市場での出会い
冒険者ギルドを出た頃には、昼の日差しが石畳を明るく照らしていた。
ケンジは手の中の鉄の冒険者証を何度も眺める。
「これで……僕も冒険者なんですね」
「駆け出しのな」
レオナが歩きながら答える。
「だが身分証としては十分使える。もう町を歩いていて怪しまれることもない」
ケンジは胸をなで下ろした。
異世界へ来てから初めて、「この世界で生きていける」という実感が湧いた。
先ほどギルドで売ったのは、魔猪の魔石と牙だけ。
査定はすぐに終わり、受け取った銀貨は当面の生活には困らない程度になった。
無一文のケンジにレオナは「出会った記念に」と魔猪の代金を全額渡してきた。最終的にしばらく食事を無料で提供するという形でなんとか納得してもらった。
「さて」
レオナが立ち止まる。
「宿を探すか?」
「その前に、一つお願いがあります」
「なんだ?」
「市場へ行きたいです」
レオナは半ば予想していたように笑った。
「やっぱりな」
「この世界の食材を見てみたいんです」
「料理人らしい」
そう言って歩き出した。
市場は想像以上の賑わいだった。
「安いよ!」
「朝採れだ!」
「新鮮な魚だよ!」
威勢の良い声が飛び交い、人々が肩をぶつけ合いながら歩いている。
ケンジは目を輝かせた。
「すごい……」
見たことのない野菜。
青紫色の芋。
赤色の玉ねぎ。
銀色に光る豆。
料理人としての好奇心が止まらない。
「これは何ですか?」
「ルーン芋だ」
「こっちは?」
「太陽玉ねぎ」
「へぇ……」
店主に話を聞きながら、一つひとつ籠へ入れていく。
レオナは呆れたように笑った。
「肉は見ないのか?」
「肉はまだ保存がきかないんで運良く獲れれば……。でも野菜ならなんとかなりそうです」
「……それにしても野菜ばっかり……。料理人というのは分からん」
その時だった。
「きゃっ!」
少し離れた場所から女性の悲鳴が聞こえた。
二人は同時に振り向く。
一人の少女が尻もちをついていた。
年齢は十六、七歳ほど。
質の良いワンピースを着ているが、装飾は控えめで、一見すると裕福な商人の娘にも見える。
しかし、その少女の目の前には、木カゴから転がり落ちた赤い果実が散らばっていた。
そこへ一人の男が近づく。
「お嬢ちゃん、そのローズアップルはもう売り物になんねぇ!全部買い取ってもらうぜ」
露店の男だった。
「滅多に手に入らねぇ高級品だ。一個銀貨五枚で全部買っていきな」
少女は困ったように果実を見る。
「そ、そんな!高過ぎます!」
その瞬間だった。
「待ってください!」
ケンジが思わず声を上げた。
露店の男が振り返る。
「なんだ?」
ケンジは赤い果実を手に取った。
頭の中へ自然と知識が流れ込む。
――ブラッドアップル。
毒がある。
特に種子に猛毒があり、砕けば全体へ毒が回る。
食用不可。
「これは食べられません」
「……何?」
「これはブラッドアップルです!種子に猛毒がある!」
男の顔色が変わった。
「で、でたらめ言うな!」
「いえ、本当に危険です!」
ケンジは静かに首を振る。
「では僕が一つ買い取ります。食べてみてください!」
周囲の人々も集まり始める。
「本当か?」
「そんな果物だったのか?」
露店の男は舌打ちすると、果実を乱暴にカゴへ戻した。
「……ちっ」
そのまま荷物を抱え、足早に去っていく。
残された少女は呆然としていた。
「た、助かりました……」
深々と頭を下げる。
「騙されるところでした」
「いえ、たまたま知っていただけです」
ケンジは苦笑した。
「お怪我はありませんか?」
「はい」
少女は立ち上がろうとする。
すると、人混みの中を一台の荷車が勢いよく曲がってきた。
「ど、どいてくれー!」
御者の叫び声。
少女は足をもつれさせ、その場で固まってしまう。
次の瞬間。
レオナが動いた。
「こっちだ!」
少女とケンジの腕を掴み、一瞬で自分の方へ引き寄せる。
荷車はすぐ横を轟音とともに走り抜けていった。
「……っ」
少女は青ざめたまま言葉を失う。
「大丈夫か」
レオナが静かに尋ねる。
「は、はい……」
少女は震えながら頷いた。
「ありがとうございました……」
「レオナさん、助かりました……」
レオナは何事もなかったように手を離す。
「気を付けろ。市場は人が多い」
「はい……」
「すいません……」
そして少女は改めて二人へ頭を下げた。
「お二人とも、ありがとうございました。是非、何かお礼をさせてください」
「必要ない」
「僕も大丈夫だよ」
レオナは即答する。
「ですが……」
少女は困ったようにケンジを見る。
ケンジは少し考えてから笑った。
「それなら、今度僕の料理を食べてください。この町で最初のお客さんとして」
「料理……ですか?」
「はい」
「でも、お店は……?」
ケンジはレオナと顔を見合わせる。
レオナが小さくため息をついた。
「店はある」
「え?」
「あるにはあるが場所が決まっていない」
少女は首をかしげる。
「明日また同じ時間にここに来てください」
ケンジは微笑んだ。
「きっと、食べたことのない料理をご馳走できますから」
少女はぱっと表情を明るくする。
「本当ですか!」
「はい」
「では、ぜひ!」
そう言って嬉しそうに一礼すると、護衛らしき人物に呼ばれ、小走りで去って行った。
その後ろ姿を見送りながら、レオナがぽつりと呟く。
「……あの娘」
「知り合いですか?」
「いや」
レオナは目を細めた。
「だが、あの立ち居振る舞い……ただの町娘ではないな」
ケンジは気付いていない。
あの少女こそ、リーベル辺境伯が溺愛する一人娘――エミリア・フォン・リーベルであることを。
そしてその出会いが、異世界食堂の最初の大きな縁になることを、まだ誰も知らなかった。
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