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第四話 『がんばれ男の子 ~ありがとう、ダディャーナゼッセィ~』

 

 西暦2082年5月13日 水曜日 午前9時8分



(やばい、すごく……眠い……ふにゅぅ。今すぐ机に突っ伏して寝たい……)


 昨日、ずっとゴダちゃんとお家のヒントが欲しくて、美雪ちゃんとの会話を繰り返し思い出していた。

 一応、早めに一つヒントを見つけたのだが、できればこれは利用したくない。

 って理由で夜が明けるまでずっと他のヒントを探していた。

 だが結局、見つかったのは早めに見つかった一つだけ。


 こうなる事が分かっていたら、最初のヒントを見つけた時点で意地を張らないでさっさと寝とけばよかった、超眠い……。

 頬を机の上にベターっと付けようとして考え直す。

 今はこのクラスの担任の長谷部 真子(まこ)先生の英語の授業中だ。

 長谷部先生が教科書のページをめくり、英語で例文を読んでいる。

「☆△㌧□㊥Φ$㍉$Ψω?」

 眠すぎて長谷部先生の声が左耳に入って右耳から出て行った。

(駄目だ、まったく理解できない……)

 せめて、授業を真面目に聞いているふりをしよう。長谷部先生の授業で寝るのはまずい。非常ににまずい。脳が僕に「休ませてください、社長!」と叫んでいる。

 脳君の訴えを無視して、閉じようをする目を強引に開き、背筋をシャンと伸ばす。けどすぐにまぶたが重くなり、背筋がグニャ~っとなる。

「休ませてくれ! いくら頑張っても私達に残業代は出ないんでしょう?! むしろ正規の給料を払ってくれた事が一度でもありますか?! あなたはいつもそうだ!訴えてやる!! 裁判だ!!」

(ええい、うるさい……っていうか、さっきから聞こえるこの声はなんだ?)

 眠すぎて幻聴が聞こえるようになったのかもしれない。ふと良い事を思いつき、筆箱からコンパスを出す。左手でコンパスを握り、躊躇せずに針を右手の平にブスリと刺す。

(効クゼェェェェ!! 目が覚める!! 脳が冴えるぞウェッハッハッハ!!)

 痛みで一気に脳が覚醒した。刺した場所から血かドクドクと出ているけど、気にしない。長谷部先生の授業で寝るという行為はそれほど恐ろしいのだ。


そう、あれは先週の5月7日 木曜日の6時間目の英語の授業の時だ……。



 ~回想~



 長谷部 真子先生は、1年1組の担任の先生。とても小さくて若い女性の先生だ。

 動くとフワフワ揺れるサイドテールが可愛い。とても成人している女性には見えず、どうみても小学校低学年女の子にしか見えない。いつも黒いスーツを着ているけど、茂団高校の関係者じゃないと教師だと分からないだろう。

 そしてとっても泣き虫だ。よく生徒に身長をからかわれて涙目になっている。


 5月7日 木曜日の6時間目の1年1組は、教室全体に倦怠的な空気が漂っており、クラスの3分の1くらいの生徒が机に突っ伏して寝ていた。ゴールデンウィークが明けて、更に本日最後の授業。連休で遊び疲れた生徒が眠くなるのは分かる。


 え、いや僕は寝てないよ、うん。連休に一緒に遊びに行く友達はいないし、一人で遊びに行ってもつまんないしさ……ずっと家から出ないで読書したりテレビを見てたよ。……まぁ、僕の事はともかく!話を続けよう。


