第9話:虚飾の王冠と、黙殺された真実
『神耳の落ちこぼれ』
世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
偉大な長老オルバスの凄惨な死は、何百年もの間平和にまどろんでいた魔族の村に、暗く冷たい影を落とした。
しかし、その深い哀悼の裏側で、次なる村の権力を巡る大人たちの思惑は、すでに静かに、そして冷酷に動き始めていた。
長老の死からわずか数日後。次期リーダーを決めるための秘密裏の議会が開かれたのだ。
有力な候補者は三人いた。議会を主催する三百十七歳の最年長者。温和な性格で村人からの人望が最も厚い、二百五十歳の魔法使い。そして最も攻撃的で派手な魔法の扱いに長け、「自分が一番森の声を聴ける」と豪語する百九十二歳の野心家。
悲しみに沈む家の中で。セレンの耳には再び、森からの静かな意志が届いていた。
「……次なる導き手は、二百五歳のシオン……。あの思慮深き者を……」
荒れ狂った淀みが消え去り、少しずつ本来の落ち着きを取り戻しつつある森。その声は、微かだが明確だった。
セレンは弾かれたように立ち上がり、両親の元へ走った。
「お父さん、お母さん! 森が、次のリーダーは二百五歳のシオンさんがいいって言ってる!」
しかし、深い罪悪感に心を完全に壊され、すっかり生気を失っていたエルランとミーナは、焦点の合わないうつろな目で宙を見つめたまま、力なく首を振った。
「……そうか、セレン。教えてくれてありがとう。でも、今の私たちにはもう……議会に口を出す資格なんてないんだよ。自分たちの愚かさで長老様を死なせてしまった私たちが、これ以上、村の決定に意見するなんて……許されるはずがないんだ」
大人たちが自分たちの過ちから目を背け、誰も正しい声を上げようとしない中、議会から衝撃的な発表が村にもたらされた。
「皆聞いてくれ! 私は昨夜、森の意志をはっきりと聴き取った! 「百九十二歳の私こそが、次なる村の代表者である」と、森が告げたのだ!」
広場で声高に宣言する百九十二歳の候補者の言葉に、セレンは耳を疑った。
(嘘だ……!)
それは完全な嘘だった。森はそんなことは一言も言っていなかった。
さらにセレンを絶望させたのは、彼の隣に立つ残りの二人の候補者の態度だった。
「……う、うむ。私も、彼と同じ声を聴いた」
「ああ、私もだ。森の意志は、間違いなく彼にあるようだ」
自分だけが聴こえなかったことを恥じた大人たちは、自分たちの保身と体面を守るために、百九十二歳の明らかな嘘に同調してしまったのだ。
(嘘だ……なんで、みんな平気で嘘をつくの!?)
セレンは居ても立っても居られず、人混みを抜け出して走った。向かったのは、森から本当に指名されていた二百五歳のシオンの家だった。
シオンは、村の外れで静かに植物を育てて暮らす、穏やかで控えめな魔法使いだった。権力闘争とは無縁の彼の庭には、美しい花々が静かに咲き誇っている。
「シオンさん! 私、聴いたの! 森の声が、シオンさんが次のリーダーだって言ってた! シオンさんも、聴こえたよね……!?」
セレンの必死の問いかけに対し、シオンは少し悲しそうに目を細め、泥のついた手を払うと、セレンの頭を優しく撫でた。
「ああ、セレンちゃん。……私も、声を聴いたよ」
その穏やかな肯定の言葉に、セレンはホッと安堵した。良かった。シオンさんが広場へ行って真実を話してくれれば、あの嘘つきな大人たちの思い通りにはならないはずだ、と。
しかし、その希望は数日後の「新長老就任の儀式」によって、無惨に打ち砕かれることとなった。
広場の中心で、真新しい豪華なローブを身に纏い、得意げな顔で歓声を浴びていたのは、シオンではなく、嘘をついた百九十二歳の候補者だった。
セレンは、その熱狂の輪から少し外れた場所で、シオンが他の村人たちと同じように静かに頭を下げているのを見た。その顔には怒りも悲しみもなく、ただ「これでいいのだ」という感情だけが浮かんでいる。
(……大人たちは、誰も本当のことなんて見ていない)
自分がどれだけ正しい真実を聴き取っても、それを証明できる力を持った大人が「これが真実だ」と口裏を合わせてしまえば、ただの嘘が、この世界の真実になってしまうのだ。
歓声が響き渡る広場で、九歳の少女は一切の感情を失った瞳で、ただ虚しく祭り上げられた嘘の王冠を見つめ続けていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
セレンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。




