最初のお客様
カラン――。
優しいベルの音が店内へ響いた。
木製の扉がゆっくりと開く。
「こ、こんにちは……」
恐る恐る顔を覗かせたのは、昨日市場で助けた少女だった。
淡い水色のワンピース。
今日は昨日よりも質の良い服を着ているが、それでも目立ち過ぎないよう控えめな装いをしている。
後ろには年配の女性が一人。
付き人だろうか。
店の外で静かに待機していた。
「いらっしゃいませ」
ケンジは自然と頭を下げた。
(レオナさんは例外として異世界へ来て初めての、お客様。)
その一言を口にした瞬間、不思議と胸が熱くなる。
「こちらへどうぞ」
少女は少し緊張した様子でカウンター席へ腰掛けた。
店内をきょろきょろと見回す。
「素敵なお店ですね……」
「ありがとうございます」
「こんなところに食堂が建っていたなんて知りませんでした」
ケンジは苦笑する。
「えぇ、秘密の食堂です」
少女は小さく笑った。
「昨日からずっと楽しみにしていました」
その言葉だけで、料理人として胸が満たされる。
レオナは少女の隣へ腰掛けた。
「私はそこまで付き合いは長くないが、料理に関しては誠実な男だ。私が保証しよう」
「はい、料理以外も誠実な男、ケンジです」
少女は嬉しそうに頷いた。
「それで……誠実な男性ケンジさん?今日はどんな料理なんですか?」
「今日は、この町で手に入れた食材だけで作る料理です」
「全部、この町の?」
「はい。市場で購入した野菜のフルコースです」
少女の目が輝く。
「楽しみです」
ケンジは厨房へ戻る。
大きく息を吸った。
(よし)
今日の料理は決まっている。
野菜のポタージュ。
森茸の香草ソテー。
翡翠菜と銀豆の温サラダ。
そして主役は――。
「ルーン芋のコロッケです」
もちろん、この世界にコロッケという料理は存在しない。
まずは茹で上がったルーン芋を木鉢へ移す。
まだ湯気を立てている芋を木べらで潰すと、驚くほど滑らかな粘りが生まれた。
知識の通りだった。
牛乳も生クリームも使っていない。
それなのに、最初から絹のように滑らかだった。
そこへ甘く炒めた太陽玉ねぎを加える。
さらに細かく刻んだ森茸。
香草。
塩。
少量の香辛料。
木べらでゆっくり混ぜ合わせるたび、甘い香りと森の香りが一つになっていく。
「すごい……」
少女が思わず呟いた。
「野菜だけなのに、こんな香りになるんですね」
「野菜には野菜の力がありますから」
ケンジは笑う。
一つずつ丸く形を整える。
小麦粉。
卵。
そして細かなパン粉。
ふわりと衣をまとった姿は、まるで白銀の宝石のようだった。
「それを揚げるのか?」
「はい」
鍋へゆっくり入れる。
ジュワァァァッ――。
店内へ一斉に揚げ音が響いた。
黄金色の泡が踊る。
香ばしい香りが一気に広がり、少女は思わず目を丸くした。
「いい香り……」
レオナの腹も小さく鳴る。
「お決まりですね」
「仕方あるまい」
少し照れたようにそっぽを向く。
少女がくすりと笑った。
その笑い声に、店内の空気が柔らかくなる。
ケンジは鍋の中を静かに見つめていた。
泡が細かく変わる。
衣の色が少しずつ深くなる。
「……今です」
網へ引き上げる。
美しい黄金色。
表面は細かな凹凸が輝き、見ただけで軽やかな食感が伝わってくる。
余分な油を切る。
皿へ盛り付ける。
横には翡翠菜と銀豆の温サラダ。
森茸のソテー。
太陽玉ねぎの澄んだスープ。
彩りは鮮やかで、それぞれの野菜が主役のように輝いていた。
「お待たせしました」
コトリ。
皿がカウンターへ置かれる。
少女は思わず息を呑んだ。
「綺麗……」
それが最初の感想だった。
今まで見てきた料理とはまるで違う。
色とりどりの野菜。
黄金色の丸い料理。
立ち上る優しい湯気。
どれも初めて見るものばかりだった。
「これは何という料理なんですか?」
ケンジは微笑む。
「コロッケです」
「ころ……け?」
「まぁまぁ、冷めないうちに召し上がってください」
少女はフォークを手に取った。
恐る恐る黄金色の料理へ刺し入れる。
サクッ。
軽やかな音が響いた。
その瞬間、中から白い湯気がふわりと立ち上る。
「えっ……」
思わず少女の目が大きく見開かれた。
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