第2話:ガラクタの少年と、禁断の証拠
『神耳の落ちこぼれ』
世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
村の端、不可侵の森に一番近い場所に建つカイの家は、この村の中で一番「浮いている」家だった。
美しい植物の編み込みで作られた外壁の周囲に、錆びた鉄の歯車や金属管、ガラスの破片が、まるで宝物のように並べられている。魔法が当たり前のこの村で、カイだけが人間の「機械」に心を奪われていた。
「カン、カン、カンッ」
家の裏手から乾いた金属音。そっと覗き込むと、煤で顔を真っ黒にしたカイが、見たこともない金属の塊を熱心に分解しているところだった。
「カイ!」
「うおっ!?」
カイはビクッと肩を揺らし、手にしたスパナのような工具を慌てて背中に隠した。
「なんだ、セレンか。……どうしたんだ、そんな真剣な顔して」
セレンは息を切らしたまま、一気に打ち明けた。西の森から響く鉄の牙の音。放置すれば村を飲み込む災害の予兆。大人たちが誰一人として信じてくれなかったこと。だから証拠が必要だということを。
カイは茶化さなかった。だが、すぐに「分かった」とも言わなかった。腕を組み、しばらく黙り込む。
「……不可侵の森の奥、か」
低く呟き、カイは足元へ視線を落とした。
「……なあ、セレン。本当に聴こえてるんだよな? 森が壊される音」
セレンは強く頷いた。今も頭の奥で、鉄の牙が古木を噛み砕く音が響いている。聞き間違えるはずがなかった。
「だったら、多分……本物なんだろうな」
「信じてくれるの?」
「半分くらい」
予想外の返答に、セレンは目を瞬かせた。
「お前の耳は信じてる。でも、"不可侵の森を削れる機械"なんて話は正直まだ想像つかねぇよ。長老たちの結界を壊すようなものが、本当にあるのかって」
そう言いながらも、カイの瞳の奥には奇妙な熱が宿っていた。恐怖と、それ以上に強い好奇心。
「……でもさ。もし本当にそんな機械があるなら、見てみたい」
その声は、ひどく静かだった。
「魔法なしで森を壊す機械なんて、俺たちの知らない世界そのものじゃねぇか。ここにあるのは全部、壊れたガラクタだけだ。本当に動いてる機械なんて、俺、一度も見たことないんだよ」
「カイ……」
「怖いよ。そりゃ怖い。でも、気になる」
カイは苦笑した。
「……行くよ。ただし、"お前のためだけ"じゃないからな。俺も見たいんだ。本物を」
その言葉に、セレンはなぜか少しだけ安心した。自分のためだけに危険を冒されるより、ずっとよかった。
カイはカメラを見せつけるように持ち上げ、革の鞄に特殊なガラス板を詰め込んだ。二人は、セレンにしか聞こえないノイズの方向を頼りに、大人たちの目を盗んで村の裏手へと抜け出した。
鬱蒼とした木々の間を縫って進むにつれ、セレンの耳には先ほどよりもはっきりと、重く暴力的な地鳴りが響いていた。森の空気が、少しずつ鉄と油の匂いに侵食されていく。
やがて「不可侵の森」の境界線が目の前に迫った時、セレンはピタリと足を止めた。目の前にそびえ立つ古木たちの壁。木々の間には、境界を示す古い蔦が厳重に張り巡らされている。
「……やっぱ怖ぇな」
数歩先を歩いていたカイが、小さく呟いた。
「俺だって、ガラクタを拾うのはいつも入り口の浅いところだけだ。この蔦を越えるのは初めてだよ。でも、大人たちは誰も動いてくれないんだろ? 確かめるしかない」
「……お願い、カイ」
セレンは震える声で言った。掟への恐怖に足がすくんで、どうしても境界を越えられない。でも、森の悲鳴を無視することもできなかった。
「私が近づいたら、牙の音で頭がおかしくなっちゃうかもしれない。だから……ここから西へ真っ直ぐ、ねじれた大樹を越えた先の谷底を、撮ってきてほしいの」
カイはすぐには返事をしなかった。境界の蔦を見上げ、森の奥を見つめ、そして小さく舌打ちした。
「ほんっと、ヤバいこと頼むよなお前……」
