきて、また静けさに戻る。
廃坑には魔獣が生息しているという事を改めて意識させられた。
レイはもう一度、瓦礫へ目を戻した。
両手で、周りの木片をどける。無理に引っ張らず、一本ずつ外す。腐った板が軋み、湿った土が崩れた。
手の甲に、尖った木片が刺さる。
(痛)
思わず声が出そうになった。
見れば、切り傷がができていた。大した傷ではない。レイは一度だけ手を握り、すぐにまた瓦礫へ伸ばした。
今、手を止めたくなかった。
奥から、灰黒い金属が見えた。
最初は、ただの長い鉄片に見えた。
土に半分埋もれ、錆に覆われている。レイは両手でそれを掴み、ゆっくりと引き出した。
思っていたより重い。
土が剥がれ、湿った布切れが落ちる。
出てきたものを地面に置いた時、レイはようやく、それが剣の形をしていることに気づいた。
古い剣だった。
反りのある片刃の剣。
(ボロボロだけど、かっこいいかも)
剣身は灰黒く錆びつき、刃こぼれや細かな傷が多い。赤茶色の錆、黒ずんだ金属、長年放置された汚れが重なっている。
柄には乾いた古革が巻かれているが、ところどころ破れ、繊維がほつれている。
鍔は華美な装飾ではなく、実用的で、年季の入った暗い金属感がある。
剣身の内側には、細い線のようなものが見える。
宝石も、紋章も、細工もない。
ただ、鍔の片側にだけ、消えかけた細い傷があった。
屋敷へ持ち帰って見せれば、きっとエマはこれはなんですかと驚くかもしれない。ロウエンなら、古い鉄屑でございますね、と静かに言うかもしれない。
父なら、屋敷にあるもっと良い武器を使いなさいと言うだろうか。
レイは古剣を持ち上げた。
(あまり良く切れそうには見えないな)
これで魔獣と戦えば、きっとレイの方が先に怪我をする。刃は欠け、柄は傷み、まともな剣として使えるかどうかも分からない。
レイはそっと指を伸ばした。
鍔の細い傷に、指先を近づける。
(試しに紫雷を通してみるか)
さっき瓦礫の奥を探った時と同じように、ただ細く、隙間を探すように。
ぱち。
紫雷が、鍔の傷に触れた。
次の瞬間、錆の表面で消えるはずだった光が、消えなかった。
刃の奥へ、細い線がひとつ現れた。
欠けた刃の内側に、紫の光が一筋だけ浮かんだ。
それは本当に、一瞬だった。
今のは、何だったのだろう。
魔法が発動した、というには何も起きていない。なにも何も変わった事はなかった。
ただ。
紫雷が、少しだけ剣に伝わった感じがした。
もう一度。
指先に紫雷を灯す。
今度は、さっきよりも慎重に、鍔の傷から刃の方へ細く伸ばした。
ぱち、と音がして、紫電は錆の表面で散った。
レイは瞬きをする。
もう一度、角度を変える。
今度も、紫電は途中で途切れた。
古剣は黙ったままだった。
レイは少しだけ肩を落とした。
やっぱり、偶然だったのかもしれない。
レイは古剣の刃を見下ろした。
それでも他の金属よりは紫雷を通しやすい気がする。
レイは、古剣の欠けた刃にもう一度だけ紫雷を近づけた。
ばち、ばち
刃の先まで少し伸びてすぐ消えてしまった。
(やっぱりコントロールが難しい)
(刃に紫雷を通せればかけた刃の代わりになるかも思ったのに)
レイはひとまず、魔力制御の練習を頑張ろうと考えた。
古剣についた土を、袖でそっと拭う。錆は落ちなかった。布に赤茶けた跡がついただけだった。
レイは持ってきていた古い布を広げた。
もともとは、廃坑で拾った金属片を包むためのものだった。汚れてもよい布で、端は少しほつれている。そこへ古剣を置く。
剣に見えない。
欠けた刃が布を破らないように、柄の傷んだ部分に指を引っかけないように、一つずつ確かめながら包む。
その時、天井の奥で羽音がした。
薄羽蝙蝠が動いたのだろう。遠くで小石が転がる音もした。
(僕じゃ一度にたくさん相手にできない)
(襲われたら大変だ、帰ろう)
レイは布に包んだ古剣を抱え、立ち上がった。
レイは廃坑の入口へ向かって歩き出した。
入口から差す光が、少しずつ近づいてくる。
冷たい廃坑の空気が背中に残り、外の朝霧の匂いが前から流れ込んできた
レイは古剣を抱えたまま、霧の中へ一歩踏み出した。
ここまで読んでいただき頂きありがとうございました。




