第3話:証拠と、セレンの耳
『神耳の落ちこぼれ』
世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
まず、カイの両親に見せることにした。 いきなり長老や、自分の両親のところへ駆け込んでも、また頭ごなしに否定されるかもしれない。でも、カイがガラクタを集めることに理解を示してくれているランツとサリアなら、怒鳴る前に話を聞いてくれるはずだ。
二人は庭先で蔓を編んでいた。息を切らして駆け込んできたセレンたちを見て、ランツが苦笑いを浮かべる。 「また、ガラクタを拾いに行ってたのかい?」 「違うんだ父さん! これを見てくれ!」
カイがガラス板を突きつけた瞬間、ランツとサリアの手がピタリと止まった。 どんなに魔法が上手い者でも、これほど精密に現実の景色を切り取ることは不可能だ。 「これは……不可侵の森の奥の景色……?」 「そうだ。セレンがずっと聴いていた音の正体はこれだ。長老たちの結界なんか、あいつらには全く効いてないんだ!」
カイの真っ直ぐな瞳を見て、ランツはゆっくりと立ち上がった。 「……お前が、こんな嘘をつくはずがない。これをすぐにオルバス長老のところへ持っていこう」
大人の手が、初めて味方になった。 けれど、走り出そうとしたセレンの足は、ふと止まってしまった。 (長老のところへ行く前に……まず、お父さんとお母さんに話さないといけない) 「……まず、私の家に寄ってもらえないかな」 ランツは少しだけ目を細め、セレンの頭を撫でた。「そうだな。まずは家族に話すのが筋だ」
四人でセレンの家の扉を開けた瞬間。昼食の準備をしていたエルランとミーナは、目を丸くした。 「セレン……!? お前、どうして外から……」 ランツが前に出て、テーブルの上にガラス板をそっと置く。 「エルラン、ミーナ。落ち着いて聞いてほしい。カイから話を聞いた。 セレンちゃんが訴えていたことは、幻覚じゃなかった。これは、カイが不可侵の森の奥をそのまま写し取ってきた現実だ」
「なんだって!?」 エルランの怒声が噴き出したが、ガラス板に視線が落ちた瞬間、その声は凍りついた。 白黒の景色の中に、無残に切り倒された巨大な古木。深く抉られた大地の傷跡。煙を吐き出す異形の鉄の塊。
ミーナが両手で口元を覆う。エルランは、震える手でガラス板を持ち上げた。 「この景色は……間違いない。我々が幾度となく奉納に足を運んだ場所だ。だが、どうやってこれを? 目で見えたものをそのまま硝子に描き出すような魔法など、存在しないはずだ」 「人間の国で作られた道具だよ」 カイが答えた瞬間、エルランとミーナの顔色から血の気が引いた。 「人間の……機械……?」 ミーナが弾かれたように後ずさる。エルランも、ガラス板から手を離した。 「やはり、人間のガラクタか……! そんな得体の知れないものが見せる景色など、どうして信じられようか。人間たちの罠だ!」 「セレンに近づけないで!」
カイの両親が宥めようと前に出るが、エルランとミーナは耳を塞ぐように後ずさるばかりだった。 ミーナの震える背中に庇われながら、セレンは大人たちを見上げた。
言葉では届かない。証拠を見せても届かない。 なら――。 セレンは、ミーナの背中からそっと前へ出た。
「……ねえ、お父さん、お母さん。いつも何かあれば、森へ行ってるじゃない」 「セレン……?」 「畑の収穫が終わった時も、大きな魔物が狩れた時も……お父さんたち、森へ『奉納』に行ってるよね?」 「……」 「あの時と同じように、今から奉納に行ってきてよ。そうすれば、人間の道具なんか見なくても、森がどうなってるか、お父さんたちの目で直接確かめられるでしょ?」
部屋の中に、深い沈黙が落ちた。 『人間の機械』には強烈な拒絶反応を示した二人だが、『自然への奉納』は魔族にとって最も神聖で、疑いようのない正しい行いだ。 娘の真っ直ぐな瞳に、エルランはハッとして言葉を失い、ミーナと顔を見合わせた。 「……そうだな。魔族であるならば、直接森へ足を運び、自然の気配を感じ取るのが筋というもの」 「ちょうど昨日、良い木の実と干し肉が仕上がったところよ。……臨時ではあるけれど、境界の森へ奉納に行きましょう」
