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「連載版」「命の番」ですって?大変ですわ、神殿に正式照会いたしましょう  作者: 夢見叶
第2章 偽聖女は、孤児の涙で笑う

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第8話 聖女様と呼ばれる令嬢、寄付箱を隠す

 白百合祭の朝は、香油の匂いから始まりました。


 神殿本殿前の広場は、午前10時にはすでに人で埋まっております。市の人々、商家の奥様方、下位貴族の令嬢方——それぞれ白い飾り花を手に、初夏の光の下に集まっておられた。石柱には白百合の花冠が掛けられ、風が吹くたびに甘い香りが波のように流れてくる。


 任命書を受け取った翌朝。


 昨夜の黒い封筒のことは、帳面の端にひと行だけ書き留めて参りました。


「補佐官殿」


 隣から、低い声が届きました。


 アルベリク神官長様は今日、祭礼の礼装をお召しです。白い袖口に日差しが落ちて、紺青の肩布が朝の光を少しだけ吸い込んでいる。金色の瞳は、広場の人波を見ておりました——私の方ではなく。


「本日は補佐として、祝福証明書の受付確認をお願いいたします。申請書には必ず私の副印が必要です。順序を確かめておいてください」


 職務の指示。隙のない言葉。


「承知いたしました」


 私は控えの帳面を開き、日付と時刻を書き込みました。


 ——その時。広場の中央から、拍手が起こりました。


 白いヴェールを纏った令嬢が、神殿の石段を降りてくる。淡い金髪をヴェールで覆い、胸元に白百合の刺繍。歩くたびにヴェールの端が揺れ、傾く光の中で清らかに輝いておりました。


 セレスティナ・ローゼ侯爵令嬢でいらっしゃいます。


 拍手が広場全体に広がる。隣の伯爵夫人方が目元を押さえながら囁き合っておられた。「美しいわ」「本物の聖女様みたい」——その声が、香油の甘さに溶けていく。


 セレスティナ様は石段の下で立ち止まり、振り返りました。


 孤児院の子どもたちが、白い晴れ着を着て石段を降りてきます。小さな手に、白百合の花束。


 その中の一人が、目を引きました。


 痩せた手首。少し裂けた袖口。急いで結ばれた髪の、後れ毛がほつれている。大きすぎる晴れ着の裾を踏まないように、気をつけながら降りてくる。


 その子は、泣いておりました。


 けれど、泣き方が——違う。


 口を閉じ、下唇を噛み、袖口を両手で握りしめながら泣いている。感激で泣く子の顔ではございません。


 私の扇子を持つ指が、一拍だけ、止まりました。


 セレスティナ様の甘い声が広場に流れます。


「皆様のお志が、この子たちを救います」


 人々が寄付箱へ次々とコインを投じる。銀貨の音が積み上がっていく。


 ふと、祭壇の右脇を見ました。白百合の絵が描かれた大きな木箱が、そこに置かれている。


 セレスティナ様の侍女が、箱の端へそっと手を添えました。


 寄付箱が、祭壇脇から後ろへ動く。馬車の方へ、ゆっくりと。


 私は帳面の頁を、1枚めくりました。


  


 午後に入ると、広場の熱は引き、白百合の花冠だけが石柱に揺れておりました。


 神殿回廊の石は冷えていて、白百合香油の匂いが廊下の奥から届いている。私とイザーク様は、祝福証明書の受付棚の前に並んで立っておりました。イザーク様の眼鏡が廊下の薄暗さに曇り、2度、3度と拭かれている。