 居眠りしている生徒が多くて、長谷部先生が怒ったんだ。

両手を頭の上に挙げて、横にブンブン振り回してた。全然怖くない、逆に可愛らしい。

「コラーッ! 起きなさーい!! 寝てちゃだめでしょー!!」

 数人の生徒が居眠りをやめて姿勢を正した。でもまだまだ寝ている。

「ね、寝てちゃ……エグッ、エグッ……だみぇ、でしょ……」

 長谷部先生が泣き出す。両腕の袖で溢れる涙を拭うも止まらない。

 教室の空気がおかしくなり、何人かが異変に気付き起き出す。

 だが、まだまだ寝ている生徒はいる。熟睡していたんだろう。

「寝るの……だ、駄目みゃァァァァァァァァァァァァ!!」


 長谷部先生が、キレた。


(こちら廊下側から数えて二列目の後ろから二番目の席の高橋 洸です! 緊急特番を放送します!! 見てください、長谷部先生が号泣しながら、脚立をブォンブォン振り回しています!! まるで竜巻です!! あの脚立は長谷部先生が用意した物で、黒板の上の方を書くときに使う物です!! あの脚立に乗らないと上の方に手が届かないんです!! 授業の為、生徒の為に用意した物が今、竜巻となって生徒を襲っています!! なんという皮肉でしょうか!!ああ、さすがにこの事態を気付かず寝てるバカな生徒などいません!! みんな起きています!! 生徒はみな立ち上がり急いで黒板の反対側に避難しいます!! ああ、最前列の真ん中一帯の机と椅子が竜巻に巻き込まれ吹っ飛んだ!! なんという威力!! これは危険だ!!おおっと、勇気ある男子生徒が先生を説得しようと近づいていく!! 駄目です! 男子生徒、飛びました! ピューンっと!! 嫌な音を立て廊下側の壁に衝突しました!! 大丈夫か!? 竜巻に説得は無意味だ!! …ん?一人、様子がおかしい男子生徒がいます。目を見開き何やらブツブツ呟いています。いったいどうし…ああ、突然奇声を上げて走り出した!! 一体、どこへ…ば、やめろ!! そっちは窓だ!!普通に廊下側の戸から逃げればいいだろう!!恐怖でおかしくなったのか!?勢いを殺さず窓ガラスをブチ破り空へと舞う!! ここは二階だ!! 大丈夫か!? まぁ死にはしないだろう多分!!昨日の天気は雨で地面はぬかるんでいる、たぶん彼は大丈夫!! ああ!!女子生徒たちが悲鳴を上げパニックになり、我先にと戸に殺到する!! 男子達も殺到する!! ああああ!! 竜巻がこっちに机と椅子を薙ぎ倒しながら近づいてきます!! 私もこんなところで悠長に実況なんてしてないで、逃げます!! 生きていたらまた会いましょう!! 高橋 洸でした!!)


 あの事件は恐ろしかった……結局二名の男子生徒以外はみんな無事に逃げ出し、皆職員室に助けを求めた。

 職員室にいた先生は生徒の説明に理解に苦しみ、1年1組の教室を見に行った。


 教室中がまるで本当の竜巻にあったかのような惨劇だった。

 窓ガラスは全部割れ、壊れてない机と椅子はなく、机の中に入っていた

 新品同然の教科書やノートだった物が教室中に散らばっていた。


 長谷部先生は教室の真ん中で膝をついて泣きじゃくっていた。

 傍には折れ曲がってボコボコの脚立が転がっていた。



 あれ以来、長谷部先生をからかう生徒はいなくなった。

 長谷部先生をからかった生徒は彼女に恐怖し、後日全力で謝罪した。


 あるクラスメイトは脚立を見ただけでパニックを起こす後遺症が残った。

 ただ、子ども用の小さくて可愛らしい脚立は大丈夫らしい。


 カリン・エドワーズは今までの馬鹿な行動を反省し、もう怒られるような事はしないと心に決めた。


 翌日、カリン・エドワーズは学校の屋上のフェンスをよじ登り、傘を持ち広げて飛び降りた。

 下校しようとした生徒が「アイキャンフライ!!」と叫ぶカリン・エドワーズの声を聞き、屋上から落下する彼女の姿を目撃している。

 幸いな事に木の上に落下し、葉と枝がクッションとなり全身の擦り傷で済んだ。

 長谷部先生は涙目になって「なんで危ない事したの?!」と迫った。

 カリン・エドワーズは超笑顔でこう答えた。 

「フライシタ男子、超クール。真似シタカッタ。屋上カラフライシタラ、気持チイイト思ッタ。アイドンハブパラシュート。ダカラ、パラソル二シタ。反省、シテイルナウ」


 長谷部先生の脚立が壊れたので、謝罪の意味を込めてクラスメイト一同で、可愛らしいクマさんが描いてある子ども用のピンクの脚立を買ってプレゼントした。すごく気に入っているらしい。

