第2話 碧海の歌・1
ウミグモ深海獣がみなもめがけて突進してきた。
「えっ……く、来るんだけど!」
みなもは言う。
「落ち着いてみなもちゃん! 今のみなもちゃんには戦う力が備わっているよ!」
イルが言った。
「こ、来ないでっ!」
みなもはそう言いながら、必死にどう攻撃をしようか考える。そして、身を翻して尾びれをウミグモ深海獣の身体におもいきり叩き込んだ。
ウミグモ深海獣は水底に落下する。
「や……やった!」
みなもは小さくガッツポーズをきめると、沈んでくる渚の方へと泳いでいく。
そしてその身体を受け止めた。
みなもは尾びれで水を蹴り、水面へと向かう。
*
「渚ーっ! 渚ーっ!」
航太は叫んでいた。水の中に消えた渚が戻ってこない。やっぱり、渚は泳げないから溺れてしまったのだろうか。僕が助けにいかないと。そう考えて水面に飛び込もうとした時、向こうの水面から渚を抱えて飛び出してきた者を見つけた。
それは、青い髪の人魚だった。
「え……」
航太は目を丸くする。
「人……魚……?」
みなもは近くのマンションの屋上に着地をしようとする。そしてはたと気がついた。このままじゃ……地面に立つことができない。
ぶつかる……!
みなもは目をつぶった。だがそこで、イルが叫ぶ。
「みなもちゃん! ドレスチェンジだよ! マーメイドドレスからアクアドレスにドレスチェンジをして!」
「どうやって……」
みなもは目を開いた。いや、わかる。戦い方は頭の中に自然と湧いてくる。
みなもは気を失っている渚の身体を空中に放り投げた。そしてポシェットからアクア・コンパクトを取り出すと、その表面を二回押した。コンパクトから軽やかなメロディーが流れて、みなもの尾びれの鱗が光の粒子となって弾け飛ぶ。
みなもの下半身は、人間の、二本の脚となった。
みなもはコンパクトをポシェットに戻すと、空から落ちてくる渚を受け止めた。そして屋上に着地をする。
ちょうどそれと同時に、屋上に航太が飛び出してきた。
航太はこっちに向かって走ってくる。
「渚!」
航太は言った。
みなもはゆっくりと、気を失ったままの渚を床に下ろす。
「君は……」
航太がみなものことをじっと見つめて言った。
「魔法少女……サファイアだよ」
みなもは答えた。
それから航太に背を向けて、マンションの屋上から水面に向かって飛び降りた。
「じゃっ」
「ま、待ってっ!」
航太はそれを追いかけようとするが、水面を覗き込んでも、もうそこにみなもの姿はなかった。
空の、雲が割れ始めた。雨がぴたりとやんだ。
*
みなもは水中で、ウミグモ深海獣を探した。今度こそ戦って倒さないと。でも、その姿が見つからない。一体どこへ……。そう思っていると、周囲の水が、消え始めた。
「えっ?」
みなもが戸惑っていると、浮力が失われ、みなもは地面に落下する。コンクリートに頭を思い切り打ち付けて、涙目になる。
「い……たた……。変身してなかったら死んでたって!」
気がつくとみなもは何の変哲もないただの町の中にいた。さっきまで町を覆っていた海水も、それに雨を降らせていた雨雲もない。
周囲を見回すと、なぜかバスの上に何人もの人が乗っていた。
「あれ……俺たち……」
その人たちもきょろきょろと周囲を見回していた。
「今のは……夢? でも、妙にリアルだったような……」
みなもは地面に手を伸ばす。地面は何事もなかったかのように乾いている。
「逃げられたんだね」
イルが傍に飛んできた。
「ウミグモ深海獣にさ」
「逃げた……?」
みなもは言う。
「どこに、逃げたの?」
「それは……」
イルは少し口ごもる。それから続けた。
「深海獣は人間の負の感情を核としているんだ。それがどういうことか、わかるかい? 負の感情を持った人間が変身しているってことだよ。深海獣が破壊する意思を失って変身を解けば、アクア・ドームだって消える。そういうことだよ」
「ちょっと待って! 深海獣って元々人間なの?」
「うん、そうだけど……」
「じゃあ、私は人間と戦わなきゃいけないってこと? 人間と戦って倒して……」
「違うよ、深海獣になってしまった人間を、元に戻すんだ。方法はきちんとある」
「それって……」
「アクアドレスの時に、歌を歌うんだ。深海の呪いを解き放つ歌をね。歌を聴いてもらうには、相手の心の壁を取り払う必要があるけど……でも、そうすれば深海獣になった人間を元に戻すことができる」
「歌……。って私、歌、苦手だよ! カラオケでも六十点台しか取ったことないよ!」
「ま、まぁ歌は上手さじゃなくて心だから……」
「どうして顔をそむけるの!」
「そんなことより……みなもちゃん、目立ってるよ」
いつの間にか集まってきていた通行人によってみなもの格好は好奇の目に晒されていた。
「何あれ……コスプレ?」
「可愛い!」
「今日は洪水の幻を見たり……なんか変な日だな」
みなもは路地裏に逃げ込むと、コンパクトからチャームを引き抜いて、変身を解除した。みなもの身体が銀色の光に包まれて、一瞬にして魔法少女サファイアから星乃みなもへと戻る。
「イル、じゃあまずは深海獣の変身者を探さないとだね。そうしないと……その人の心の壁を取り払うこともできなくって……」
「お、やる気出してきたね」
「当たり前でしょ?」
みなもは言った。
「町をあんなことにされて、渚ちゃんだって航太くんだって大変な思いをして……。私が、できることをしないと!」
*
ウミグモ深海獣はそこから少し離れた路地裏をふらつきながら歩いていた。そして変身を解除する。現れたのは正治だった。
正治は近くにあったドラム缶に溜まった汚水を覗き込む。汚水に映った自分の姿が、イカのような黒い影、溟海のクラウスへと変化する。
「クラウス……聞いてないぞ! あんな……あんなやつがいるなんて! おかげで僕の計画は台無しだ! この町の連中に、海の恐怖を味あわせてやるっていう僕の計画が!」
「落ち着け……」
とクラウスは言った。
「すべて計画の範囲内だ。やつらは魔法少女。しかし恐るるに足りない。お前の心の闇は、やつらにどうにかできるほど浅くはないはずだ。もう一度だ。もう一度戦うんだ」




