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「連載版」「命の番」ですって?大変ですわ、神殿に正式照会いたしましょう  作者: 夢見叶
第2章 偽聖女は、孤児の涙で笑う

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第9話 証明とは、疑う形をした保護でございます

 神殿書記室には、白百合香油の匂いがございます。


 午前の光が窓格子を通り、長方形に床へ落ちておりました。石造りの室内は冷え、書類を積んだ棚の陰に昨日の祭の花弁が一枚、誰も片づけないまま残っております。


 リラは、記録机の横に立っておりました。


 孤児院の子どもらしく、机の縁が胸の位置になって、両手でそっと握っております。茶色の髪は短く切られ、片方だけ紐色の違う靴で、石床に静かに立っている。公爵令嬢と神官長と書記官が同じ部屋にいることを、なるべく気にしないようにしようと、小さな肩が努力しておりました。


「証言の記録を、保留にしてください」


 アルベリク様が言われました。


 扇子が、私の手の中で止まりました。開きかけて、止まりました。


「……保留、でございますか」


「はい」


 アルベリク様の金色の瞳は、私ではなくリラの方を向いておられました。静かな目です。穏やかと言えば穏やかですが、その奥に何かを測るような冷静さがある。


「未成年者の証言には後見人の同意が必要です。孤児院長が同意すれば成立しますが——」


「マザー・オルガ様は、今、セレスティナ様を庇っておられます」


「そうです」


 マルタ書記官が羽ペンを置き、帳面を閉じました。


 私は扇子を膝の上に置きました。開かないまま。


 意味は分かります。証言を今記録しても、院長が同意せず、リラが孤児院へ連れ戻される可能性がある。証言は守られないまま外へ出て、逆にこの子を追い詰める。


 分かります。それは分かる。


 けれど、リラは昨日の祭の間じゅう、言いたかった言葉を抱えていた。それをまた待てと言う。


「先に」


 アルベリク様が言われました。


「証言より、先にすることがございます」


 机の前へ歩まれて、リラと目の高さを合わせるために身を屈めました。白い祭服の裾が、床の石へわずかに触れます。


「リラ。今日から3日間、この神殿の書記室を使う許可を出します」


 リラの顔が上がりました。


「お菓子は出ません。椅子は固い。ですが、神官長が許可した場所にいる間は、孤児院から誰も貴方を呼び戻せない」


「……セレスティナ様も、来られませんの?」


 私が尋ねると、アルベリク様は振り返りました。


「神殿法第27条。審問に関わる証言者の安全確保のため、神官長は証言者を一時的に神殿保護下に置ける。証言を記録しなくとも、保護は別に成立します」


 証言は保留でも、この子は守れる。


 逆でした。


 私は後退と思っていたのに、順序が逆でした。先に証言を記録するのではなく、先にリラを安全な場所へ置く。そうすれば、証言の記録に必要な院長の同意を、後から誰かに迫られずに、時間をかけて取れる。


 気づいていたのは、当然のこと、私だけではございませんでしたわね。



 孤児院の薬棚は、がらんとしておりました。


 礼拝堂の裏手、石造りの小部屋です。午後の光が窓の高い位置から差しておりましたが、上の段に空の薬瓶が3本、埃をかぶって並んでいます。下の段には包み紙だけがあって、中身はございません。


「薬は」


 イザーク様が静かに聞きました。神官長でも書記官でもなく、イザーク様が先に口を開きました。袖口にインクのついた補助神官服の袖を抱え直しながら、声を低くして。


「先月、切れました」


 マザー・オルガは扉のそばに立っておられました。六十代とお見受けする修道女で、白いエプロンはきれいでしたが、顔の皺の中に疲れが沁みております。


「セレスティナ様が……ご寄付を、薬代に回してくださると仰って」


「回っておりませんわね」


 私は穏やかに言いました。静かに。


 マザー・オルガが唇を噛まれました。「公爵令嬢様には——」と言いかけて、止まりました。


 リラが、棚の角へそっと指先を伸ばしました。空の薬瓶の縁を触れるか触れないかで、視線を落としたまま。


「薬が来ないと、小さい子が」


 声が、低くなりました。


「冬、また誰か、熱を出しますから」


 礼拝堂の外から、まだ白百合祭の名残の音楽が遠く聞こえます。慈善の歌。神の祝福の歌。孤児を救う聖女候補の歌。


 私は棚の一番下の段へ目を向けました。納品札を刺す小さな穴がある。日付と商会名と品名が記されるはずの場所が。


 剥がされておりました。


「イザーク様」


「見ています」


 イザーク様は棚の横に膝をつきました。白い補助神官服の膝が、孤児院の石床で汚れるのを気にせず。棚の奥へ細い指を差し入れて、何かの跡を確認しながら、かすかに指先が震えております。


