第12話「同じ、夜」後半②
窓辺から、寝台へ。
眠る前に、右手首のブレスレットに、指先をひとつ置いた。今日の分は朝に送ってある。それでも今夜だけは、もうひとつ、送りたかった。選んだ夜の、最初のひとつ。載せられる言葉はないままで、それでもいつもより少しだけ長く、指先を石に置いた。
置いた指の下で——石が、ひとつ、温もった。
いつもと同じ、指先ひとつぶんの温もりだった。強くも、弱くもならない。海の広さも、船の速さも、あの朝から何も変わっていない。変わったのは、受け取る私の方だった。名前を付けたばかりの場所に、今夜のそれは、まっすぐに届いた。
——また、朝に。
はい。また、朝に。今夜はそう、返せる気がした。
私は灯りを消して、目をつぶる。いい夜だった。それだけで、今日は十分だった。
白い石の部屋の灯りが、消えた。
ここから先は、彼女の知らない、同じ夜の話だ。
海の遠くで、低い雷がひとつ、鳴った。眠りに入った子は、気づかない。初夏の夜の都は、水の音だけをさせている。
その夜更けに、藍の封のかかった文がひとつ、夜の水路を下っていった。
文は、朝を待てば届くものだ。夜のうちに舟を走らせるのは、朝を待てない者だけだ。灯りのない小さな舟が、音を立てず——それでいて少しも迷わない水脈を引いて、都の奥へ消えていく。舳先の文箱の上で、封蝋の色だけが、橋の灯を受けて一瞬光った。
誰が書いた文なのか。どこへ向かう文なのか。それは、まだ、誰の物語にもなっていない。
水路をいくつも渡った先に、記録の府がある。この都で起きたすべての出来事が、頁になって収められていく場所。
その高い窓に、灯がひとつ、点いたままでいる。夜半を、とうに過ぎている。灯は、消えない。
窓辺の机で、セリーヌ・ヴェル・マレが、頁をめくっていた。
急いでは、いない。止まりも、しない。夜通し書き続けると初めから決めている者の手つきで、書き上げた頁が一枚ずつ、手元に几帳面に重なっていく。何を書いているのかは、誰も知らない。その山だけが、夜が更けるほど高くなっていった。
白い部屋では、リアネが眠っている。
今夜、自分の帰る場所を自分で決めた子の、穏やかな寝息。その眠りのすぐそばで、彼女の知らない夜が、動いている。文がひとつ、水路を下り。記録の府の灯は、消えず。海の遠くで、雷がもうひとつ、低く鳴った。
眠る子は、気づかない。気づかないまま、朝が来れば、いつものように石に指先を置くのだろう。
都の水だけが、その全部を、黙って見ていた。
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