第6話「麦畑の、家」前半②
冬のあいだ、目に見えて変わったものは、何もなかった。
ただ、小さなことなら、いくつかあった。
朝の挨拶が、遅い日が増えた。すっと灯って、すっと引く、短い温もりの日が。放課後の結界の稽古も、以前より少しだけ、早く終わる日が増えた。革手袋を、最後まで外さない日があった。
どれも、それだけなら、なんでもないこと。なんでもないことが、少しずつ、積もっていった。中庭の隅の根雪みたいに、目に見えない速さで。
一度だけ、はっきりと妙な日があった。
放課後の結界の中で、いつものように、アルフォンス様の火が膜の縁に触れた。ほどけて溶けるはずのその火が、その日は膜に触れた瞬間にひとつ、大きくたわんだ。低い音が、聞こえた気がした。焦げるような匂いが、かすかに鼻をかすめた。
アルフォンス様は、すっと手を引いた。
「……今日は、ここまでだ」
「あの、いまの……」
「なんでもない」
なんでもない、という顔では、なかった。でもその横顔は、それ以上どんな言葉も受けつけない角度で閉じていて、私は続きを飲み込むしかなかった。
膜を引いたあとの旧図書室で、焦げの匂いだけが、しばらく薄く残っていた。
カトリーヌ様とセリーヌさんを、また見た。
二度目は、図書館へ向かう渡り廊下で。三度目は、雪の残る中庭を挟んだ、向かいの回廊で。いつも遠目で、いつも声は聞こえない。セリーヌさんが穏やかに何かを言い、カトリーヌ様が扇の陰で短く応える。それだけの、立ち話。
——また、あの組み合わせ。
一度なら、気にも留めなかった。二度、三度と重なると、その光景は冬の景色の中に、静かに居場所を作りはじめていた。
意味は、分からない。分からないものが、またひとつ増えただけだった。
軒先の氷柱が、伸びては縮み、また伸びる。
冬は、動かないように見えて、着実に歩いている。凍った中庭の下で春の球根が黙って準備をしているように、私の知らないところで、いくつもの何かが静かに動いている。この冬、私はずっと、そんな気配の中にいた。
セリーヌさんの残りの日々が、減っていく。
答えの期限が、季節の形をして、近づいてくる。
そして私はまだ、あの問いの前に、立ち止まったままだった。
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