第3話「揺らぐ火」後半①
——旧図書室を出ても、私の頬はまだ熱い。
眼鏡を外した。本当の水を見せた。火と水を混ぜた、星屑みたいな湯気。アルフォンス様が、私の素顔を逸らさずに見ていた。そのぜんぶが、まだ私の中で、温かく渦を巻いている。
私はいつもの猫背気味の歩幅で、夕方の回廊を、寄宿舎のほうへ歩いていった。
——揺らぐ火のことは、まだ何も分からない。
それでも今日は、その不安よりも、頬の熱のほうがずっと勝っていた。
中庭に面した回廊の、柱の連なるあたりだった。
私の足が、ふと止まった。
回廊の少し先、夕日の陰になった柱のそばに、二人の人影が立っていた。
ひとりは、アッシュブラウンの長い髪。
——セリーヌさん。
そしてもうひとりは、プラチナブロンドを結い上げた、すらりとした令嬢だった。
——カトリーヌ様。
二人は、向かい合って、何か言葉を交わしていた。
セリーヌさんの穏やかな微笑。カトリーヌ様の、完璧に整った横顔。傍から見れば、ただの令嬢同士の、上品な立ち話に見えただろう。
けれど、私の足は、動かなくなっていた。
声は、聞こえなかった。何を話しているのかは、まるで分からない。それでも、共鳴系の私の肌だけが、その二人のあいだに流れているものを一筋だけ拾っていた。
ひやりと細い、固くて冷たい色。
それは、北廊下でカトリーヌ様から感じた、あの冷たさだった。そしてその冷たさのすぐ隣に、いつかの夜のあの藍色の温度が、薄く寄り添っていた。
外から来たセリーヌさんの藍色と、学院の中のカトリーヌ様の冷たさ。
本来なら交わるはずのない二つの色が、いま夕日の陰で、静かに触れ合っていた。
——どうして、あのお二人が。
私には、その意味が分からなかった。
セリーヌさんは、母様の昔を教えてくれる人。カトリーヌ様は、実技棟の日からずっと、私の力をうかがっていた人。その二人に、接点があるなんて、考えたこともなかった。
そのとき、夕日の角度が、わずかに変わった。
カトリーヌ様の結い上げた髪に、銀色のものが、きらりと光った。
——星型の、髪飾り。
実技棟のあの日、私の内側の水を探ってきた、あの増幅系の魔道具。アルフォンス様に「外せ」と言われてから、教室では見かけなくなっていた、あの星。それを、カトリーヌ様は、また着けていた。
くすぶっていた火が、もう一度、灯っていた。
そのことに、私の背筋が、ひやりと冷えた。
長くは、見ていられなかった。
立ち去ろうとして、私が一歩、後ろへ引いたときだった。
カトリーヌ様の視線が、ふいに、回廊のこちらへ流れる。
その深い色の瞳が、ほんの一瞬、私を捉えた——気がした。
確かめる前に、私は柱の陰へ身を引いて、足早にその場を離れた。心臓が、いつもより速く鳴っている。見ていたことを、見られたかもしれない。けれど、振り返って確かめる勇気は、もうなかった。
寄宿舎へ戻る道は、もう、すっかり暗くなりかけていた。
さっきまで頬にあった熱は、いつのまにか引いていた。眼鏡を外して、火と水を混ぜて、星屑が散ったあの温かい時間。それが、急に、ずっと遠いことのように思えた。
私は右の手首のブレスレットに、左の手を重ねた。
アルフォンス様と分け合った、温かい火。私が自分の意志で外して見せた、本当の水。それは確かに、今日、私の手の中にあったものだった。
——でも。
その温かいものを、私が大事に温めているあいだに。
その外側で、触れてはいけない二つの色が、もう繋がってしまっていた。
揺らぐ火も、母様の昔も、あの藍色も、あの冷たい星も——そのどれもが、まだ私には分からなかった。
分からないまま、私の知らないところで、何かが確かに動き出している。
私は、暗くなった回廊を振り返らずに、寄宿舎の灯りのほうへ歩いた。
右の手首の火の核だけが、暗がりの中で、私の味方のようにひとつ灯っていた。
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