「……公爵令嬢」


 声が小さい。私を見ないで棚の奥を確認しながら、それでも言おうとしている。


「妹も、以前——」


 その先は出てきませんでした。


 マルタ書記官が羽ペンを走らせようとして、止めました。記録するかどうか迷っている。正式発言か、独り言か。


「イザーク様」


 私は少し声を落としました。


「今は、続きでなくて構いません」


 イザーク様の肩が、わずかに下がりました。



 白百合回廊には、夕刻前の光が斜めに差しておりました。影は長く伸びて、回廊の床に斜線を描いています。涼しい風が通り、白百合の花飾りが祭の名残のまま柱に結ばれておりました。


 アルベリク様は、私の一歩前で立ち止まられました。白い祭服と紺青の肩布。指先には銀粉インクの跡が残っております。


「ハイゼンベルク様」


「はい」


「本日の証言保留について」


「承知しております」


 承知していると、私は言いました。


 けれど声が少し低くなったことに、私自身が気づいておりました。


「私は——」


 アルベリク様が続けられました。左手の親指が、紺青の肩布の縁をなぞっております。言葉を選ぶ時の癖です。すでに1度、気づいてしまっておりました。


「貴女様を、疑っているのではなく——」


 その時。


 回廊の突き当たりの扉が、静かに開きました。


「告白でなければ、入室してよろしいでしょうか」


 マルタ書記官が真顔で立っておりました。羽ペンを胸に抱いて、丸眼鏡の奥の目が、業務的に問うております。どちらかと言えば申し訳なさそうというより、職務上の確認をしている顔でございます。


「違います」


「違います」


 アルベリク様と私が、同時に言いました。


「左様でございましたか。では記録は不要ですね」


「不要です」


「承知しました」


 マルタ書記官が帳面を開いて奥へ進みました。


 アルベリク様の耳が、紺青の肩布に隠れる直前だけ、少し赤かったかもしれません。確認できる角度ではなかったので、私には分かりません。


 分からないまま、扇子を持ち直しました。


 マルタ書記官が棚の向こうへ姿を消した後、アルベリク様が神殿法の小冊子を手に取られました。小冊子の厚みの中に、何かが挟まっております。薄く乾いた何かが、頁と頁の間から端だけのぞいていた。


 花弁。


 白百合の、押し花でした。


 アルベリク様が、小冊子を閉じました。私が見たことに、気づいておられるはずです。


「……その小冊子の中身は、職務上の保管ですか」


 問わずにいればよかったかもしれません。けれど問わずにいたら、私はずっと気になり続けます。


 アルベリク様は、しばらく小冊子を手の中で持っておられました。答えを探しているのか、答えを隠す言葉を探しているのか、私にはどちらかが分かりません。


「……職務でなければ、持つことを許されません」


 肯定でも否定でもない答えでした。


 私は扇子を開きました。胸の奥が静かに騒ぐのを、隠すために。



 神殿の外廊下で、リラが私を待っておりました。


 小さな布包みを胸に抱いて、石の段に腰を下ろしております。日暮れ前の光の中で、白百合祭の花飾りが風に揺れておりました。


 リラは私を見て、立ち上がりました。


「あの」


「はい」


「雨の日だけ咲く白百合があるの」


 夕風が、回廊の白百合を揺らしました。


 私は一瞬、その言葉の意味をうまく飲み込めずにおりました。証言保留の手続き、薬棚の空の棚、イザーク様の止まった声、押し花の端。今日という日が一気に沈殿するような間がありました。


「……それは、誰に教えていただいたの?」


「マザーが、歌ってくれた。雨の日にだけ咲く白百合は、泣けない子の代わりに咲くんだって」


 リラは袖口を握りました。袖の折り目に、白百合の花粉が残っております。淡い金色の粉。祭壇奥の花壇に触れた者だけが持ち帰る粉が、この子の袖にある。


 泣けない子の、代わりに。


 私は扇子を開いたまま、しばらくリラを見ておりました。


 信じると言うことと、証明することは、違います。


 信じるだけでは届かない場所まで、順序で手を伸ばすことを、私は今日覚えました。


 この子の袖に残る金色の粉は、明日の証言よりもずっと先に、それを私に教えておりました。

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