最終話 1997年のコピー&ペースト・3
――診察室。
「幸せだけど出生率が低い、んじゃなくて、幸せだから出生率が低い、んだと思うんです」
雪尋を前に栄吉はそんなことを言ってみた。
「北欧かどこかの話かい」
「結婚しなくても幸せになれる時代で私はあなたと結婚したい、ということはつまり、一人でも幸せになれるからわざわざ結婚する必要がない、ということ」
「ふむ」
「もはや現代日本では好きすぎてヤバいから結婚する以外の理由はないと思うんです」
「君の好きな男の子の話?」
ふう、と、栄吉は軽くため息をついた。
「大人としては、守るものや大切なものもないのに生き続けるのはハードモード。四十二歳のおじさんが快楽のためだけに生きるのは限界がある――」
「確かに、そういう意味では親になってしまえばイージーモードかもしれないね。理由も何も、そういう哲学的なことはさておいて、何が何でも生きていかなきゃいけないわけだから」
栄吉はちょっと微笑んだ。
「うちの親も頑張ってくれてたんだよなぁって」
「最近、お母さんへの憎しみが消えたって言ってたね」
「そしたらついでにお父さんへの憎しみも消えたわけなんですけど」
「母は偉大だね」
「でも、憎しみが消えたからこれでハッピーエンド、とはなってなくて。それが原動力になっていたわけだから、そのエネルギーがなくなってしまったら、何のために働くのかわからなくなって。やる気はあっても体が動かない、動かせない」
「仕事は行けてないわけだね」
うん、と、栄吉は頷いた。
「まあそもそも、”普通の会社員”が無理なんですけど。血族の連中にとってそれがどれだけ容易くて、とはいえ普通にできることであっても、ぼくには無理で、絶体絶命」
「ルーティンが苦手な人は確かにいる」
「音楽をチャレンジぐらいしてみたかったな、っていうのと合わせて言うと、普通の会社員をチャレンジしてみて、で、やっぱりダメだった、ということが分かった」
「一生懸命頑張ったけどダメだった、で、いいんだよ」
「というわけで仕事を辞めました~」
特に雪尋は驚かなかった。
「そう決めたのかい」
「障害年金をベースに、日雇いで働こうと思ってます。アプリも入れました。で、いざとなれば家を売ればいいし」
「働きなさいね。働けるんだから」
「はい。で。でも施設長がまた来なさいって言ってくれて。言葉半分って感じでもなくて。で、もし小説家になれたらまた行こうかなって。たぶん、一冊目がなかなかの売り上げじゃなくてそこそこの売り上げだった場合、二冊目を出すのは次三年後とかになるかもしれないし、もうないかもしれない。でも『自分は小説家である』っていう確固たる認識、意識がもしあれば、そしたら”普通の会社員”ができるかもしれないし」
「生活のために必要だからって完全に割り切って?」
「それにしてもこの五年間楽しい日々だったなぁ。この五年間を振り返ってみたら、っていう風に言うと、どこもかしこも素敵な職場で誰も彼もが素敵な人たちだったなぁ。単体で思い返せば嫌な奴もいたけどそれはさておき。いい思い出ができました」
ふふ、と、栄吉は笑った。
「小学六年生のときに、初めてガチで小説を書いて」
「凄いじゃないか」
「でもほとんど、コピペでね。パクリだらけで」
「最初は模倣から入るんだろうし」
「でも、書けたんですよね。それがクリエイターとしてパワーになっている」
「未完の名作より、完成した駄作の方がいい、みたいな」
「――でも、パワーとしては、”書けた”ことよりも”読んでもらえなかった”ことの方が、結果的にパワーになってて。卒業式の前日に書き上げたから誰にも読んでもらえなくて」
「それは残念だったね」
「だから――社会に貢献したい、とか、そういうビッグなことはさておき、ぼくは小説を書くことで他人という存在と”何か”を共有したいのだと」
「音楽ではなく」
「もちろん本当はそれが音楽なら良かったんだけど。……でもでも例えば、音楽でそれをやってたら――世界が滅んじゃってたのかも?」
「そう考えて君が”納得”できるならね」
「あるいは――よもやぼくの周りにあった全てのものは、ぼくに世界を救わせるための装置だったのかもしれぬ……」
「無論、そうではない、とは、誰にも言い切れないね」
「そろそろ賞の発表だと思うんです」
「良い結果だといいね」
「だからといって血族への憎悪が消えるわけではない。親のことはクリアできても。なぜならまだ生きているから。つまり距離を置くという選択肢が自分で取れるから」
「自分でコントロールできることを頑張りましょう」
「そういえばこないだ弟から連絡が来たんですけど、今、彼氏と暮らしているから、という嘘をつくことで関わらないように」
「いい判断だね」
「でもそのあとまた連絡が来て、今度結婚するかもってことで、相手の方と三人で会うことにはなって」
「面倒臭いねぇ」
「まあ~そうねぇ。でも」
と、栄吉はまた笑った。
「仕事だと思って」
「それはいい“処理”の仕方だよ」
「You can't see the forest for the trees」
「木を見て森を見ず?」
「まだまだ上手じゃないですけど」
しかしながら今、なかなか満ち足りた日々を送っているのも事実。
……だからといって自分のやること、やるべきこと、やらなければいけないこと、あるいはやりたいこと、やれること、そしてやりたくないことは、何も変わらないのだが。
診察は、続く。