両親が、覚悟を決めた顔つきで家を出ていく。 蔦の編まれた扉が閉まると同時に、ランツが静かにため息をついて、二人に向き直った。 「さて。エルランたちを送り出した後で言うのも何だが……お前たち、自分がどれだけ重い罪を犯したのか、分かっているんだろうな?」 カイがビクッと肩をすくませた。 「カイ。あなたは子供が決して入ってはならない、神聖な不可侵の森に入った。掟を、破ったのよ」 「だ、だって! そうでもしなきゃ森が壊されてる証拠が……!」 「口答えをするな」 一喝が響いた。 ランツの拳が微かに震えていた。怒りからではない。息子を失っていたかもしれないという『恐怖』の震えだ。
「セレンちゃん。君が誰よりも早く危機に気づいたことは分かっている。私たち大人も、君の声を信じなかった責任がある。……だがね。カイに掟を破らせたことは、決して許されることじゃない」 セレンは、深く頭を下げた。 「……ごめんなさい。私が、焦ってしまって……。最初から、お父さんたちに『森を見てきて』って頼むべきでした。カイを危険な目に遭わせて、本当にごめんなさい」 カイが「俺から行くって言ったんだ、セレンだけのせいじゃない!」と庇ったが、セレンの言葉はしっかりと二人の心に届いたようだった。 ランツは長い息を吐き出すと、大きな手でセレンとカイの頭を順番にポン、と撫でた。 「……分かってくれたならいい。無事で、本当によかった」
静かな部屋に、窓の外から葉擦れの音が流れ込んでくる。 あとは、両親の帰りを待つだけだ。 セレンは窓の外、西の森の方角へそっと意識を向けた。 神経の糸を細く伸ばして耳を澄ませる。今もまだ、鉄の牙の重低音が遠くで響いている。
――ふと、境界の近くに、別の音が混じった。 何かが、あそこにいる。 (……人間?) セレンは眉をひそめ、さらに意識を絞り込む。 森の境界を越えてこちら側、村の外れの茂みの奥。身を潜め、じっと息を殺している、小さくて強張った気配。 「カイ!」 セレンは弾かれたように立ち上がった。 「どうした?」 「村の外れに、小さな気配がある。多分……さっきカイが森で見た、機械の人たちとはぐれたんだと思う」
三人は顔を見合わせると、セレンの指し示す方向へ走り出した。
茂みを掻き分けた先。 そこには、膝を抱えてうずくまる、セレンと同じ年頃の男の子がいた。服は泥まみれで、小さな足には痛々しい擦り傷ができている。 人間の子だ。 男の子はセレンたちの姿を見て、ビクッと体を震わせ、ギュッと目を閉じた。 「大丈夫、怖くないよ」 セレンはゆっくりと膝をつき、男の子と同じ高さに目線を合わせた。 「ずっとここにいたんだね。怖かったでしょ」 男の子は、おそるおそる目を開けた。言葉が通じているのかどうかはわからない。ただ、セレンの静かな声に、強張っていた小さな肩がほんの少しだけ緩む。
背後で、ランツが深く息をついた。 「……セレンちゃん。君がいなければ、この子に気づけなかった」
カイが黙ったまま隣にしゃがみ込み、自分の水筒を差し出す。 男の子は震える両手でそれを受け取り、こくりと一口飲んでから、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。
葉擦れの音が、静かに三人を包み込む。 冷たい風の中で、男の子の小さな手が、水筒を握りしめていた。
西の森から、相変わらず鉄の牙の重低音が響いている。
男の子はランツが村の境界まで連れて行き、そっと森の方角へと帰してやった。 男の子の細い背中を見つめながら、セレンはそっと目を閉じた。 迫り来る冷たい破壊の音と、目の前にある小さな命の温かさ。 それが何を意味するのか、九歳の少女にはまだわからなかった。ただ、世界がたしかに変わり始めていることだけが、静かに伝わってきていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
セレンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。