 脚立を見るとパニックを起こすクラスメイトの為でもある。


 この事件は『507脚立ハリケーン事件』と名付けられ、茂団高校の決して忘れてはならない悲しき事件の一つとして、永きに渡り語り継がれていく事だろう。


 ~回想終了~



 チャイムが鳴り響く。

 黒板の上にある時計を見る。9時30分、1時間目の終了時刻だ。

 先週の事を思い出していたらあっという間に時間が過ぎていった。

 日直が「起立、礼」と号令を掛ける。立ち上がり礼をする。


(長かった、次の授業は近代現史だな……良かった……助かった……)

 近代現史の竹田 天使先生は授業中に寝ている生徒を起こそうとしない。むしろ逆に生徒を起こそうとした生徒に「疲れているんです、寝かせてあげなさい」と、声を掛ける先生なのだ。名前の通りの天使のような先生で良かった……!!


 ガッツポーズをすると、視界の右下に何か赤い塊がある。

(ん?なんだろ……?)

 視線を赤い塊に向ける。そこには……。

 コンパスの針が思ったより深かったのか、血で真っ赤に染まった右手があった。


 予想外の出血量に驚き、僕の意識はそこでプツンと途切れた。



 西暦2082年5月13日 水曜日 ??時??分



 僕は茂団高校から、自宅に向けての家路を歩いていた。

 なんだか頭の中は霧に覆われたみたいにぼんやりしている。

(あれ、僕は……なんで今帰っているんだ?学校はどうしたんだ?)

 僕が学校から帰っている理由が分からない。ピタリと立ち止まる。

 ふと右手に違和感を覚え、視線を向ける。

 右手は何ともなっていない、普通の僕の右手だ。頭が一瞬、ズキっと痛む。

 右手を見ていると何だか少しずつだけど、思い出しそうだ……。

 右手をよく見て、必死に思い出そうとする。

「ゴ……ダ……ゴ……」

微かだけど変な声が音が聞こえた。多分空耳か何かだろう、無視する。

「ゴダ……イ……ゴ…」

小さいけど、はっきり低い声が聞こえる。さっきよりも大きな声だ。

 何だろう?右手から目を離す。

 いつの間にか、僕の周りを深い霧が包んでいた。10m先も見えない。

(何…これ?さっきまで、こんな霧なんて出てなかったのに…)

「ゴダイゴ……ゴダイゴ……ゴダイゴ……」

 謎の声はだんだんと大きくなっており、はっきり聞き取れるようになった。

 地を這うような、とても低い声。人間の出せる声だとはとても思えない。

 声は背後から聞こえているので、気になり振り向く。

 霧に覆われてよく見えないけど、かなり大きな影が見える。

 影は少しずつ僕に近づいており、謎の声も大きくなる。

「ゴダイゴ……! ゴダイゴ……! ゴダイゴ……!!」

 僕がその影をギリギリと認識できる距離で、影は立ち止まった。

 紫色の体に、全身に緑色の斑点…黒いサングラスを掛けた、身長3mくらいのウサギ…ゴダちゃんがそこに立っていた。右手に大きな鉈を持っている。

(な、なんで……ゴダちゃんがここに? っていうかデカッ!!)

 ゴダちゃんが鉈を振り上げ、ゆらりと一歩近づく。

 僕は怖くなり下がろうと、足をうごか……下げようした右足が何かに当たる。

 首だけを動かし急いで後ろを見る。そこにはさっきまでなかった、

コンクリートの塀があった。

「ゴダイゴォォォ!!」

 ゴダちゃんの声がすぐ傍から聞こえ、首を正面に戻す。

 ゴダちゃんはすぐ近くにいた。大きな鉈を僕の頭目掛け、振り下ろす。

 僕は絶叫した。



 西暦2082年5月13日 水曜日 午後12時45分



「兄貴ィィィィィィィィィィィ!!」

 謎の絶叫と共に、僕はガバッと飛び起きる。

 ちなみに僕は一人っ子だ。兄はいない。

(よく覚えてないけど、何だか……とても怖い夢を見ていた気がする) 

 ハァハァ……と荒い呼吸を繰り返し、辺りを確認する。

(あれ、ここは……)

 全体的に清潔感を感じる、白い部屋だ。

 僕はベッドの上に寝かされていたらしい。体中が汗びっしょりで気持ち悪い。

 右手の平がズキズキ痛み、目を向けてみる。右手の平に白い包帯が巻いてある。

(そうだ、眠気を覚ます為に、コンパスの針で……右手の平をブッ刺したんだ。それで、血まみれでスプラッタな手を見て……多分、気絶したんだろう)

