人生で1番美味しい料理
ケンジは外へ出て魔猪の亡骸の前へしゃがみ込んだ。
「うん、大丈夫」
「何をする気だ?」
「解体します」
レオナは眉をひそめた。
「……できるのか?」
「分かりません。でも、やれる気がするんです」
自分でも不思議だった。
頭の中には、さっき流れ込んできた知識が鮮明に残っている。
どこへ刃を入れるか。
どの順番で骨を外すか。
どこに魔石があり、どこに血が溜まるのか。
まるで何百頭もの魔猪を捌いてきたかのようだった。
「短剣を貸していただけますか?」
「……傷を付けるなよ」
レオナは腰の短剣を手渡した。
ケンジは深く息を吸う。
(いける)
自然と刃先が動いた。
首元から胸へ。
無駄なく一直線に刃が走る。
「……!」
レオナの目が見開かれる。
皮だけを裂き、肉はほとんど傷付けていない。
そのまま皮を剥ぎ、筋を断ち、関節へ刃を滑り込ませる。
コキリ、と小さな音。
骨が綺麗に外れた。
「そんな馬鹿な……」
レオナは思わず声を漏らした。
狩人でもここまで鮮やかには捌けない。
肉を傷付けず、骨にほとんど肉を残さない。
まるで長年の職人だ。
ケンジ自身も驚いていた。
(勝手に手が動く……)
迷いがない。
考えるより先に身体が最適な動きを選んでいる。
やがて大きなロース肉が姿を現した。
さらに肩肉、もも肉、バラ肉と、部位ごとに丁寧に切り分けていく。
「ここにさっきの魔石があったのか……」
スキルの知識が教えてくれる。
魔力を蓄える器官。
傷付ければ価値が落ちる。
だから魔石を包む膜ごと慎重に取り出すのが正解だと。
「どうやら魔石は膜ごと取り出す方が良いみたいです。その方が価値が高いと」
「そうなのか?」
レオナが呆然と呟く。
「い、いえ……知っていたというか……今、分かったというか……」
説明できない。
だが確かなことが一つだけある。
目の前にあるのは魔物ではない。
料理人にとっては、極上の食材だった。
「これは……絶対に美味しくできます」
ジュワァァァッ――。
たっぷりの油へ、パン粉をまとった魔猪がゆっくりと沈んだ。
黄金色の泡が一斉に弾ける。
店内へ心地よい揚げ音が響いた。
「魔猪を……揚げている?」
レオナは目を丸くする。
「はい」
ケンジは油の中を覗き込みながら微笑んだ。
「この料理は、2回に分けて油で火を入れるんです。1回目はじっくり、2回目はカラッと」
白い衣が少しずつ色づいていく。
小さな泡は次第に細かくなり、油の音も変わっていく。
「音が変わった……?」
「もうすぐ揚がります」
ケンジは一本の菜箸で肉を持ち上げた。
衣は美しい黄金色。
表面には細かな凹凸ができ、見るだけでサクサクとした食感を想像させた。
「これが……魔猪なのか」
さっきまで血だらけだった肉とは、とても思えない。
香ばしい香りが店いっぱいに広がる。
レオナの腹が、また小さく鳴った。
ケンジは包丁を取り出す。
ザクッ。
軽快な音とともにトンカツを切り分ける。
断面から透明な肉汁がじゅわっと溢れた。
「……!」
レオナは思わず息を呑む。
さらに千切りにしたキャベツを添え、ご飯を盛り、味噌汁を添える。
最後に濃厚なソースをたっぷりとかけた。
「完成です」
香ばしい匂いが鼻をくすぐり、空腹が刺激される。
ぐぅぅ……。
先ほどより大きな音が腹から鳴った。
ケンジは何も言わない。
レオナは理解できなかった。
肉は焼くだけで食べるもの。
塩を振るだけでも贅沢だ。
なのに、この男は肉のためだけに、これほど手間をかけている。
「冷めないうちにどうぞ」
「あ、ああ……」
湯気が立ちのぼり、食欲を刺激する香りが店いっぱいに広がった。
「助けていただいた、お礼です」
レオナは目の前の料理を見つめた。
これが、魔猪。
あの臭くて硬いだけの肉。
信じられなかった。
フォークを手に取る。
恐る恐る刺してみると、抵抗はほとんどなかった。
「柔らかい……」
断面から肉汁がゆっくりとあふれ出す。
小さく切り分け、口へ運ぶ。
一口。
その瞬間だった。
「――っ!」
噛んだ途端、肉汁が口いっぱいに広がる。
臭みはない。
噛むほどに濃厚な旨味があふれ、カリカリのパン粉をソースの甘みが優しく包み込んでくる。
今まで知っていた魔猪ではない。
同じ食材とは、とても思えなかった。
「……おいしい」
思わず言葉が漏れる。
もう一口。
また一口。
気付けば夢中でフォークを動かしていた。
「そんなに急がなくても、誰も取りませんよ」
ケンジが苦笑する。
その言葉でようやく我に返った。
「す、すまない」
だが、手は止まらない。
止められなかった。
熱い。
柔らかい。
香ばしい。
ただ腹を満たすだけではない。
胸の奥まで温かくなるような味だった。
戦場にいた頃。
詰所へ帰っても待っていたのは固い干し肉と冷めたスープだった。
戦いに勝っても、負けても、食事は変わらない。
だから、食事とは生きるためのものだと思っていた。
――違った。
料理は、人を笑顔にするものだった。
目の前の青年は、それを知っている。
「……参ったな」
レオナは小さく笑った。
「何ですか?」
「お前の言った通りだ」
「?」
「人生で一番、美味しい料理だ」
その一言に、ケンジは心から嬉しそうに笑った。
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