第15話 白百合紙は、神殿の外へ出てはならない
「黒百合商会から買っただけですわ!」
セレスティナ様の声が、白百合祭の最後の鐘よりも高く、礼拝堂の石壁に響きました。
審問壇の上には、3つの証拠が並んでおります。薄い白百合印の祝福証明書。衣装商への支払いが寄付金より先に記された台帳。そして、リラの花粉指印が残る証言控え。
白百合祭の終幕。西から差し込む斜光が石壁を橙色に染め、天井の花飾りが夕風に揺れておりました。私は扇子を膝の上に置いたまま、動かさずにいました。アルベリク様が私の2歩左に立ち、証明書の薄い印へ視線を落としておられます。その輪郭だけが、夕光の縁で静かに光っておりました。
マルタ書記官の羽ペンが紙を走る音が、やけにはっきり聞こえます。黒百合商会から買っただけ。語尾まで丁寧に、この部屋の記録に刻まれていく。
「買っただけ、ですか」
私は静かに尋ねました。
「そうよ、そうですわ! わたくしは教えられた通りにしただけですの。祝福証明書も、白百合紙も、寄付台帳の整え方も、全部、黒百合商会の方が——」
「白百合紙も」
アルベリク様の声が、その言葉を真ん中で切りました。
低く、静かで、感情を完全に抜いた声でした。審問室の空気が一瞬で張りました。石壁が冷えた。天井の花飾りが揺れることを止め、イザーク様が書類を抱え直す手も止まりました。
セレスティナ様の唇が、半開きのまま止まりました。遅すぎます。
白百合紙は、神殿の外へ出ない。出るはずがない。出てはならない。ならば、それを売った者は神殿の外にいるだけでは足りません。神殿の内側に、その扉を開けた者がいる。
「セレスティナ・ローゼ侯爵令嬢」
アルベリク様は証明書へ視線を落としたまま命じました。金色の瞳は書面を向いていましたが、声だけが壇上に静かに満ちました。
「偽祝福証明書の購入、寄付金流用、ならびに白百合紙入手経路について、正式審問へ移行します。記録を」
「承知いたしました」
マルタ書記官の声が即座に応じました。イザーク様は壇の右端で、書類を胸に抱えたまま視線を下げております。白い祭服の袖に、今日拾った白百合の花粉が、まだ淡く残っておりました。
セレスティナ様の膝が崩れました。取り巻きの令嬢たちが駆け寄り、白いヴェールが乱れる。そのヴェールにも、やはり花粉はございません。
その時。
崩れながら、セレスティナ様が叫びました。声が割れて、鈴のような音は、もうそこにはありませんでした。
「わたくしは、黒百合商会から買っただけですわ。使い方を教えたのは、神殿の方ですもの!」
マルタ書記官の羽ペンが、即座に紙を走りました。
アルベリク様の眉がわずかに動きました。
神殿の方。
その言葉が、審問室の石壁に染み込んでいくような静けさがありました。セレスティナ様が何を言っているかを知っている者と、知らない者の間で、空気が割れた気がしました。
「記録されましたか」
「はい」
「では、審問を続けます」
アルベリク様の声に、揺れはありませんでした。
◇
広場の隅で、リラが私を見ておりました。
祭の喧噪はまだ広場の向こうに聞こえています。花飾りが夕風にゆれ、マザー・オルガが孤児たちを礼拝堂へ連れ戻し始め、小さな足音が石畳に散っていきました。リラだけが、動きませんでした。
小さな晴れ着の裾が汚れ、袖口はまだ握られている。瞳は泣きそうな橙色でした。けれど今度は、顔を隠しておりません。
私は膝を折り、彼女と目の高さを合わせました。
「怖かったですわね」
「……泣いてません」
「存じています」
リラが、ほんの少しだけ眉を寄せました。
「お薬、戻ってきますか」
「寄付台帳の返還命令を、神殿が出します。今日ではないかもしれない。でも、戻りますわ」
「……ほんとうに?」
「手続きは、嘘をつきません」
リラは袖口を握ったまま、しばらく私を見ておりました。それから晴れ着のポケットから白百合の小枝を取り出して、両手で差し出しました。
茎が少し折れていて、花弁の端が午後の日差しで乾いている。それでも、白百合でした。
私は白手袋ごと、その小枝を受け取りました。
泣かないようにするのに、1息だけかかりました。
◇
封書が届いたのは、それから間もなくのことです。
神殿の小姓が小走りで来て、黒い封蝋の封書を差し出しました。宛名は、私。
黒百合の封蝋。
私は白手袋の指先でそれを受け取り、封蝋の紋様を確かめました。
「神官長様」
アルベリク様が振り返りました。夕の光が、紺青の肩布の縁だけを細く照らしています。
「受付番号が、ございます」
私は封書の角を示しました。小さく押された数字の列が、白百合祭の公開番号ではないことを、私は今日の照会で覚えています。神殿内部の発行番号。正式照会補佐官への連絡に用いる、神殿だけが発行できる専用の番号。
神殿の外にいる者が、これを知る方法はございません。
アルベリク様の眉がわずかに動きました。金色の瞳が封書を見る。左手の親指が肩布の縁を一度だけなぞり、静止しました。
「……開封する前に」
「存じています」
記録が必要でございます。封書の到着記録、発行番号の照合、開封時の立会人。それがなければ、封書の中身は証拠にならない。
「マルタ書記官」
「記録準備、できております」
マルタ書記官の声は、既に答えておりました。
私は扇子を開きました。手の中の白百合の小枝が、指に触れるたびに花弁を傾けます。
今日、孤児の涙を正式記録へ残すことができました。
けれど、「神殿の方ですもの」という言葉が、まだ審問室の石壁に残っている気がしました。受付番号は、神殿の内側から来ておりました。