 ベッドから降り、立ち上がる。傍のテーブルに紙が置いてあり、雑な文字で何か書かれている。首を下に向け紙の文字を読む。


『邪魔だから起きたらさっさと出てけ。あたしはタバコ吸いに行ってくる』


 この文章を書く人物に一人だけ心当たりがある。


 橘 棗(なつめ)先生。保険室の先生だ。

 目付きが鋭く、女性なのに手入れをしていないのか、髪はボサボサ。

 年齢は30前後くらいだと思う。いつもけだるそうにして両手を白衣のポケットに

突っ込み、校内では禁煙パイポを咥え歯でカチカチ鳴らしている。

 校舎裏でタバコを吸っているところを生徒に見られ、外見や行動、言動から元はヤンキーじゃないかと噂されている。

 ちなみに禁煙を3桁も成功させている、禁煙のプロ……らしい。

 いやそれは禁煙出来てないんじゃ、なんて突っ込んではいけない。

 多分鉄拳が飛んでくる。


(橘先生は保険の先生だから、僕の右手の手当てをしたのはきっと橘先生だろう。

って事はここは保健室?初めて中に入ったよ)


 橘先生に右手の手当てをしてくれたお礼を言いたいけど、本人がいない。

 このまま保健室で待っててもいつ戻ってくるか分からないので、簡単な置手紙を残す事にする。

 左手で紙を裏返し、テーブルの上に乱雑に放置してある大量の筆記用具の中から鉛筆を少し借りる。右手の平はズキズキと痛むので、左手で持つ。

(今更なんだけど、なんで左手じゃなくて利き手の右手を刺したんだろう……っていうか、何でコンパスの針を刺したの?僕?いくら眠くて判断力が鈍ってたとはいえ…もっと別な方法があったんじゃ……例えば太ももを思いっきり抓ったり、瞼にセロハンテープを張って目を閉じなくさせるとか……あと、前の席の人に思いっきり僕の頬をビンタしてもらい、気合を入れてもらうって手もあるな……)

 まだ判断力が鈍ってるのか、そんなバカな事を考えながら利き手じゃない左手で文字をゆっくり、出来るだけ丁寧に書いていく。 


 やがて完成した文を見て満足げに息を吐く。

『手当て、ありがとうございました 高橋 洸』

(よし、ミミズが痙攣しているようなかなり下手な文字だけど、何とか読めるだろう)


 借りた鉛筆を置き、ふと、疑問になり壁に掛けてある時計を見る。

 (12時55分……今は昼休みなのか。ならゴダちゃんとお家の事を聞くために、あの人に会った方がいいかな)


 僕は保健室を出て、自分のクラス――1年1組に向かう。

 あの人――五十嵐 月子さんに会って話をする為に。


 1年1組の戸をガラッと開けて見渡す。

 大半のクラスメイトは教室から出ており、教室に残っている生徒はまだお弁当を食べていたり、談笑をしているグループもある。

 廊下側から一列目、前から二番目の席を見る。

 (五十嵐さんは……いた)

 五十嵐さんは自分の席に座っていつもの無表情な顔で本を読んでいた。

ここからではどんな本かはよく分からない。

 目的の人物を見つけて、近づこうと右足を一歩踏み出す。

 だけど、僕の足はその一歩で止まった。


(え、僕、五十嵐さんに声掛けるの? あの五十嵐さんに? 本当に?)

 気になる人に声を掛ける、その行為が滅茶苦茶緊張する。

 嫌な汗が頬を伝い、心臓の鼓動はドックンドックン早くなる。

 右手の平のコンパスを刺した場所がズッキンズッキン痛みを増す。

 思わずその場から逃げ出したくなる衝動に駆られ、踏み出した右足を一歩下げようとして……止めた。

(ここで逃げたら、美雪ちゃんを悲しませてしまう……それは駄目だ!!)

