第2話 碧海の歌・4
「でも……僕は……やらないと。この町の……連中に……」
「ねぇ、美方くん。八年間、ずっと嫌なことばっかりだったの? そんなことないでしょ。八年も住んでたんだから、この町のいいところもいっぱい知ってるはずだよ。そういうものも全部、深海に沈めちゃうの? 美方くんをここまで育ててくれた親戚の人たちとか、美方くんの住んでるおうちとか……」
ウミグモ深海獣は明らかに動揺しているようだった。
「う……う……あ、あぁ……っ!」
その時だった。入江の水面いっぱいに、巨大なイカのような人間のような影が投影される。その両目は、赤く光り輝いていた。
「美方正治よ。お前の憎しみはそんなものではないはず……。殺せ、魔法少女を殺せ」
「あれは……深海帝国アビサルの総帥、溟海のクラウス!」
イルが叫んだ。
「総帥……!? じゃあ、あいつが美方くんのことを!」
しかし、影はみなもが何をするよりも先に、水面を揺らぐようにして消えていった。
次の瞬間、ウミグモ深海獣が咆哮した。そしてみなもの方へと腕を叩きつけてくる。みなもは砂浜を転がってそれをかわした。
「しまった!」
とイルが言った。
「深海獣と同化している期間が長すぎたんだ! 今、美方くんは暴走状態にある!」
「どうすればいいの?」
みなもは立ち上がりながら尋ねた。
「変身して、歌の力で美方くんを浄化するんだ! 今ならきっと、心の壁は取り払われているはず!」
「わかった!」
そしてみなもはアクア・コンパクトとアクア・チャームを取り出す。チャームを掲げる。
「ドレスアップ!」
コンパクトを開き、チャームを差し込んだ。アクア・コンパクトから青い光がほとばしり、みなもの身体に魔法少女サファイアのコスチュームが装着されていく。みなもは空中へと跳躍した。ポニーテールが解かれて髪が青く染まり、長く伸びる。両脚が人魚の尾びれに変わる。地面に着地をする前に、みなもはコンパクトの表面を二回押した。尾びれが光の粒子となって弾け、人間の両脚が飛び出す。マーメイドドレスからアクアドレスへとドレスチェンジをする。
そしてみなもは地面に降り立った。コンパクトが腰のポシェットに収まる。
「響け! 碧海のメロディー! 魔法少女サファイア!」
みなもは決めゼリフを言った。
「うおぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ウミグモ深海獣が突撃してくる。
「うあっ!」
みなもの身体に、ウミグモ深海獣の腕が直撃し、火花が散った。みなもはよろめいた。
「って、戦い方がわかんない! どうすればいいの!」
「落ち着いて! 大丈夫、わかるはずだよ!」
イルが言う。
「落ち着いて……」
みなもは自分自身に言い聞かせた。そして頭の中にイメージが湧いてくる。
「いける!」
みなもは右手を突き出した。そこに泡が生じ、泡はみるみるうちにマイクの形に変わった。マイクセイバーだ。
みなもはマイクを逆手に持ち、赤いスイッチを押した。マイクの尻から銀色のブレードが生成される。マイクセイバーがセイバーモードになった。
「やぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
みなもはマイクセイバーでウミグモ深海獣の身体を斬りつけた。ウミグモ深海獣は後退する。
「美方くん、今、助けるからね!」
みなもは言った。そしてセイバーを逆手に持つ。青いスイッチを押すと刃がグリップに収納され、マイクセイバーはマイクモードへと変わった。
「みなもちゃん! そのまま、みなもちゃんの歌で浄化をするんだ!」
イルが叫んだ。
「うん、わかってる!」
みなもは両目を閉じた。そしてふたたび開いた時、どこからともなく音楽が聞こえ始めた。明るいポップス曲のような音楽だ。
みなもは知っていた。この歌の曲名は『碧海のレゾナンス』だ。そしてみなもは口を開く。音楽に合わせて歌を歌い始める。
ウミグモ深海獣の動きが止まった。音楽の力が効いている。ウミグモ深海獣は両腕を下ろした。
曲がクライマックスに達した頃、ウミグモ深海獣の胸部から黒い真珠のような石が飛び出し、そしてそれは空中で消滅した。それと同時に、ウミグモ深海獣の姿が美方正治のものへと戻る。
みなもは歌をやめ、正治に駆け寄って、地面に倒れる彼の身体を抱きとめた。
「まさか……本当に僕を救うなんてな」
正治は言った。
「忘れてたよ……この町にも、僕の好きな物はあった。それなのに……」
「ううん、いいんだよ。海が怖いんなら、ほんの少しずつ好きになっていけばいい。過去を克服する速さなんて、人それぞれだと思うからさ」
正治は立ち上がった。
「あんたが魔法少女だってことは、黙っておいてやるよ。色々、事情とかあるだろうからさ」
正治は倒れている航太の方を見た。
「じゃあ、ありがとうな」
そして正治は立ち去っていく。
みなもの傍にイルが飛んできた。
「さっ、早いとこ変身を解除しないと。航太くんが目を覚ます前にさ!」
「そ、そうだね!」
言ったところで、航太がむっくりと起き上がった。
「あれ……僕……」
焦点の合わない目で周囲を見回す。それからみなもの方に目を向けた。
「あっ、君は……人魚の……。もしかしてまた君が助けてくれたの?」
「う、うん、そんな感じかな……。じゃあねっ!」
みなもは航太のもとから駆け出していた。
*
海中に、ボロボロの帆船が浮かんでいた。深海帝国アビサルの拠点「幽霊船」だ。その船の一室、三本の滝が流れている部屋があった。
そこに、三人の影が投影される。ひとりは溟海のクラウス。そしてもうひとりは魔女のような女の影、それからもうひとりはサメと人間とが融合したような大男の影だ。
「魔法少女が現れた」
クラウスは言った。
「魔法少女……?」
女が眉をひそめた。
「魔法少女など、この憤怒のギガロが叩き潰してくれるわ!」
サメの大男が言う。
「魔法少女を侮らない方がいいわよ」
女はギガロに忠告する。
「次は……誰が行く?」
クラウスが問う。
「私が行きます」
女が答えた。
「クラウス様の手を煩わせるまでもありません。この泡沫のシレーナが、必ずや地上を手に入れて、クラウス様に献上して差し上げましょう」




