第57話 足場
杖を持つ影が、ゆっくりと腕を持ち上げる。
その瞬間、周囲の空気が一斉に引き寄せられた。
黒い床に散っていた砂埃が浮き上がり、渦を巻く。透明な空気が圧縮され、球状に揺らいでいた。
(火球をよく見て……違う)
レイは目を見開いた。
(火球じゃない!?風球だ!!)
しかも、一つではない。
影の前に、圧縮された風の球が六つ並んでいた。球体の周囲では空気が絶えず震え、近くの砂埃を細かく巻き上げている。
(六つも……!?)
杖の先が、振り下ろされる。
次の瞬間、風球が放たれた。
低い唸りが、遅れて空間を震わせる。
一つ目が迫る。
レイはすぐさま左足の裏へ魔力を通した。
左へ踏み込んだ直後、風球が頬のすぐ横を通り抜けた。強い風圧に髪が大きく揺れ、身体が半歩押し戻される。
間髪入れず、二つ目が来た。
今度は右足へ魔力を流し、反対側へ跳ぶ。
風球が背後の床へぶつかった。
爆発はしない。
圧縮されていた空気が一気に広がり、床の砂埃を大きく巻き上げた。その余波が背中を押し、レイの身体が前へ流れる。
(速い……!)
三つ目が正面から迫っていた。
レイは考えるより先に、身体を捻った。
風球が肩の横を通り過ぎ、強い風が服を大きく膨らませる。足元が揺らぎ、体勢が崩れかけた。
「……っ!」
四つ目。
レイは両足へ魔力を流し、後方へ跳ねた。
身体が宙で反転する。
風球は、逆さになった視界の下を通り過ぎていった。
着地した瞬間、膝が沈む。
五つ目が来る。
立ち上がる時間がない。
レイはそのまま床へ身を投げ、肩から転がった。頭上を風球が通過し、巻き起こされた風が耳元で唸る。
転がった勢いを利用し、レイはどうにか身体を起こした。
その正面に、六つ目が迫っていた。
「――!」
レイは床を蹴った。
両脚に魔力通し、大きく跳び上がる。
風球は足元を抜け、遠くの床へ衝突した。広がった空気で砂埃が舞い上がり、黒い空間が一瞬だけ白く霞む。
六つ。
すべて避けた。
(避けられた……!)
そう思った直後、レイは自分が空中にいることに気づいた。
足場がない。
身体は、重力に伴って落下する。
(空中では回避ができない!?)
その時、杖を持つ影が、まだ腕を下ろしていないことに気づいた。
影の前で、空気が再び圧縮される。
新たな風球が生まれた。
(え!? 七つ目!?)
落下するレイへ向けて、風球が放たれる。
身を捻る。
足へ魔力を通そうとする。
だが、空中では何もできない。
風球が胸元へ直撃。
圧縮された風が、そこで一気に広がった。
まるで見えない壁に正面から押し潰されたような衝撃が、全身を突き抜ける。
「っ……!」
肺から息が押し出された。
身体が大きく吹き飛び、背中から黒い床へ叩き落とされる。
どん、と鈍い衝撃が響いた。
「っ、ぅ……!」
視界が白く弾ける。
背中と肩に重い痛みが走り、指先が痺れた。息を吸おうとしても、胸がうまく動かない。
受けた衝撃と、落下した痛みで視界がブレる
レイは床に手をついた。
両脚に力が入らない。
それでも、倒れたままでいるわけにはいかなかった。
歯を食いしばり、震える膝を立てる。何度も息を吸おうとして、喉の奥から掠れた音だけが漏れた。
(追撃は……?)
杖を持つ影は、動いていなかった。
ただ、レイが立ち上がるのを待っている。
レイは痛む胸を押さえながら、ゆっくりと身体を起こした。
指先で、紫電が小さく弾ける。
(まだ行けるっ!)
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