 僕の脳裏に泣きじゃくる美雪ちゃんの顔が嫌でも浮かぶ。

(僕はここまで弱虫なのか?自分で自分を嫌いにさせないでくれ、高橋 洸!!)  両手で両頬をパァン!!と全力で叩いた。頬は超痛いけど目が覚めた。

 傍から見たら変な人だよな……現に、頬を叩いた時の音を聞いて何人かが僕をチラチラ見ている。恥ずかしい。でも、歩き出す。

 ゆっくり、一歩ずつ踏み出していく。


(美雪ちゃんは、ゴダちゃんをお姉ちゃんから貰ったと言っていた)

 だんだんと五十嵐さんに近づいていく。

(つまり、ゴダちゃんの前の持ち主は五十嵐さんだ。きっと何か知っている)

 なんだか教室内の全生徒からジロジロと視線を感じる。

(あれ、なんだろ……何でみんな僕を見てるの? …ああ、そうか)

 理由が分かった。1時間目の終了と同時に僕は血まみれの自分の右手を見て気絶したんだ。その僕が今戻って来たんだから、注目の的になるだろう。

(ええい、構うものか。見たければ見ろ! ああ、ごめんやっぱ見ないで!!)

 なんだか注目されて恥ずかしい。頬が熱くなるのを感じ、顔を下に向ける。

 でも、歩くのはやめない。


(なるべく五十嵐さんにゴダちゃんの事を訊きたくない……けど、これしかゴダちゃんのヒントが見つからなかった)

 美雪ちゃんはゴダちゃんが逃げた事を五十嵐さんが知ったら、怒られるんじゃないかと心配していた。

 五十嵐さんが美雪ちゃんの言うとおりの優しい人なら……きっと、怒らない。僕は五十嵐さんの事をよく知らないけど……そう、願うしかない。


(僕はゴダちゃんが逃げた事を五十嵐さんに言わないと、美雪ちゃんに約束した……けど、もし……五十嵐さんが怒ったら、その時は全力で美雪ちゃんを庇おう。僕がゴダちゃんを逃がしたんです! 僕が全部悪いんです!! と言おう)


 五十嵐さんの席のすぐ傍に来た。足を止める。

 五十嵐さんは本を読むのに夢中になっているのか、僕に気付かない。

 ドックンドックン脈打つ心臓がドドドドドドドドと更に加速する。

 その場で深呼吸をしても、心臓の鼓動は変わらない。

(ええい、ここまで来たんだ!当たって砕けよう!!)

「あ、あにょ!! 五十嵐すん!!」

――めっちゃ噛んだ。

「ん?」

 五十嵐さんはこちらに気付き目を向け、ページにしおりを挟んで読んでいた本を

パタンと閉じ、机の上に横に置いた。

「何か?」

 五十嵐さんが僕を真っ直ぐ見つめている。無表情でつり気味な目が「読書の邪魔をやがって!野郎、ぶっ殺してやる!!」と言っているような気がした。本当にそう思ってたら、僕はショックで明日から不登校になるかもしれない。


「は、話があるんディス! チョット、来テ、下サイ!!」

 緊張しまくって前半は変な滑舌になり、後半は何故かカタコトになった。



 西暦2082年5月13日 水曜日 午後1時4分



 本当は屋上に行こうと思ったんだけど、先週の5月8日の放課後に起きたカリンさんが傘を広げて屋上から飛び降りた、『アイキャンフライ事件』のせいで安全の為に屋上への扉は鍵が掛かっていた。

(まぁ周りには誰もいないし、別にここでもいいか)

 と思い、屋上への扉の前で話をする事にした。

 場所は人に話を聞かれなければ、どこでもいい。一番の問題は……気になる女の子、五十嵐さんと僕が向き合っているという事。


 なんだか、その……向き合っていると、恥ずかしいような照れくさいような、色々な感情がゴチャゴチャ混じって、自分でもよく分からない。凄く緊張してガチガチになっている。


 いつまでも喋らない僕を気にしてか、もしくはしびれを切らしたか……五十嵐さんから声を掛けてきた。

「話とは何だ?」

 と、短く端的に聞いてくる。緊張して僕は五十嵐さんの目を合わせられず、五十嵐さんのお腹の所を見ている。

「え、えっと……は、話は……」

(ど、どう話せばいいんだろう? まずは、僕が美雪ちゃんと知り合いだと話すべきかな……いや、そうすると僕が五十嵐さんの事が気になっていて、五十嵐さんが出てきた病室を好奇心に負けて覗いた事を話さないといけなくなるかも……い、いや!! 本人の前であなたが気になっています、なんて言える訳がない!!)


