表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/31

ザックの憂鬱

湯浴みを終えて、ザックは廊下を歩いていた。


ヴェイル領に来て、まだ数日。辺境の訓練指南と聞いて、正直、期待はしていなかった。王都の同僚たちには「貧乏くじですね」と笑われた。自分でも、半分はそう思っていた。


——存外、悪くないんですよね。

領主のガルド殿は無口だが、誠実な人だ。食事も宿も、丁寧に整えてくれている。訓練に集まる子たちも、素直でみんな一生懸命だ。


それに。

——あの子が、いる。

レイ君。領主家の次男。

思い出すのは、白い石を包んだ、あの淡い紫の膜だ。薄く、均一で、まったくブレがない。あの歳であの精度は、王都の魔法学院でもそうは見ない。


——コントロールだけなら、本当に。

だけなら、だ。


ザックは小さく息を吐いた。あの子の魔力量は、あまりにも少ない。才能の器と中身が、これほど釣り合っていない子も珍しい。


廊下の角を曲がったところで、当のレイ君と、ばったり出くわした。


「おや、レイ君」


「ザック先生。あの、今日はありがとうございました」


「いえいえ。体はどうですか」


「まだ、ちょっと重いです」


「でしょうね」


今日の身体強化で、この子は文字通り空になるまで走った。あの小さな魔力を、最後の一滴まで。無茶をする子だ、とは思う。だが、嫌いではなかった。


ふと、聞いてみたくなった。


「レイ君は、何か目標はありますか?」


「え?」


「魔法を学んで、何がしたいか。聞いてみたくなりまして」


レイ君は少しだけ迷ってから、口を開いた。

「……外の世界に、行ってみたいです」

「外の世界」

「ヴェイル領の外です。いろんな場所を、自分の足で歩いてみたい。ずっと、そう思ってました」


——ああ。

ザックは、すぐに返事ができなかった。

そういう目をする子だとは、思っていた。訓練場の隅で、いつも遠くを見ている。的よりも、その先を。

「……そうですか」


外の世界は、この子が思っているより、ずっと危ない。


魔獣が出る。盗賊も出る。街道を外れれば、飢えも渇きもある。そして荒事になったとき、最後にものを言うのは、結局のところ魔力の量だ。制御の技術は、魔力が空になった瞬間に意味を失う。


今のレイ君の魔力量では、盗賊や魔獣と戦うのは難しいと思う。

護衛を連れていれば大丈夫だとは思うが、ヴェイル領がそんなに金銭面で豊かだとは思えない。


——背中を、押してやりたいのですが。


才能は、ある。目も、いい。けれど。

——この子は優しい子です。死んでほしくない。


止めるべきか。夢を語る十二歳に、「あなたには無理です」と言うべきか。それとも笑って「いいですね」と流すべきか。困りましたね。


「ある程度は、戦えないといけませんね」


気づけば、そんな言葉が口から出ていた。


「……どんな修行をすればいいんですか?」


レイ君の目が、真っ直ぐにこちらを見ていた。


——ああ、この目です。困るんですよね、この目は。

嘘のない目で聞かれると、こちらも何か、ちゃんとしたことを言わなければいけない気になる。そして、こういう時に限って。


「そうですね……王都の騎士団では、訓練で腕が飛ぶことがあります」


——出た。


「え」

「それでも、すぐに魔法で繋いで、続きをやるんです。そのくらいの修行を積んで、ようやく外を歩ける、というところでしょうか」


——出ましたよ、私の悪い癖。

腕が飛ぶ事故は、年に一度あるかないかだ。しかも繋いでそのまま訓練を続けた者など、あの脳筋騎士団長くらいしか知らない。


訂正するなら、今だ。今しかない。

「……そう、なんですね」


レイ君は、真剣な顔で頷いていた。

「え、ええ。まあ、あくまで王都の話ですが」


——訂正、できませんでした。


「ありがとうございます。おやすみなさい、先生」


レイ君は深く一礼して、自室のほうへ歩いていった。その背中は、来た時よりも真っ直ぐに見えた。

ザックは、その場に立ち尽くした。


——なぜ、あんな話をしたんですか、私は。


怖がらせて諦めさせたかったのか。それとも、発破をかけたかったのか。自分でも、分からなかった。

ただ一つ分かるのは、あの子はたぶん、今の話を真に受けたということだ。あの真っ直ぐな目は、そういう目だった。


……まあ。


ザックは、のろのろと歩き出した。

——あのくらいの覚悟がないと、外は歩けない。それ自体は、嘘ではありませんし。


言い訳のように、心の中でそう呟く。


——それに、あの子の場合。


魔力が少ないなら技術で生き延びるしかない。だとすれば、常識的な基準で修行をしていては、きっと足りないのだ。


——腕が飛んでも続けるくらいの基準で、ちょうどいいのかもしれませんよ。ええ。


そうやって自分を納得させながら、ザックは自室の扉を閉めた。


その夜、彼が寝つけたのは、だいぶ遅くなってからだった。


ここまで読んで頂きありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