最終話 1997年のコピー&ペースト・2
自室のベッドの上に寝転んで、天井を見ながら理一は考える。
「……」
世界の危機。机。〈サイド・マウンテン〉。
――お母さん。
クラスの自己紹介のあの日。机を自分のもとへ運んできたあの黒づくめの男は、誰だったのか。
智也の言葉を思い返す。
「瀬戸春樹の音楽は世界の仕組みを丸ごと変えてしまうような……」
ふとそう独り言ち、理一は考え続ける。
世界の危機……自分がこの数ヶ月間してきたこと。
それらは何に繋がっているのか。
”それ”に繋げるための日々だったのか。
「……」
(よう)
そばに机が現れていた。
(お前か)
(つまり世界の危機だ)
(またか)
(それがおれの存在理由だからな)
(存在理由ね)
(お前の存在理由は?)
そう訊ねられ、理一は、微かにうーんと唸った。
(考えたこともない)
(思春期の少年にしては珍しい)
(……何かに夢中になってみたいとは思うんだ)
(春樹のようにか)
父は絶大な音楽の才能を持っていた。
そしてそれを諦めて、今は平凡なサラリーマン。
(……そこまで一つのことに集中できていたっていうのは、羨ましいよ)
(お前もそうすればいい)
(そんな”何か”が自分に見つけられるのかどうなのか)
(春樹は見つけたんじゃないか)
(でも、諦めた)
(お前だ)
(え?)
と、理一は机を見つめる。緑色のアメーバ。おそらくは母・珠枝の残留思念。それが時を経てこのような姿に表現されている。
怪訝そうな顔の理一に、表情の変化のないアメーバが、なぜか理一には微笑んだような気がした。
(子どもは宝だろう?)
(知らないよ。子ども、いないし)
(いずれ作ればいい)
(一生作れないかもしれないじゃないか。それこそ……一生独身で、何の趣味もなく、やりたいことなんか何もない、ただのおじさんになるのかもしれない)
(それでも日々の中に”楽しい”と思えることを見つける努力ぐらいは必要なはずだ。――そうじゃないか?)
理一は訊ねた。
(お前は、お母さん?)
だが机は、
(おれにも分からない)
と答える。
(中途半端な超常現象だ)
(そうだ。だから……今ここでこうやって喋っていたら、このまま世界がどうにかなるかもしれないぞ)
(今一度聞くが、どうにかなる、って、どうなるんだよ)
机は答えた。
(分からんね)
しかし、動かなければならないのは間違いないようだった。
自分が世界の命運を握っているとは中二病全開だな、と思いながら。
ベッドから起き上がり、部屋を出てリビングに向かうと、そこで春樹がソファに座ってテレビを観ている姿を発見したので、そのまま理一は春樹の隣に座る。
「……」
「……」
無口な父親であり、息子な父親であり、そんな二人を繋げているものはギター、つまり音楽。
それを父はやめてしまった。
子どもは宝。――自分が産まれたからやめたのだろうか?
だとすれば――そんな自分であればこそ――。
「お父さん」
と、意を決して理一は春樹に声をかけた。
「何だい」
「音楽はもうやらないのかい」
一瞬、場の空気が固まった。
「どうして?」
既定事項は否定しない。
「この間、小津野さんの家に行って……智也さんが、お父さんは凄かったって。木下先生もそう言ってたんだけど」
「あいつら」
軽く舌打ちをする。
「それは、親子と言ってもプライベートなことだから」
(答えてくれないかな)
(さて)
理一は反駁した。
「おれのせい?」
春樹は目をまん丸にした。
「どうして?」
「おれが産まれて、音楽どころじゃなくなったから、やめたのかなって」
「……違うよ」
(違うのかな。既定事項の否定までは機能しない?)
(まあ待て)
「じゃ、何でやめたの」
「……」
そこで春樹はテレビを消して、腕を組んだ。
静かなリビングになった。
「音楽にそこまで夢中になれなくなったんだ」
「なぜ」
「大人になったってことなのかな……そんな甘い夢見てないで現実を見ようってね」
「でも」と、かつてフォレストのメンバーと話したことを思い返す。「年収三百万のミュージシャンなんてごろごろいるんじゃないの」
(成功を勘違い?)
