第1話 人魚の戦士・3
気がつくと、机の上に、見たこともない小さな生き物が立っていた。
クリオネのようにも、イルカのようにも見える。
「な、何……?」
みなもは目をこする。何度目をこすってもそいつはいる。どうやら見間違いとかそういうのじゃなさそうだ。
「まったく……」
そしてそいつは喋り始めた。
「地上の女の子はみんなこんなに乱暴者ばっかりなのかい? いきなりカナヅチを振り上げるなんてさ」
「しゃ、喋った……?」
みなもはハンマーを床に落とす。ガンッとものすごい音がした。
「そりゃ喋るよ。ボクはイル。人魚族の聖獣さ」
「に、人魚……?」
「あぁ、人魚だ。どうかしたの?」
「だって人魚って……」
おとぎ話の中の存在でしょ? と言いかけてみなもは口を噤んだ。よく考えたら、この目の前にいるイルとかいうよく分からない生き物だって、ものすごくおとぎ話的じゃないか? だいたいなんなのだろうか、生き物の種類がはっきりしない。どっかの研究所に預けて、解剖とかしてもらおっかな。
「乱暴な上に目の前のものすら信じようとしない。地上人ってば、困ったものだねぇ」
イルはため息をついた。
なんというかこの生意気な態度、ものすごく頭にくる。
「別に私が何を信じようと信じまいと、それは勝手でしょ?」
「勝手かもしれないけど……言わせてもらうけど……星乃みなもちゃん、君は人魚の血を引いているよ」
「は? え? いや、私の両親は普通の……」
どうして私の名前を知っているのだろうと思いながらも、みなもはそう言った。
「その前は? さらにその前は? それよりもずーっとずーっと前は? どうなのさ。知ってるかい? ずっとずっと前のご先祖さまがなんだったのか」
「それは……」
「知らないだろうねぇ。昔話をしよう」
イルはそう言った。
「むかーしむかし、人魚と地上の人間とはお互いに適度な距離を保ちつつも共存していた。そしてある時、人間の男が、人魚の女と交わって子供をもうけた。そのうち、人間に近かった者は人間界に留まり、人魚の特性を持つ人間になった。一方、人魚に近かった者は人間に近しい人魚になった。でも、人間と人魚の共存は長くは続かなかった。人間はかつて海と共存していた時代を忘れ、そして海を汚し始めた。人魚は絶滅した。でも、ある人魚が、人魚族の聖獣だったボクをこのタイムカプセルに封じ込めたんだ。来るべき日が来る時のためにね」
「来るべき日……?」
「人間のエゴは留まるところを知らない。海を汚し、お互いに憎みあい……そして、その醜い心は汚れた海の水と共鳴する。そして生まれたのが、深海に溜まった汚い水と、そして人間とのエゴが混ざりあった存在、深海獣だ。深海獣を統べる存在、深海帝国アビサルが活動を開始した時、かつての人魚の宮殿の塔に封印されていたボクは地上の海岸に流れ着き、そして人魚の血を引く少女と出会い、契約を結んで人魚の戦士として目覚めさせるんだ。でもまさか、人魚の血を引く女の子が、こんな乱暴な子だったなんて……」
「ねぇ、間違いとかじゃないの? たしかに私、水泳部だし、人魚の血を引いてるけど……でも、私より泳ぎが上手い子だっていっぱいいるし……」
「でも、ボクを封印していた貝殻を見て、感じるものがあったんでしょ? そしてボクを家に持ち帰った。うん、ボクは全部の話を貝殻の中で聞いてたからね、タイミングを見計らって出てくるつもりだったんだ。でもまさか、貝殻を壊そうとするなんて思わなかったよ。恐ろしい恐ろしい……」
「百歩譲って……」
とみなもは言う。
「百歩譲ってイルの話が全部本当だったとするよ。そしたら、私はどうすればいいの? イルは私にどうして欲しいの? だいたい、深海帝国アビサルなんて国、聞いたことないし……。変な国が暗躍してるんなら、日本政府に言えばいいんじゃない? 自衛隊とか」
「魔法少女」
とイルは言った。
「魔法少女?」
「あぁ、魔法少女に変身してほしいんだ。人魚の血を引く地上の女の子は魔法少女に変身できるって伝説がある。魔法少女に変身すれば、アビサルの深海獣から地上を……いや、それだけじゃない、海を守れるんだ。だからみなも、ボクと契約を結んで、魔法少女になって欲しいんだ」
「契約契約って」
みなもは右掌を突き出した。
「結べません。だってそんな怪しい契約、詐欺かなんかじゃないの?」
「違うよ! こんなんで騙せるなんて、微塵も思ってないからね! ボクはさ!」
「うーん、でもやっぱり、私には想像できないや。だってまだ見たこともない怪物と、見たこともない力を使って戦えだなんて……。たしかに海は大好きだし、この星ヶ丘の町だって大好きだけど、でも、それで戦えるかって言われるとちょっと……」
みなもはそう言うと、窓の外に目を向けた。
「あれ、雨……」
さっきまで晴れてたのに、変わりやすい天気もあったものだなぁ。
雨は窓に叩きつけるようにして降っている。
*
雨が降る少し前の時間、渚と航太は、ふたりで帰っていた。
「まったく、みなもちゃん、先に帰っちゃうんだから。やっぱりまだ怒ってるってこと? こうなったら作戦変更。航太くん、みなもちゃんに謝ってきてよ」
「え? どうして? 僕、なにか悪いことしちゃった?」
「はぁ……この無自覚、馬鹿!」
渚は航太にスクールバッグを投げつけそうになり、思いとどまる。今日は二回目だ。あんまりやりすぎると私の評判が暴力的な女の子で固まってしまう。程々にしておかないと。
そこで航太が立ち止まった。
「あ、雨だ……」
空を見ると、さっきまで晴れていた空がいつの間にか雲に覆われている。そしてそこから、雨がぽつぽつと降り始めていた。
「嘘っ、傘持ってきてないのに!」
渚は言った。
雨はみるみるうちにざぁざぁと降ってくる。
ふたりはスクールバッグを頭の上に掲げて走り出した。
「雨宿り……しないと!」
*
ビルの屋上から、美方正治は町を見下ろしていた。さっきまでの天気が嘘のような集中豪雨だ。
「沈め……沈め……」
彼は呟いていた。