 どう説明しようか考えているうちに、頭の中が真っ白になる。

 とりあえずゴダちゃんのお家を見せれば、事情を察してくれるかもしれない。その時パニックになっていた僕は、そう思ってすぐ行動に移した。

 左手をポケットに突っ込みゴダちゃんのお家を持ち、取り出して五十嵐さんに見せるように出す。

「ああああ、あの!! ここここれ!!」


 …………。


 あれ?何も言われない?気になって、チラっと五十嵐さんの顔を見てみる。

 五十嵐さんは目をやや見開き、僕の左手の上にあるゴダちゃんのお家を見つめている。この沈黙の間が怖くて、とりあえずおっかなびっくりな感じに声を出す。

「あ、あの……五十嵐さ……」

「何故、持っている?」

 声のトーンを落とし、つり気味な目を更につり上げて、僕を見ている。

(あ、あれ……もしかして、怒ってる?)

 僕達の周りの空気が一気に冷たくなった気がする、なんというか怖い。

 その怖さに耐えられなくなり、僕は早口に一気に言う。

「あ、あの母さんの財布を取りに総合病院に行ったんです! そしたら五十嵐さんがいて、天使君と悪魔君がプロレスで戦って悪魔君が勝って、山口先生がいてお見舞いになって、何故か無性にちくわが食べたくなって夕食はおでんにしようと思ったんです! ゴダちゃんのお家は美雪ちゃんから預かったんです!!」


 最初と最後以外、僕本人じゃないと意味不明だろう。

「美雪から、預かった……?」

 声のトーンが元に戻った。意味不明な部分はスルーしたらしい。

 周りの冷たくなった空気が元に戻った。一先ず安心して深く息を吐く。

「う、うん……あの、実は……」

 僕は昨日、病院に行く事になった経緯と、病院であった事を話し始めた。

 流石に五十嵐さんの事が気になっていて病室を覗いたなんて言えないので、

山口先生に何か勘違いされてお見舞いをする事になった(間違ってはないけど)と、言って誤魔化した。




「ふむ……」

 五十嵐さん目を瞑り、思慮深く何かを考えているそぶりを見せた。

 僕は何を言われるんだろうと思い、心底ビクビクしながら次の言葉を待ってた。

 何故か今になってやたらと喉が渇くし、お腹も空いている。そういえば昼ごはん食べてないな。母さんが作ってくれた今日のお弁当はなんだろう? 等と現実逃避し始めた時……。