(現実的だ)
春樹は答えた。
「それは分かる。でも金とかそういうことじゃない。もっとこう、音楽そのもの、のことだよ」
「もうちょっと分かりやすく」
「だから……毎日歌を歌って生活するということにリアリティを感じなくなった」
「どうして」
「どうしてって……」
(やっぱりおれのせいなのかな)
机は何も言わなかった。
〈サイド・マウンテン〉は既定事項の否定までは機能しない。
「言い訳のための言い訳みたいな」
「そうじゃないよ。もういいじゃないか。若い頃の夢を諦めたのはなぜかなんて」
「若い頃諦めただけで、大人に、おじさんになってから再挑戦したらいいのにって。ほら新山一斗って分かるだろ。あの人みたいに」
その名を聞いて一瞬父が固まったのは自分の気のせいだろうかと思った。
「知ってる? 新山一斗」
「知ってるよ」
「アラフォーでデビューしたスーパースターだよ。つまりそういう例があるじゃないか」
「新山一斗が成功しているのはそれが新山一斗だからだよ」
それはそうだと思う。いくら努力をしたからって、どれだけの才能があるからって、例えば誰もが雅哉のように全教科満点を取れるわけではない。それは努力とか才能だけではなく、そのときの運やコンディションといった”たまたま”ということも含まれるのだ。そしてその”たまたま”を新山一斗が手に入れられたのはそれが新山一斗だからだ。それはそうだと思う。
だからこそ理一は思う。
「だから、お父さんも、そんなに凄かったなら、今からでも」
何といっても、あるいはそのための怪異と、特殊能力だ。
ふと理一は――この机は、お母さんであり、この机を運んできた黒づくめは、お父さんの影のようなものなのではないかと思った。つまり……息子である自分の”使命”は父にもう一度音楽の夢を抱かせること。そして成功させること――そのためにこの机は自分のもとに現れ、自分は〈サイド・マウンテン〉を得た。
だから自分は、父に夢を見させなければならない、そう強く思った。家族の応援があれば、しかも”宝”がそんなことを言っているのであれば、別に音楽が嫌いになったわけではないようだし、少なくとも趣味でライヴハウスに出るぐらいのことはさせてあげられるかもしれないし、そこからどんどん階段を上って。あるいはそのために自分は今、仲間と音楽をやっていて。その素晴らしさを見せるため。
「音楽はやらない。理一がいくら言っても」
しかし理一の”予測”に反して春樹はそう答える。
しまった、と、理一は心の中で舌打ちした。〈サイド・マウンテン〉はあらゆる予測を外し――ありとあらゆる可能性の網の目を掻い潜って”それ”はやってくる――。
であるのであれば?
「趣味でもいいじゃないか」
「なおさらやらない」
「なぜ。嫌いになったわけではないんだろ?」
「好きは好きだよ。お前に教えるぐらいには」
「それじゃなぜ。趣味で、先生たちじゃなくても、誰か仲間とバンドを組んで、音楽を作って、なんて、そういうことをやってる大人の人いっぱいいるじゃないか。ううん。それこそみんながみんなメジャーを目指してるわけじゃなくて、趣味で」
みんながみんなメジャーを目指しているわけではない――。
まずかったか、と、理一は思った。
「生半可な気持ちで諦めたわけじゃないんだ」
父の意志は固い。
――それならこの化け物とあの黒マントは何のために現れた?
――父に音楽家になってもらうためなのではないか?
「おれは音楽はもうやらない」
しまった、と、理一は思った。
「音楽はやらない」
「だからなぜ」
「守るものがあるからな」
(おれのせいじゃないって)
(〈サイド・マウンテン〉発動だ)
そこで、春樹は理一の目をまっすぐに見てきたので、理一はたじろいだ。
しばしの沈黙。
やがて春樹は言った。
「お前を言い訳にしているみたいだが、おれの優先順位は揺るがない。音楽は、理一より優先順位がずっと低い――音楽をやっていると、自分の生き方を守れないんだ」
「……」
「だからやらない。だからやめた。ただそれだけのことだ」
それは――あまりにも毅然とした態度だった。そこには一切の迷いなどないように理一には見えた。
(ダメだ。この強固な意志は崩せない――)
(お別れだな)
(え?)
ふと父から目を離し机を見ると、机が粒子と化し今まさに消えようとしていた。
(〈サイド・マウンテン〉は、既定事項の否定までは機能しない――春樹の意志は崩せなかったようだ)
春樹は立ち上がりキッチンへと向かう。コーヒーを淹れようとしているようだった。
(世界の危機はどうなるんだ)
(どうにかなった結果、おれの役目が終わったってことだよ)
(処理が済んだと?)
