第2話 碧海の歌・3
「痛っ! ってなんでみなもが怒るんだい?」
航太は顔を上げた。
あぁもう最悪だ。つい怒ってしまったけど、これじゃあ私ってわけのわからないことで怒り出す変な人じゃん。やっぱり断るべきだったんだ。どんな言葉を使ってでも。
「人魚はアイドルと同じだからトイレなんてしないの」
みなもは言った。
「えぇっ、アイドルってトイレしないの?」
この男は本当に……。
その時だった。背後に気配を感じて、みなもと航太は振り返る。そこに立っていたのは、みなもも知っている人物だった。
「美方……くん?」
美方正治。クラスメイトである。でも、あんまり話したことはない。
正治は考えた。噂を流した張本人が来ているのはわかる。でも、もうひとりは誰だ?
「あ、えっと……紹介するよ」
とみなもが言った。
「この人はクラスメイトの美方正治くん。それからこっちは隣のクラスの岬航太くん。海洋生物研究部の部長で、唯一の部員でもあって……」
あぁ、そういうことか。と正治は考える。海洋生物研究部なら、未知の海の生き物に興味を持つのも自然なことだ。でも、どうする? まさかこんなに人が集まってくるとは思ってもいなかった。正直に言って、邪魔だ。始末するか? いや、無意味な殺人は避けたい。問題の人魚が現れてから考えよう。アクア・ドームを使うまでもない。人間ふたりくらい、簡単に始末できる。
「君も……人魚を見に来たの?」
航太が正治に話しかけた。
「うん……」
正治は答えた。
「海が好きなんだ」
心にもないことだった。僕は海が大嫌いなはずなのに……。
「へぇ、私もだよ! 私たち、意外と話が合うかもね」
みなもは言った。
「人魚……現れるといいな」
正治は言う。
みなもは正治の姿を見て考える。あの噂を聞いてやってきたってことは……美方くんが深海獣の正体? でも、そんなことってある? だって美方くんは私のクラスメイトなのに。私と同じ中学生が、あんな恐ろしいことをするなんて……。
「美方くんは……」
とみなもは言った。
「この町のこと、好き?」
「え?」
正治は目を丸くして、みなもの方を見た。
「私は大好きだよ、この町。大好きな海に囲まれてて……住んでる人はみんな優しくって。だからね、私みたいな一介の中学生に何ができるのかはわからないけど、この町のこと、守りたいって考えている」
やめろ……そんな話をするな! 正治は叫び出したい気持ちになっていた。どうしてそんな話をするんだ! 星乃みなも! 僕はこの町が嫌いだ! この町も、海も大嫌いなんだ!
正治は考える。人魚が現れるのを待つまでもないのかもしれない。僕は……こいつらを!
そして正治は、ウミグモ深海獣へと変身を遂げた。
「え……美方……くんが?」
「なっ……化け物!」
みなもよりも先に、航太が動いていた。彼はみなもを庇うように彼女の前に立つ。
「邪魔だ!」
そんな航太を、ウミグモ深海獣は振り払った。航太の身体が宙を舞い、岩壁にぶつかる。地面に倒れた航太は気を失っていた。
「航太くん!」
みなもは叫ぶ。
「美方くん……どうして……。だって海が好きだって……」
「そんなもの全部嘘だ! 僕は海が嫌いだ! 海を愛しているとかいうこの町の奴らも全員嫌いだ! こんな町なんて……海の恐怖を味わいながら、深海に沈んでしまえばいい!」
イルがスクールバックの中から飛び出してきた。
「みなもちゃん! 早く! 変身して戦うんだ!」
「ううん、戦わないよ。だって私には変身して戦うよりも前に、やるべきことがあるから!」
「変身? そうか……あんたが魔法少女だったんだな」
ウミグモ深海獣は言う。
「どうしてなの? どうしてそんなに海を憎むの?」
みなもは言った。
「海もこの町も……あなたに何をしたって……」
「わからないだろうなぁ。あんたには。僕のこの孤独が! 海によって全てを奪われた、僕のこの憎しみが!」
「海によって……全てを奪われた?」
「八年前の地震を覚えてるか?」
みなもは頷いた。あれは、全国的に衝撃の走った震災だった。そしてみなもはハッとする。あの震災の時、被災地の人たちにいちばん被害をもたらしたのは……。
「津波……」
「そうだ。僕は津波で両親を失った。それから、親戚を頼ってこの町に来た。海は僕の両親を奪った憎い存在だ。そんな海を盲目的に愛している、この町の住民だって、みんな沈んでしまえばいい!」
「盲目的じゃないよ」
みなもは言った。
「決して……盲目的なんかじゃない。ここの人たちだって、海の怖さは知ってる。海の事故だってある。この前だって……水龍丸って漁船が海に出たきり帰ってこなくなった。でも、それでもみんな、海が好きなんだよ。確かに海は怖いところだってある。でも、私たちにもたらしてくれるものもあるから。美方くんの出身も海のある町なんでしょ? だったら、海のめぐみとかだって……」
「そんなもの知るか! 僕はアビサルと契約した。この町を、いや、地上に住むすべての連中に海の怖さを味あわせてやるってな! アクア・ドームを使うまでもない。まずは魔法少女、お前からだ!」
ウミグモ深海獣はその節足動物のような腕を振り回してみなもに襲いかかってきた。みなもは深海獣の攻撃を次々とかわす。
「自分が怖い思いをしたからって! その思いをみんなに強要するわけ!?」
「うるさい! 黙れ! さぁ変身しろ! 僕はもう逃げない! 今度こそあんたと戦って、倒してやる!」
「変身しないよ! 私の力は、戦うためにあるんじゃない。人を救うためにあるんだから!」
みなもは言い返す。
「じゃあ、ここで殺してやる!」
ウミグモ深海獣はみなもの身体を殴り飛ばした。みなもは砂浜に背中を打ち付ける。さらにウミグモ深海獣はみなもにトドメを刺そうと右腕を振り上げた。
だが、そこで、ウミグモ深海獣の動きが止まる。
「美方……くん?」
「駄目だ……僕にはできない。クラスメイトを殺すなんて……そんな……」
「美方くん、それが美方くんの優しさだよ」
みなもは言った。
「美方くんに、この世界を深海へ沈めることなんて、できない」