「すまなかった」

 と、五十嵐さんが深く頭を下げた。

 予想もしていなかった言葉を聞いて、僕は一瞬ポカーンとなり……そして、

 「へ……?ちょ! そんな! 頭上げてください! ってか何で謝ってるんですか!?」

 とっても慌てた。てっきり怒られるんじゃないかと思ってたからだ。

「美雪は今入院してて、病院から出られない。外でゴダイゴの家を落とす事はまずありえないので、君がゴダイゴの家を盗んだと思った。疑ってすまない」

 遺物を集める事に世間の目も気にしない蒐集家が世の中にいるらしい。

 その蒐集家の中でも……過激な人は、盗んだり力づくで他の人の遺物を奪い取ろうとするとか。『俺の物は俺の物、お前の物も俺の物』的なあれだろう。

 頭を下げている五十嵐さんを見て、逆にこっちが申し訳なくなってしまう。

「あ、あの! いいですから、とりあえずお願いですから頭を上げてください!」

 叫ぶように悲願する。

 ゆっくり頭を上げた五十嵐さんの顔は、いつもの無表情だ。僕に近づき、右手を差し出す。

「ゴダイゴが逃げた、と言っていたな。家を見せてくれないか?」

 僕は「あ、はい」と返事して、五十嵐さんの右手にゴダちゃんのお家を置く。

 五十嵐さんはゴダちゃんのお家を持ち、穴が空くんじゃないかと思うほど凝視した後、様々な角度から見始め、3つある黄色いボタンをポチポチいじり始めた。


「あの、そういえば……ゴダちゃんとお家って、一体何ですか?」

 手持無沙汰になり、ずっと気になっていた事を質問する。

 五十嵐さんはチラッと僕の方に視線を移し、袴のポケットに左手を入れ、

「言葉で説明するより、実際に見て貰った方が早い」

 と言い、五十嵐さんがポケットから出したのは、ゴダちゃんのお家にそっくりな物。

 だけど、ゴダちゃんのお家と色が違う。こっちはピンク色でボタンの色は白い。

 そして、液晶画面には――モヒカン頭で太眉のペンギンが映っていた。


「このペンギンは……?」

「ペットのようなもの、と思ってくれ。名前はガンダーラ、私が名付けた。美雪はガンちゃんと呼んでいる」

 液晶画面のペンギンが走り回っている。

 頭の中がピンっと閃き、また訊いてみる。

「もしかして、ゴダちゃんのお家には……液晶画面に、ゴダちゃんが映っていたんですか?」

「そう。だが、今はゴダイゴの家の液晶画面には何も映ってない。それで美雪はゴダイゴが逃げたと勘違いしたみたいだが……ガンダーラとゴダイゴはその家が作っている映像だ。実際には中に入ってはいない。ゴダイゴの家は内部の機械に問題があって、ゴダイゴが映らないんだろう」

「ええっと、それじゃあ……」

 話を整理してみる。

(つまり、ゴダちゃんを液晶画面に映すには……お家の内部の機械を直さないといけないのか? 遺物を直すなんて、僕には無理! 無理だ!!)

 僕は機械関係の事にまったく詳しくない。

 ふと今更ながら疑問に思った事を気付いたらぶつけていた。

「そういえば、なんで五十嵐さんと美雪ちゃんは……それ、遺物だと思いますけど、何故持っているんですか?

「ああ、遺物だろう。だが、今では……そうだな、私達にとっては大事な家族みたいなものだ。余程の事がない限り、手放す気はない」

(遺物が、家族……?)

 さっき五十嵐さんはペットのようなものと言っていた。

 深い事情がありそうだけど……何だが、とても訊いてみたい。

(訊けば…五十嵐さんの事、もっとよく分かるかもしれない)

「あの、もっと訊いても……いいですか?」

「何をだ?」

「その、えっと……ガンちゃんとゴダちゃんのお家を、五十嵐さんと美雪ちゃんが大事にする理由です」

 世間からガラクタ扱いされている遺物を、どうしてそんな大事にするのか……とても、気になった。

 しばらく僕を見つめて、五十嵐さんは口を開く。

「そうだな……美雪が迷惑を掛けたみたいだし、話してもいい」

 そして、五十嵐さんがガンちゃんとゴダちゃんの出会いから話し始めた。




 五十嵐 月子が小学6年生の時、ペットを買って欲しくて両親にねだった。

 でも駄目だ、と言われた。住んでいるアパートがペット禁止だったのだ。

 しばらく月子はふてくされていたが、すぐ忘れた。


 ある日、月子一人である廃屋を探検していると、埃だらけの箪笥の引き出しから四角い何かを2つ見つけた。片方はピンク色で、もう片方は白い。月子は宝物かと思って、家に持って帰った。


 両親は仕事中で、月子は自室で一人ピンク色の四角い何かをいじっていた。偶然ボタンを押してしまったのか、液晶画面が明るくなり、そこには小さな赤ちゃんペンギンが映っていた。月子はそこで小学校で習った遺物の事を思い出したが、目の前の小さなペンギンがとにかく気になった。遺物の事は忘れて、どんな機械なのか好奇心を抑えられずにボタンを色々といじった。


 一時間くらい経った後、これがどんな機械なのか月子は大体理解した。

 3つの白いボタンを操作して、液晶画面に映っている赤ちゃんペンギンにご飯を与えたり、一緒に遊んだり、わがままを言ったらしつけをしたり……この赤ちゃんペンギンを育てる事が出来る機械なのだ。月子は喜んだ。家はペット禁止のアパートなので、この機械の中にいるペンギンをペットとして飼えば、両親からは怒られない。ここで再び遺物の事を思い出す。両親からこの機械の事を知られたらきっと怒られて捨てられる。これは遺物で、世間からいらないガラクタ扱いされている物なのだから。