(そうだ。これで世界は、在るべき姿に処理された――じゃあ、運命が運命なら、そのときまた会おう)
そして机は、消滅した。
最初からそこには何もいなかったようだった。
「……」
「はい」
と、父がコーヒーを理一に渡す。
「あ。ありがとう」
「いや」
と言って春樹は自室へと戻っていく。
「……」
誰もいないリビングで何かをする気にもなれなかったので、理一もそのまま部屋に戻った。
「……」
ベッドに再び寝転んで、天井を見上げる。
「世界がこれで救われた――のかな?」
父親に音楽をやらせないことで世界が救われたのかな、と考えたところで――。
それならこの超常現象の数ヶ月間は何だったんだろう。
机。化け物。黒づくめの男。〈サイド・マウンテン〉――父に音楽をやらせないために現れた?
「違う」
それなら、そもそも父は音楽をやめてしまったのだから、そんなものたちは出現の必要などなかったはずだ。
それなら、これらの怪異は一体何だったのか?
何のために自分のもとに現れた?
机が母の残留思念であることは間違いないようだったし、黒づくめの男が父の心の影とか夢のかけらみたいなものであったことも間違いなさそうに今の理一には思える。だから直前までの理一は、父の音楽の夢の復活のためにそれらが現れたのだとばかり思っていた。しかし。
「……はっきりと、音楽を、諦めさせるため?」
そう考えた方がずっと自然だと思う。
それなら、世界の危機というのは。
その処理というのは――どうにかする、というのは――。
「……お父さんに音楽をやらせていたら、世界が”滅びた”……?」
あまりにも奇想天外で奇妙奇天烈な論理であった。
理一の思考は続く。
「いやだって、どのみちお父さんは音楽をやめてしまっていた」
だが、春樹に音楽をはっきりと諦めさせるための超常現象だったことは間違いなさそうだった。
そこで理一は気づく。
「あらゆる可能性の網の目を……」
予測が外れる。
誰の予測?
「……おれが選んだのか?」
知ってか知らずか……あるいは無意識での自分の選択の結果が、今ここに?
世界の危機をどうにかする。どうにかする、というのは、どうする?
「……」
であるのであれば――。
父に音楽をやらせないことで、世界が、どうにかなる?
また、智也の言葉を思い返す。
それは世界の仕組みを丸ごと変えてしまうような。
ふと理一は、今回の自分の選択によって、世界が救われた可能性を考えた。父の音楽は世界の仕組みを丸ごと変えてしまうもの。だからこそ、父が今のこの世界を滅ぼしていたのかもしれない。なぜなら変化と終焉は紙一重だ。つまり、これによって父という世界の危機をどうにかした――。
「……」
今、自分の選択のようなものが――世界を救ったのか。
そこまで考え、理一は――。
「なんてね」
と、頭を切り替えた。
結局のところ結果論だ。今後世界がどうなろうがそれが世界の必然だ。もしかしたらあるいは自分の発動させた能力がこれから世界を滅ぼしていく可能性だってあるのかもしれないが、だからといって自分にそういった種類の特殊能力が芽生えたわけではない。それこそ亜月の”特殊能力”と同じで、単に自分自身の考えすぎである可能性の方がずっと大きい。そして今、あの化け物机が消滅してしまった以上、自分の〈サイド・マウンテン〉は失われたのだろうし、いやいや、そもそもそんなものはなかったのかもしれない。全ては世界の必然だったのかもしれない。これまでの一連の事件は毎度毎度パニックになったことで自分の予測が結果的に外れただけで、もともとそのような展開になっていたのかもしれない――いや、そう考えた方がずっと自然だ。
自分が世界を救ったのか、どうなのか。それは分からないし、そんなことは誰にも分からない。証明のしようがない。あるいは自分は不思議な能力を持った不思議な存在なのかもしれない。しかしだからといってそれによって自分のやらなければならないことがやらなければならないことであるという事実が動くわけではない。例えば来週から始まる一学期の期末テストは必ず受けなければならないのだ。なぜなら退学しているわけではないのだから。
「勉強しよ」
理一は勉強机に向かう。先ほどの自分の選択のようなものが世界を救ったのかどうかはわからない。しかしそれこそ明日世界平和が訪れようが、あるいはそれこそ世界が滅ぶとしても、だからといって自分にできることは何も変わらないのだ。




