第3話「揺らぐ火」前半①
——最初に気づいたのは、朝のことだった。
教室の自分の席に座って、ノートを開いたときだった。右の手首のブレスレットの薄水色の石の奥で、アルフォンス様の火の核がいつもの灯りから一度だけ、ことりと外れるように揺れた。
ほんの一瞬で、すぐに元の温度に戻った。
そのときの私は、まだ深く考えなかった。共鳴系の私の体は、火の核の小さな機嫌の変化を拾うことがときどきあった。だからその日の一度きりの揺れも、そういうものだと思っていた。
けれど、それは一度きりではなかった。
昼休みに旧図書室へ向かう廊下で、もう一度。午後の実技の授業で水の膜を薄く張ったときに、また一度。火の核は私が思い出したころに、ふいに灯りを乱して、また何事もなかったように戻っていった。
決まった時に揺れるのでもなかった。私が何かをしたから揺れるのでもなかった。アルフォンス様が近くにいる時も、遠い時も、関係がないようだった。
ただ、火の核は、揺れた。
一日のうちに、数えれば四度。
——アルフォンス様は、気づいていらっしゃるのだろうか。
そう思いながら、私は放課後の旧図書室の重い扉を押した。
長机の向こう側のテオ様の椅子は、放課後はいつものように空いていた。その手前のこちら側に、漆黒の制服の輪郭が、低い角度で座っていた。アルフォンス様だった。
「来たか」
「……はい」
私はその隣の席に腰を下ろした。
「火が、変だ」
アルフォンス様のほうから、先に言った。
金の瞳が、自分の革手袋の指先へ向けられていた。アルフォンス様は、火属性だ。自分の中の火のことなら、私よりずっと正確に分かるはずだった。
「今日、何度か、芯が落ち着かなくなった。理由は、わからない」
「……私の手首の火の核も、同じです。今日、四度、揺れました」
私がそう言うと、アルフォンス様の金の瞳が、こちらへ上げられた。
「お前のところでも、か」
「はい」
私の右の手首のブレスレットの中の火の核は、もともとアルフォンス様の火から分けてもらったものだった。だからアルフォンス様の火が乱れれば、私の手首の核も同じように乱れる。それはわかる。けれど今日の揺れは、アルフォンス様の機嫌でも、私の感情でもないところから来ているようだった。
「お前の、水のせいか」
アルフォンス様が、低く訊いた。
「……わかりません」
私は、正直にそう答えた。
セリーヌさんに古代水術式を教わるようになってから、私は自分の中の水を、前よりも深いところまで触るようになっていた。
水の声を聞く。水のほうから動いてもらう。
その練習を重ねるたびに、私の中の水は少しずつ目を覚ましかけているのかもしれなかった。
その目覚めかけた水が、アルフォンス様の火に、何かをしているのだろうか。
——わからない。
でも火が揺れ始めたのが、古代水術式を教わり始めた頃とちょうど重なっているのは、たしかだった。
私は、そのことを、アルフォンス様には言わなかった。セリーヌさんのことを話すには、私の中で、まだ整理のつかないものが残っていた。
「無理に水をいじるな」
アルフォンス様は、それだけ言った。
「火が揺れるくらいなら、放っておけばいい。お前が無茶をするほうが、よほど嫌だ」
ぶっきらぼうな言い方だった。でもその奥に、私を案じる温度があるのは、共鳴系でなくても分かるくらいだった。
「……はい」
私は、小さく頷いた。
夕方の光が、書架の谷間を横切って、長机の端にあたっていた。アルフォンス様の漆黒の制服の肩に、その光がひと筋のせられて、すぐに翳った。窓の外の中庭の木が、もう一段だけ赤くなっていた。
秋が、深まりかけていた。
寄宿舎へ戻る北廊下で、私はもう一度、右の手首のブレスレットを左の手のひらで確かめた。
火の核は、いまは静かに灯っていた。
——温かい。
その温かさだけは、いつものとおり、迷わなかった。
けれど、その温かさの奥で、火がいつまた揺れるか分からないという小さな不安が消えずに残っていた。
——揺らぐ火。
それが何の兆しなのかを、私はまだ、知らなかった。
その日の夜、寝る前にもう一度確かめた。火の核は五度目の揺れをひとつ、私の手首の上で見せた。
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