第6話「麦畑の、家」前半①
——一緒に、来ませんか。お母様の国へ。
あの言葉に、私はまだ、答えを返せていなかった。
次の日も、その次の日も、昼休みの指導は続いた。水盤を挟んで、糸を呼び、息で細める。セリーヌさんは、あの話を二度と口にしなかった。急かす素振りも、答えを待つ目配せも、何ひとつない。まるで、あの誘いなど無かったかのように、稽古だけが静かに続いていく。
急かされたら、たぶん、断れた。
期限を切られたら、悩む形だけでも作れた。何もないから、あの言葉は行き場をなくしたまま私の胸の底に沈んで、日ごとに少しずつ重くなっていった。
急かさない人は、知っているのだ。放っておいても、私があの言葉のところへ戻ってくることを。
そう思ってから、私は、その考えを打ち消した。打ち消しきれなかった。
冬が、深くなっていった。
朝の水差しに、薄い氷が張る。渡り廊下を歩く生徒たちの息が白い。中庭の木々はとうに裸で、その枝の先にときどき粉雪が積もっては、風にほどけて消えた。
誕生日の、あの温かい放課後と。母様の国へ、というあの誘いと。
その二つは、胸の中の同じ場所に並んだまま、ひと月が過ぎてもまだどちらも動かなかった。
放課後の結界の中は、変わらず温かい。朝の挨拶も、変わらず届く。ただ——ときどき、その温もりが、以前よりほんの少しだけ遠くから届く気がした。気のせいだと思えば、気のせいで済む程度に。
「三月」という言葉だけが、季節と一緒に、確かに近づいてくる。
雪が積もり、根雪になり、軒先の氷柱が伸びて、また少し縮む。カレンダーの上を、冬が着実に歩いていく。セリーヌさんが此処にいられる残りの日々が、誰に急かされるでもなく、静かに減っていく。
答えを、出さないでいる。
それは、答えを出さないという答えを、毎日選び続けることと同じだった。
夜、寄宿舎の窓から凍った中庭を見下ろしながら、私は右の手首の石にそっと指を当てる。火の核は、温かい。この温かさと、あの誘いと、昼の冷えと。ぜんぶを抱えたまま、私の十三歳の冬は、答えの出ないまま更けていった。
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