第12話「同じ、夜」幕間★最終話
これも、彼女の知らない、同じ夜の話の続きだ。
水の都の夜は、更けきって、まだ明けない。
記録の府の高い窓には、まだ灯りが点いている。夜のいちばん底の刻限を過ぎても、消えない。窓の灯りが、黒い水面に、細長く映っている。
都の水は、音を低くして、朝を待っている。
同じ夜は、海の向こうの帝国にも降りている。
こちらの夜は、眠っていなかった。
軍港に、いつもの夜より多くの灯りが点いている。倉から埠頭へ、夜通し、荷が運び出されていく。石畳の上を、伝令の馬がいくつも走った。夜のうちに馬を走らせるのは、朝を待てない者だけだ。
夜明け前から、あちこちの家の門が叩かれはじめた。
届くのは、王宮の紋の入った、短い文だ。日付。集まる場所。家の名。書いてあるのは、それだけ。なぜ集まるのかだけが、どこにも書いていない。
理由を書かない文が、夜の明けきらないうちに、都じゅうへ配られていった。
盾の家にも、その文は届いた。
フェルドラク邸の朝はいつもどおりに始まって、いつもどおりのまま、家令が銀の盆を書斎へ運んだ。盆の上の文には、王宮の紋。エルハルト・フェルドラクは書き物の手を止めて、封を切り、読んだ。
読み終えるまで、顔色はひとつも動かなかった。
「……支度を」
家令に告げた言葉は、それだけだった。武門の家の返事は、いつも準備の形をしている。
朝の食堂で、アルフォンスは父に呼ばれた。
「近く、家の名が動く」
父は、それ以上の説明をしなかった。しない、ということの意味を、この家の息子は知っている。
「……相手の名は」
「——まだ、ない」
まだ、ない。その四文字が、卓の上に、低く置かれた。
訊きたいことは、ひとつしかなかった。相手に名が付く日、その名が、どの海の向こうを指すのか。訊けば、この卓の上に、あの名前を載せることになる。だから、訊かない。まだ、訊かない。訊く代わりに、アルフォンスは頭を下げて、席を立った。
胸の奥では、今朝の分の灯が、いつもどおりに点っている。
世界がこれから何にどんな名前を付けても、この暦だけは、変わらないままだ。
それは、まだ名前を持たない。
名前のないものが、いちばん速く育つ。文は理由を書かないまま走り、灯は夜通し消えないまま点り、海の両側で朝だけがいつもどおりに来る。
彼女は、それを、まだ知らない。
——また、朝に。
その言葉だけが、今日も、名前を持っている。
※本作はnoteでも掲載中です。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
第2部『深海の雫は、太陽に焦がされていく』は、この幕間で完結いたしました。
(第3部『深海の雫は、太陽と溶け合う』も、準備中です)




