第1話 人魚の戦士・4
「えっ、やだっ、靴が濡れちゃう!」
渚は言った。雨はみるみるうちに降りしきってきて、道は川のようになっていた。
「おかしい……」
航太は近くのマンションの入口で雨宿りをしながら眉をひそめた。
「昨今の異常気象とはいえ……こんな短時間に雨がたくさん降るなんて……」
ふたりは今、マンションの入口の階段を少し上がったところにいる。道の水深は数十センチくらいの深さになっているのがわかった。水が溢れていく速さが、異常だ。まるで……何かに堰き止められているかのように……。
*
雨は強まる一方だった。
「この雨……『アクア・ドーム』……」
イルが窓の外を見て呟いた。
「アクア……何?」
「アクア・ドームだよ! アビサルの深海獣が現れたんだ!」
「えっ、いきなり!?」
イルは一目散に窓から飛び出していこうとする。そして窓ガラスに頭をぶつけた。
「痛い……」
イルは頭を赤く腫らして言った。
「窓、閉まってるから……」
「とにかく、行くよ! みなもちゃん! 深海獣が現れたのなら、止めないと!」
「止めるって……」
「みなもちゃん、窓を開けて!」
「えっ、でも……」
「このままだと、町が海に沈んじゃうよ!」
それは困る。大好きな星ヶ丘の町が、そんなことになるなんて……。
「わかった。でも私、戦い方とかわからない。だから一緒に戦って、イル!」
「うん、もちろんだよ!」
*
水はみるみるうちに増えていき、マンションの一階部分は完全に水没していた。渚と航太はマンションの階段を駆け上がる。
「やっぱり……異常だって、この状況!」
航太は言った。
「きゃっ」
踊り場に駆け上がった時、渚が床に足を滑らせて転んでしまう。
「大丈夫?」
航太が右手を差し出した。
「う、うん……」
そう言いながらも渚は口元に手を当てた。
「どうしたの?」
渚が言う。
「この水……」
「え?」
「しょっぱい……」
航太はマンションの外に手を伸ばす。
そして雨水を口に入れて、顔をしかめる。
「これ……海水だ。海水の雨って……」
*
下り坂に差し掛かったところで、みなもは足を止めた。その先の町が完全に水没している。
「どういうこと……? なんだかまるで、町が海に沈んでるみたい……」
「これが、アクア・ドームだよ」
イルがみなもの傍を飛びながら言った。
「直径百メートルくらいのドーム型の異空間。そこに堰き止められた雨水は、周囲を水没させて、深海獣が倒されない限り、拡大を続ける。最終的にはこの世界を丸ごと包み込んで……世界を完全な深海に沈めてしまうんだ」
「どうすれば……。ううん、いける!」
みなもは傘を投げ捨てた。
「みなもちゃん!」
「私、水泳部だから! 深海獣っていうの? とにかく、その敵を見つければいいんでしょ?」
そして制服姿のまま、水面に飛び込んだ。
「みなもちゃん、待ってよ!」
イルも水の中に飛び込む。
*
渚と航太はマンションの最上階から町を眺めていた。もう、町はマンションの半分くらいを水底に沈めている。
そんな町を見て、渚はあるものを見つけた。
「見て!」
渚が指をさした先に、一台のバスが浮かんでいた。そのバスの上に、逃げ遅れた人たちが何人も、しがみついている。
「あの人たち、流されちゃう! 助けないと!」
渚は言った。
「でも、君は泳げないんじゃ……」
「困ってる人を……見過ごせない!」
渚は大きく息を吸うと、水面へと飛び込んだ。
「渚!」
航太が右手を伸ばす。
*
「う……う……ぁ……」
飛び込んだはいいけど、その後のことを考えていなかった。渚はゆっくりと水底へ沈んでいく。
あぁ……死ぬんだな、私。合唱大会……指揮者として頑張らなくちゃいけなかったのに……。
そんな渚の姿を、水底からみなもが見つけた。
渚ちゃん! 心の中で叫び、脚で水を蹴って進む。
その時だった。何かが水中でみなもにぶつかってくる。
何……!? 見るとそれは、異形の怪物だった。怪人のようである。茶色い甲殻に覆われた身体、そして節のある手脚。人型をしているものの、別の生き物も融合しているように見えた。あの生き物は……。みなもは航太のいる理科室で見た、海の生き物の図鑑を思い出す。
ウミグモ……? ウミグモの怪人……?
「ウミグモ深海獣だよ!」
なぜか、水中なのにイルの声がはっきりと聞こえた。
ウミグモ深海獣がこっちに向かって泳いでくる。どうすれば……。
「みなもちゃん! これを使って変身して!」
「え……?」
イルの方を見ると、金色の光が集まってふたつのアイテムを生成していた。ひとつは白い貝殻の形を、そしてもうひとつは、金色の小さなキーホルダーの形をしている。キーホルダーは、トビウオのようにも見える。
みなもは水中で頷いた。
そして水をかいて貝殻とキーホルダーを手に取る。
その瞬間、みなもの中にイメージが湧いてきた。これなら……いける!
みなもはキーホルダーを持った右手を天に掲げる。そして貝殻の下のスイッチを押して、それを開く。貝殻の中には、ちょうどキーホルダーが収まりそうな穴があいていた。貝殻は「アクア・コンパクト」、キーホルダーは「アクア・チャーム」という。
みなもは水中にもかかわらず、口を開いた。今なら水中でも地上のように声を発することができる。そんな気がした。
「ドレスアップ!」
みなもは叫ぶ。そしてアクア・チャームをアクア・コンパクトに差し込んだ。その瞬間、アクア・コンパクトから青い光がほとばしり、みなもの身体に青いドレスが装着されていく。ドレスは、ところどころ鱗のようなデザインに覆われていた。ポニーテールは解かれ、髪が少し長く伸びる。その色は、元の黒色から青いものへと変化した。
そして、脚がなかった。脚の代わりに、人魚の尾びれがついている。腰に取り付けられたポシェットに、アクア・コンパクトが収まった。
みなもは水中なのに息ができるのを感じていた。
「息が……できる……。というか脚がない! どうして!?」
「人魚だからね……」
イルが言った。
「とにかく、やるべきことはわかってるよ」
そしてみなもはウミグモ深海獣を見据えて叫んだ。
「響け、碧海のメロディ! 魔法少女サファイア!」




