第4話:初めての「聴こえた」と、長老の館へ
エルランとミーナが戻ってきたのは、夕暮れが迫った頃だった。
四人が待つセレンの家の扉が開いた瞬間、セレンは息を呑んだ。
母のミーナの顔が、青ざめていた。父のエルランは、まるで老いたように見えた。二人とも、扉を開けてからしばらくの間、何も言えなかった。
「……本当だった」
エルランが、ようやく絞り出すように言った。
「森の境界近くまで奉納に行ったら……気配が、おかしかった。あの方角から、確かに……魔力の乱れが」
「結界が、薄くなっていたの」ミーナが震える声で続けた。「何百年も守られてきたはずの結界が……人間の機械に、少しずつ削られていたのよ」
部屋の中に、重い沈黙が落ちた。
エルランがゆっくりと顔を上げ、セレンを見た。これまで見たことのない目だった。「正しかった」と認めることの、痛みと誠実さが混ざり合った目。
「セレン。今朝から、ずっと聴こえていたのか」
「……うん」
「一人で、ずっと」
「……うん」
エルランは膝を折って、セレンの目線の高さまで腰を下ろした。大きな手がセレンの肩にそっと置かれた。
「すまなかった」
たった六文字だった。でもその言葉の重さが、セレンの胸の奥まで届いた。
「今朝、お前の訴えを信じなかった。子供の幻覚だと決めつけて、ベッドに押し込んで……父さんは間違っていた」
ミーナも涙をこらえながら、セレンの手をぎゅっと握った。
「セレンが、誰よりも早く聴き取っていたのね。……あなたの耳が、今日、この村を救ったのよ」
セレンは何も言えなかった。ただ、鼻の奥がじんと熱くなって、視界がぼやけた。
誰にも信じてもらえないと思っていた。「魔法が下手な子供の勘違い」として一日中押しつぶされ続けた。でも、聴こえていた。本物だった。
ランツが立ち上がり、引き締まった顔で言った。
「時間がない。セレンちゃん、一つ聞かせてくれ。お前が今朝、森の懇願から視たという儀式の手順――まだ、覚えているか?」
セレンは頷いた。目を閉じると、あの灼けるような痛みの中で焼き付いたビジョンが、鮮明に蘇った。
「瑠璃色の角を持つ大鹿の心臓を、森の境界に捧げること。白銀の樹皮を持つ古木を正しい手順で切り倒して、大地に楔を打つこと。そしてその古木を中心に、とても大きな浄化の魔法陣を描くこと」
部屋の空気が変わった。
「それは……大祓の儀式だ」エルランが低く呟いた。「百年に一度、村の長老たちが数ヶ月かけて執り行う……途方もない規模の儀式だ」
「でも、それがセレンちゃんの耳に届いた。それが、森からの答えだ」ランツが静かに、しかし強い声で言った。「今すぐ、長老のオルバス様のところへ行かなければならない。村全体を動かす必要がある」
「行こう」
大人たちが動き始めた。
セレンはカイと並んで、大人たちの後ろを歩いた。夕暮れの空が、オレンジ色から深い紫へと変わっていく。
「なあ、セレン」
カイが小声で言った。
「すごかったよ、お前。あの『奉納に行こう』って提案 、よく思いついたな」
「カイが命がけで撮ってきてくれたから、私も諦めたくなかっただけだよ」
「……俺、初めて見たんだ。本物の機械が動いているところ」カイの声に、興奮と複雑な感情が混ざっていた。「あんなに大きくて、煙を吐いて、命を削るみたいに木を倒してた。……怖かったけど、目が離せなかった」
セレンはカイの横顔を見た。煤と傷だらけで、でも瞳だけがどこか遠くを見ている。
「カイは、機械が好きなんだよね」
「……嫌いになれなかった。それだけだよ」
二人は黙って歩いた。大人たちの足音が、夕暮れの村に響いている。
長老の館の扉が見えてきた頃、セレンの耳には相変わらず、西の森から重低音が届いていた。でも今は、少しだけ違う気がした。
さっきまでは「悲鳴」だった。
今は、まるで「待っている」ような音に、聴こえた。
――森が、待っている。セレンたちが動いてくれるのを。
「行こう、カイ」
セレンは一歩、踏み出した。