 しばらく悩んだ結果、両親には内緒でこの子を飼おう、と決めた。

 この赤ちゃんペンギンに突然閃いたガンダーラと言う名前を付けた。

 ガンダーラが入っているこの四角いのの名前が分からないので、とりあえず家、と名付けた。


 もしかして……と思い、白い家の黄色いボタンもいじってみる。

 液晶画面が明るくなり、そこには小さな紫色の赤ちゃんウサギが映っていた。


 この白い家はしょっちゅう入退院を繰り返している、月子より6つ年下の体の弱い妹…美雪に上げようと思った。

 入院している間、美雪が少しでも退屈しないように……そう思って渡した。

 家の操作の仕方と、両親にはこの家の事を内緒にするように言っておいた。

 美雪はこの紫色の赤ちゃんウサギに、ゴダイゴと名付けた。


 それから月日が経ち、月子はガンダーラ、美雪はゴダイゴを育てているうちに……二人はこの二匹を、本当の家族に思うようになった。




「と……話はこんな感じだ」

 僕は呆気にとられていた……遺物をそんな大事にする理由があったなんて、夢にも思わなかったからだ。


(というか、姉妹揃ってなんというネーミングセンスだ。もっと、こう……女の子らしいというか、可愛らしい名前とか思いつかなかったんだろうか?)

 いや、今それはまったく重要ではないな、と思い頭から振り払う。


(僕には……いや、世間から見れば……あのお家はただのガラクタなのかもしれない。でも、五十嵐さんと美雪ちゃんにとっては……とても大事な物なのか。それも、家族と思うくらいに)


 僕の中で何かが変わっていくのを感じた。どう表現すればいいのか……今までの当たり前の事とか、常識だと思う事とかが微かだけど、ヒビが入るような……そんな感じだ。


 泣きじゃくる美雪ちゃんを思い出す。家族がいなくなったんだ、そりゃ泣くだろう。美雪ちゃんがとても気の毒に思い、僕の口が勝手に動いた。

「あの、五十嵐さん。そのゴダちゃんのお家、直せますか?」

「いや、無理だ。私は機械に詳しくない」

「そうですか……」

 もしかしたら五十嵐さんが直し方を知っているんじゃないかと、微かな希望に賭けてみたけど……そう上手くはいかず、希望は儚く崩れ去った。


「美雪からゴダイゴを探して欲しいと頼まれたそうだが……つまり、それはゴダイゴの家を直す事になる。修理するのは困難だろう、この遺物を知っている人さえいるかどうか分からないんだ、直しようがない」


(そうだ、これは遺物だ。直せる訳なんてないよな……)


「直せないのが当たり前なんだ、美雪の事は気にしないでくれ。美雪には私から言っておく。美雪が無理なお願いをしてすまなかった」


 ゴダちゃんとガンちゃんのお家を袴のポケットに仕舞い、後ろを向こうとする五十嵐さんを――僕は、引き止めた。

「い、五十嵐さん! 待って!!」

「……何だ?」

 五十嵐さんは足を止めこちらを向く。

 僕は気付いたら、思いっきりこう叫んでいた。


「ゴダちゃんのお家を……一緒に直す方法、見つけませんか!?」


 五十嵐さんが目を見開き、驚いた顔で僕を見ている。「何言ってんだこいつ? 話を聞いてなかったのか?」とか思っているのかもしれない。ええい、もう自棄だ!言ってしまえ!!

「二人で探せば、きっと直す方法が見つかります! それに諦めるのはまだ早過ぎますよ! まだ何もしていない!!」

「確かに、そうかもしれないが…」

 五十嵐さんは目を閉じて難しい顔をして何か思案に没頭している。

 10秒か20秒くらい経ち、目を開く。

「なぜ、そこまで協力的なんだ?」

 恐らく、五十嵐さんは他人同然の僕が何故ここまで食い下がるのか不思議なんだろう。つい流れで美雪ちゃんのゴダちゃんのお家を預かった僕……最初は面倒な事を押し付けられたと思った。だけど、今は違う。

 

(家族のように大事にしているゴダちゃんに会えない、それはとても辛い事だろう。可哀想で、美雪ちゃん放っておけない。出来る事なら助けてあげたい)

 

 五十嵐さんの目を真っ直ぐ見つめる。ここに来た時はガチガチと緊張して目を逸らしていたのに……今はやけに落ち着いている。

「昨日、美雪ちゃんにゴダちゃんを探すと約束しましたし……今、五十嵐さんから話を聞いて、美雪ちゃんがそんなに大事にしている物なら直してあげたいんです」

 五十嵐さんは無表情でしばらく黙っていたけど、納得したのか「そうか……」と短く答えた。


 僕と五十嵐さんは一緒にゴダちゃんのお家を直す事を決めた。

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