第32話 見送り
出発の朝は、よく晴れていた。
領主館の前に、馬車が停まっている。荷はもう積み終わっていた。
毎朝あの訓練場にいた二人が、今日でいなくなる。
見送りには、思ったより人が集まった。
ガルドが前に出て、短く礼を述べる。ザックは恐縮しながら、何度も頭を下げていた。
「皆さん」
最後に、ザックが訓練生たちの前に立った。
「教えられることは、全部教えました。……というのは嘘ですね。教えきれなかったことの方が、ずっと多い」
「でも、きっかけは与えたつもりです。あとは、続けるだけです。それが一番難しいことも、知っていますが」
「先生ーっ!」
カイが手を挙げた。
「なんか記念にください!」
「記念って、あなたね……」
ザックは呆れた顔をした。それから少し考えて、鞄から革袋を一つ取り出した。
中身は、あの白い石だ。
「……一つくらい、なくしたことにしておきます」
いたずらっぽく笑って、ザックはカイに革袋を渡した。
「共用ですよ。皆さんで、使いなさい。使い方は——もう、教えましたね」
「よっしゃ! ありがとう先生!」
カイは革袋から白い石を取り出すと、さっそく光にかざした。表面の紋様を、じっと眺めていた。
「……これ、どうやって作ってんだろうなあ」
その呟きは、誰にも聞こえなかった。
ザックは頷いて、馬車のほうへ歩いていく。
アイは、もう馬車の横に立っていた。
カイが「先生、元気で!」と声を張り、アイは頷いた。
レイと、目が合った。
そして、木刀を持つ手の形を——握りの形を、一度だけ、作ってみせた。
(……っ)
レイは、背筋を伸ばして、深く一礼した。
顔を上げたときには、アイはもう馬車に乗り込んでいた。
車輪が、回り出す。
馬車が街道の向こうに小さくなって見えなくなるまで、みんなで手を振っていた。
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「なあ。先生たちが帰ったあともさ、俺ら、ほんとに続けられるかな」
「続けるって、決めたじゃないか」
「そうだけどさあ」
カイは頭の後ろで手を組んで、空を見上げた。
「『始め』『終わり』って言ってくれる人が、いなくなるんだぜ。あれ、地味にでかいと思うんだよな」
レイは、少しだけ黙った。
素振りの千回を数えるのは自分自身だ。でも、終わりを告げるのはいつもアイ先生だった。始める時間を決めるのはザック先生だった。続けることの半分は、あの二人がやってくれていたのかもしれない。
「……じゃあ、僕が言うよ」
「え?」
「『始まりも終わりも』。僕が数えて、僕が言う。カイの分も」
カイは、きょとんとした顔でレイを見た。それから、ぶはっと笑った。
「なんだよそれ。……ん、頼んだ」
手を振って、カイは鍛冶場のほうへ歩いていった。
⬜︎
翌朝、訓練場には八人が集まった。
先生はいない。それでも、いつもの時間に、いつもの場所に。
(——僕が数えて、僕が言う)
あの日、カイに約束した言葉だ。
レイは息を吸って、声を出した。
「素振り、千回。——始め」
自分の声は、思ったより小さかった。アイ先生の声とは、比べものにならない。それでも、七人が構えた。
三日目、六人になった。
五日目、五人。
農家の次男は畑が忙しくなった。行商人の子は商売の手伝いに戻った。それぞれに、それぞれの生活がある
十日目の朝。
空はまだ薄暗い。訓練場には、四つの影があった。レイ、カイ、レン——それからメル。
「……なんか、これで固定っぽいな」
カイが木刀を握って、誰にともなく言った。
誰も返事をしなかった。その通りだったから。
レイは、訓練場の中央を見た。
いつもアイが立っていた場所。
ザックが皆んなに教えていた場所
訓練場の中央をボーッと眺めているとふと、ザックが言っていた事を思い出した。
(——続けるだけです。それが一番難しいことも、知っていますが)
先生の言った通りだった。続けることが、一番難しい。だから、ここにいる三人のことを、レイは少しだけ、誇らしく思った。
いったん、深呼吸してから木刀を構える。
「素振り、千回。——始め」
訓練場に、風を切る四つの音と、数を数えるレイの声が響いていた。
数えながら、レイは思った。
この千回の先に、あの光景がある。光が出たところを、切ればいい。魔力は、要らない。自分が納得するまで、続ける。
(——今日から、始まりだ)
朝の光が、訓練場の端から差し込んでくる。
四つの影が、長く伸びた。
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