「こちらです」


 書類の束を差し出す指が、震えてはおりません。怖がっても、証書を出す手だけは真っすぐなのが、この方の性格でございます。


「セレスティナ・ローゼ侯爵令嬢名義の祝福証明書申請、1件。受付時刻は午前9時13分。受付官の副印は——」


 イザーク様の声が止まりました。


「……薄いですね」


 私は申請書を受け取り、回廊の細窓へ近づきました。午後の光に透かすと、白百合印の輪郭が、右上だけ潰れています。花弁の先が、煤を吸ったように滲んでいる。


 紙を押さえた指の下から、香りが来ました。


 神殿の香油とは、違う甘さ。外来の、どこかで嗅いだことのある香り。


「封筒を保管していただけますか、イザーク様。黒百合封蝋の痕が残っております。写し取る前に触れてはなりません」


「黒……百合……」


 イザーク様が封筒の端を覗き込み、眼鏡が少し傾きました。


「これは……花弁が、黒いのですが」


「本日、最も重要な証拠品でございますわ」


「私は囮役ではないはずなのですが、なぜいつも——」


「石廊下の光の当たらぬ棚へ、お願いいたします」


「……承知しました」


 震える手で封筒を受け取り、イザーク様が廊下の奥へ遠ざかっていきました。外来の香りが、石廊下に少しだけ残ります。


 神殿の香油とは、違う。誰かが外から持ち込んだ香り。


  


 孤児院礼拝堂の前には、白百合の花弁がいくつか落ちておりました。


 夕刻の光は斜めで、石段を橙色に照らしています。鳥が一声。石段の端に、晴れ着の裾を両手で握った子が、小さく縮こまっておりました。


 昼間の、あの子です。


「泣いてません」


 私が近づくと、その子が先に言いました。袖口を握る手が、さらに強くなる。黒い目が地面へ落ちている。


「ええ、存じておりますわ」


 私は石段の下に立ちました。しゃがんだ方が目線が合います。白手袋が汚れても、今日はかまいません。


「お名前を、聞かせていただけますか」


「……リラ」


「リラさん。昼間、白百合のお花を配っていらした方ですわね」


 リラは俯いたまま頷きました。後れ毛が頬へ落ちる。


 袖口を見ました。


 裂けた縫い目の内側に——白百合の花粉が、黄色く入り込んでいる。


 祭壇を取り巻く外周の花には、花弁しか届きません。花粉がつくのは、祭壇の内側、花の根元に近い場所へ入った者だけです。


 私の扇子を持つ指が、止まりました。


「リラさん」


 声を低く、静かに出しました。


「祭壇の内側へ入りましたね」


 リラの肩が、少し動きました。


「寄付箱の近くへ」


 袖口を握る指の節が、白くなっていく。


「……泣くと、寄付が増えるって」


 小さな声でした。けれど聞こえた。聞こえてしまいました。


「——言われたのですね」


 リラは答えません。頷きもしません。


 私は扇子を持ったまま、ひとつ息を吸いました。礼拝堂前の夕刻の空気が、肺の奥まで冷たく入ってくる。


「その涙を、感激として数える前に」


 私は言いました。


「理由を、伺いましょう」


 リラが顔を上げました。濡れた黒い目が、橙色の光の中で、まっすぐこちらを見ている。


「寄付箱……」


「はい」


「馬車に——」


 その時。礼拝堂の扉が、内側から静かに開きました。


 アルベリク神官長様でした。紺青の肩布の白い袖口に、白百合の花粉が少しついておられます。金色の瞳が、私ではなく、まずリラへ向けられました。


 それから、ほんの一息おいて、私の方へ。


「リラを、証人保護下に置く許可を申請します」


 職務の言葉です。


 けれど神官長様の指は、肩布の縁を、いつもより少し強くなぞっておりました。



 白百合の花弁は、夕刻の風に半分だけ閉じておりました。


 私は帳面へ今日の記録を書き足しながら、冷えた空気の中で扇子を静かに開きました。


 封蝋は黒百合。花粉の位置は祭壇の内側。寄付箱は馬車の中。


 リラはまだ、言いかけた言葉の続きを持っております。


 明日の正午までに祝福証明書の照会を成立させなければ、聖女候補認定は粛々と進んでいく。


 証人保護下に置いた子の証言は、明日の朝、正式に記録へ残せます。ただし——


「神官長様」


 私は帳面を閉じました。


「祝福証明書の受付時刻と、寄付箱の移動時刻を、明朝一番に照会申請してよろしいでしょうか」


 アルベリク神官長様は、少しの間、口を開かれませんでした。


 肩布の縁をなぞる指が、夕刻の光の中で、止まっている。


「——はい」


 それだけでございました。


 白百合の香りが、礼拝堂の前に薄く残っています。


 馬車の行き先はまだ分かりません。黒百合の封蝋の出所も、まだ分かりません。


 けれど寄付箱は、祈りより先に馬車へ乗せられた。


 それは、明日の照会で、正式に証明されます。

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