だが、その口元はどこか笑っていた。
「……わかった。大人たちが来たら上手く誤魔化せよ。俺だけ追放されるのは嫌だからな」
カイは革鞄を抱え直すと、一度だけ深呼吸した。
薄暗い森の奥に一人踏み込んだカイは、最初の十歩で後悔した。
村側の森とは空気が違う。ここは静かすぎる。鳥の声も、虫の音も、葉擦れすらも聴こえない。まるで森全体が、息を殺して何かを待っているような沈黙だった。
それでも足を止めなかったのは、カイの手の中にカメラがあったからだ。
(本物の機械が、本当に動いているなら……)
好奇心が、恐怖を一ミリだけ上回っていた。
ねじれた大樹を越え、斜面を下り始めた時だった。遠くから、低い轟音が地面を伝って足裏に届いた。機械が唸る音だと、カイには直感でわかった。
そして谷底を覗き込んだ瞬間、カイは全身の毛が逆立つのを感じた。
巨大だった。
煙を吐きながら、生きた古木を根ごと薙ぎ倒す鉄の塊。歯車が噛み合い、鎖が回転し、刃が唸る。その圧倒的な物理的暴力の前では、魔法の結界など、霧のように意味をなさなかった。そしてその機械の傍らに立つ「人間たち」は、ごく普通の顔をして、仕事の指示を出し合っていた。
(これが……「人間の機械」)
恐ろしかった。でも目が離せなかった。これは「壊れたガラクタ」じゃない。これは、セレンたちの魔法とは全く別の原理で動く、生きた力だ。
震える手でカメラを構え、レンズを谷底に向ける。
シャッターを切った瞬間、近くで折れた枝が音を立てた。人間の一人がこちらを向く。
カイは反射的に身を翻し、斜面を駆け上がった。
一人残されたセレンは、ぎゅっと胸元を押さえた。谷底から響く森の悲鳴に混ざって、焦るカイが乱暴に跳ね除けた生木の枝たちが『いったい』『おどろいた』と小さく鳴いた声が、風に乗って聴こえてくる。
「もし、カイが森の怒りに触れたら……」
「人間の機械に、見つかってしまったら……」
嫌な想像が頭を巡る中、ふいに「鉄の牙」の音が一段と大きく唸りを上げた。足元の地面が揺れ、どす黒い魔力の淀みが森の奥で一気に膨張するのがわかった。
「まさか、カイ……っ!」
セレンが思わず境界の蔦を握りしめた、その時だった。
「ハァッ……! ハァッ……!!」
激しい息遣いと共に、深い茂みを掻き分けてカイが飛び出してきた。服は破れ、顔には擦り傷ができている。しかしその瞳は、恐怖と興奮でギラギラと見開かれていた。
「お前の……言う通りだった……!」
カイは荒い呼吸を整えながら、胸に抱え込んだカメラを大事そうに掲げた。
「信じられない……。あんなの、化け物だ。巨大な鉄の塊が煙を吹きながら、生きた木を何本も薙ぎ倒してた。しかも、それを動かしてる「人間」は……俺たちと全然変わらない顔してるんだ」
その声には恐怖だけじゃなく、興奮が混ざっていた。世界の外側を覗いてしまった人間の目だった。
震える手で、カメラから一枚の分厚いガラス板が抜き出される。そこには、特殊な薬品によって焼き付けられた圧倒的な証拠があった。神聖な森の古木を容赦なく切り倒す巨大な伐採機械。煙を吐き出す異形の鉄の塊。そしてそれを取り囲む「人間たち」の姿が、白黒の景色として確かに切り取られている。
「これを見せれば、いくら頭の固い大人たちだって信じるしかないはずだ」
「うん……!」
セレンはガラス板を両手でそっと受け取り、胸に抱きしめた。でも次の瞬間、セレンの胸にズキリと痛みが走った。
(……カイに、掟を破らせてしまった)
二人の視線がぶつかった。カイは何も言わず、ただ「行くか?」とでも言うように顎をしゃくった。
セレンは頷いた。あとで、ちゃんと謝ろう。今は、動くしかない。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
セレンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。




