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世界の声が聴こえる私は、魔法だけが下手だった  作者: 紡木 綸


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第14話:命の循環と、小さな刃

『神耳の落ちこぼれ』


世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

凍てつくような厳しい冬の寒さがようやく底を打ち、少しずつ緩み始めた頃。分厚い雪の毛布が溶け出し、冷たくも生命力に満ちた雪解け水が黒い土を深く潤す早春へと、季節は確かに移り変わっていた。森の木々が新しい芽吹きの準備を始めるこの春、セレンは十一歳の誕生日を迎えた。

カイが村を旅立ってからのこの数ヶ月間、セレンは新長老シオンの教えを忠実に守り、「五感のすべてで森を感じる」という対話の練習を、毎日欠かさず重ねていた。そんな彼女の成長と成果を試すように、シオンは時折、セレンに「おつかい」を頼むようになっていた。


今日セレンが向かったのは、村の反対側に広がる「恵みの森」だった。魔獣や危険な植物もおらず、村人たちが日常的に薬草や木の実を採る安全な森だ。

「森さん……シオンさんがね、咳止めの薬草と、甘いお茶の葉っぱを探してるの。どこにあるか、教えてくれる?」

セレンは森の入り口で立ち止まり、そっと目を閉じて地面に膝をついた。冷たい土に両手の手のひらをピタリと這わせる。足の裏や手のひらから伝わってくる地底の微かな熱の脈動。鼻腔をくすぐる、雪解け水を含んだ湿った苔の匂い。頬をふわりと撫でていく春風のわずかな温度差。

五感のすべてを極限まで研ぎ澄ませて、森からの「返事」をじっと待つ。すると、右奥の鬱蒼とした茂みのほうから、ほんのりと温かい魔力の揺らぎと、微かに甘い香りが春風に乗って漂ってきた。

(あっちだ……)

ゆっくりと目を開け、見えない糸に導かれるように森の奥へと歩いていく。するとそこには、まだ残る霜を避けるように、大きな岩の陰にひっそりと群生する薬草の束があった。

セレンはそれを見つけても、手当たり次第にむしり取るような真似は決してしない。そっと手をかざし、指先から伝わってくる植物の「脈動」を静かに感じ取るのだ。十分に葉を広げ「もう摘んでいいよ」と穏やかで力強いリズムで脈打つ葉だけを選び、丁寧に小刀で切り取っていく。まだ幼く「これから大きくなるよ」と小さく震えている新芽は、決して傷つけないようにそっと残しておく。


しかし、森が教えてくれるのは、いつでも優しい恵みの声ばかりではなかった。

おつかいの薬草を籠にいっぱいに集め、ふぅっと額の汗を拭ったセレンの全身を、突然、ビリッとした鋭い「痛み」の振動が貫いた。

「っ……!?」

それは耳から聞こえる悲鳴などの「音」ではない。足元の土から直接這い上がってきて、肌を刃物で刺すような、激しく悲痛な痙攣の波だった。

セレンはハッとして籠をその場に置き、痛みの震源地へと急いで駆け出した。

木々をかき分け、少し開けた崖の下に辿り着いたセレンは、息を呑んだ。そこには、一頭の若い角鹿が倒れていたのだ。足を滑らせて崖の上から滑落してしまったのだろう。後ろ足と背骨が、本来ならあり得ない不自然な方向へとぐしゃりと折れ曲がっている。口からは絶えず血の泡を吹き、虚ろな目は激しく見開かれていた。

誰の目に見ても、すでに助かる見込みがないほどの残酷な致命傷だった。

ビクッ、ビクッと激しく痙攣する若い鹿の体から、セレンの足元を通じて、焼け焦げるような苦痛と、死への強烈な恐怖の波が絶え間なく伝わってくる。

(痛い……すごく、苦しいね……)

セレンは鹿の頭のそばに静かにしゃがみ込み、そっとその温かい首筋に両手を当てた。全身の感覚を、消えゆく鹿の命に深く同調させる。

森の空気は、冷たく静まり返っていた。

「命の循環に従いなさい」。吹き抜ける風が、冷たい土が、そう無言で語りかけているようだった。


セレンは小さく、けれど深く深呼吸をすると、腰に下げていた薬草摘み用の小さな小刀をゆっくりと抜き出した。

かつての、魔法が苦手で泣き虫だったセレンなら。こんな血生臭くて恐ろしい光景を見たら、悲鳴を上げて逃げ出し、大人を呼びに行っていたに違いない。しかし今の彼女の全身には、五感を通じて鹿の「もう、楽にしてほしい」という切実な声が、痛いほど明確に伝わってきていた。自然の中で生きるということは、この残酷さから目を背けないということなのだと、彼女の魂が理解していた。

「ごめんね……。そして、森の恵みを、ありがとう」

震える声でそっと呟き、セレンは鹿の首の急所へと、迷いなく小刀を突き立てた。

ビクン、と一度だけ命が大きく跳ねた後。鹿の体からふっと力が抜け、今まで張り詰めていた悲痛な苦痛の振動が、まるで雪解け水が土に染み込んでいくように、静かに、完全に消えていった。


その日の夕方。セレンが薬草の入った籠と、泥だらけになりながら解体した鹿の肉を背負ってシオンの館を訪れると、いつもは涼しい顔をしているシオンが、少しだけ驚いたように目を丸くした。

「これは……君が一人でやったのかい?」

シオンは籠の中の肉と、セレンの服にこびりついた血の跡を交互に見比べ、それから深く、長い年月を経た木が若芽の成長を見守るような、誇らしげな微笑みを浮かべた。

「……随分と、森のことわりに近づいたね、セレンちゃん」

「はい。森が、苦しんでいるのを教えてくれたから。それに、命の循環に従うって、こういうことなんだって分かった気がします」

セレンは少し照れくさそうに笑い、籠を差し出した。

「お肉、シオンさんも一緒に食べましょう」

「ああ、ありがたく命をいただこう。君の成長を祝う、最高の晩餐になりそうだ」

セレンの魔法の腕は、相変わらずまだまだ未熟だった。しかし、その身に宿した「森と同調する力」は、生と死、そして自然の残酷なまでの美しさをそのまま受け入れるほどに、深く、逞しく成長し始めていた。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

セレンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。

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