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第2話 奇妙な旅人

第2話 奇妙な旅人


 旅人が村へやって来たのは、翌日の昼前だった。


 太陽は容赦なく照りつけていた。


 空は白くかすみ、乾いた風が土埃を巻き上げている。


 ミリアは井戸のそばで空の桶を抱えていた。


 井戸の水位は日に日に下がっている。


 滑車を回しても、以前のような勢いで水は上がってこない。


 ようやく汲み上げた水も、底が見えるほど少なかった。


 その時だった。


「おお、本当にひどい干ばつじゃな」


 しわがれた声が聞こえた。


 振り向くと、昨日見かけた老人が立っていた。


 灰色の外套は何度も繕われている。


 革の靴は擦り切れ、長い旅の跡が刻まれていた。


 白い髭は胸元まで伸びているが、不思議と不潔な感じはしない。


 むしろ澄んだ山の空気のような雰囲気があった。


 老人は桶の中を覗き込んだ。


「この井戸も苦しそうじゃ」


「はい」


 ミリアは少し緊張しながら答えた。


「旅の方ですか」


「そうじゃ」


 老人は笑った。


「ヨナという」


「私はミリアです」


「良い名じゃな」


 ヨナは井戸の縁に腰を下ろした。


「村中が困っておるようじゃな」


「はい」


「食べ物は?」


「少しずつ減っています」


 ミリアは正直に答えた。


 昨日の夕食も野草と豆の薄いスープだった。


 今朝は固くなった黒パンを半分だけ。


 それでもまだ食べられるだけ恵まれている方だ。


 ヨナは静かに頷いた。


「なるほど」


 その時、神殿の鐘が鳴った。


 長老エリアスが人々を集める合図だった。


 村人たちが次々と神殿へ向かう。


 ヨナも立ち上がった。


「行ってみるかの」


 神殿の広場には百人近い人が集まっていた。


 痩せた農夫。


 疲れた母親たち。


 やせ細った子どもたち。


 誰もが乾いた顔をしている。


 エリアスが前へ出た。


 白い長衣が風に揺れる。


「皆の者」


 人々が顔を上げる。


「今日も共に祈ろう」


 その時だった。


 ヨナが一歩前へ出た。


「長老殿」


 ざわり、と人々が振り向く。


 見知らぬ老人だったからだ。


「旅人か?」


 エリアスが尋ねる。


「そうじゃ」


「何か用かな」


 ヨナは穏やかに言った。


「山の北側にまだ水がある」


 一瞬、沈黙が落ちた。


 次の瞬間。


 誰かが吹き出した。


「なんだそんなことか」


「水があるだって?」


「旅人の世迷い言だ」


 笑い声が広がる。


 ミリアは驚いていた。


 なぜみんな笑うのだろう。


 水があるなら良い話ではないか。


 だが村人たちは違った。


「そんな話じゃない」


 農夫の一人が言った。


「俺たちは神の奇跡を待っているんだ」


「そうだ」


 別の男も続く。


「大雨が降れば全部解決する」


「山の水なんて雀の涙だ」


 人々は口々に言った。


 ヨナは怒らない。


 ただ静かに聞いている。


 エリアスが腕を組んだ。


「旅人殿」


「なんじゃ」


「我々は毎日祈っている」


「知っておる」


「神が雨を降らせてくださるはずだ」


「そうかもしれん」


「ならば待つべきだ」


 ヨナは少し空を見上げた。


 雲ひとつない。


 青く乾いた空だった。


「待つのも良い」


 ヨナは言った。


「だが歩くこともできる」


 人々は首を傾げる。


「歩く?」


「山へじゃ」


 また笑い声が起きた。


「この暑さでか」


「年寄りは元気だな」


「そんな暇があったら祈る」


 誰も本気にしなかった。


 ミリアだけが黙っていた。


 ヨナの顔には嘘をついている人間の表情がなかった。


 むしろ本当に見てきた人の顔だった。


 集会が終わった後も、人々は旅人の話を笑いながら帰っていった。


「北の山に水だってさ」


「そんなものがあれば誰か見つけてる」


「まったくだ」


 夕方になると、村の広場ではいつものように質素な炊き出しが行われた。


 大鍋には豆の煮込み。


 少量の玉ねぎ。


 乾燥した香草。


 肉は入っていない。


 それでも湯気の匂いは空腹を刺激した。


 ミリアは木の器を持って列に並んだ。


 ふと見ると、ヨナが広場の隅で座っている。


 一人だった。


 器の中には黒パンと煮込み。


 それを静かに食べている。


 ミリアは迷った。


 だが思い切って近づいた。


「隣、いいですか」


 ヨナが顔を上げた。


「もちろんじゃ」


 ミリアは腰を下ろした。


 煮込みを口に運ぶ。


 豆は固かったが温かい。


 ヨナもゆっくり食べている。


 しばらくしてミリアが聞いた。


「本当にあるんですか」


「何がじゃ」


「山の水です」


 ヨナは笑った。


「ある」


「見たんですか」


「見た」


「どれくらい?」


「村中を救うほどではない」


 ミリアは少しがっかりした。


 だがヨナは続けた。


「しかし命をつなぐには十分じゃ」


 風が吹いた。


 夕日の光が老人の横顔を照らす。


「なぜみんな信じないんでしょう」


 ミリアはぽつりと聞いた。


 ヨナは黒パンをちぎった。


「人は苦しくなるとな」


「はい」


「答えよりも、自分の思い描いた答えを求める」


 ミリアは意味が分からなかった。


「どういうことですか」


 ヨナは空を指差した。


「皆は雨を待っておる」


「はい」


「だから地面を見なくなった」


 ミリアは黙った。


「山を見なくなった」


「……」


「人の話を聞かなくなった」


 遠くで鐘が鳴った。


 夕暮れの村は赤く染まっている。


 ヨナは穏やかに微笑んだ。


「じゃが、お前さんは聞いておる」


「私が?」


「耳を使っておる」


 ミリアは少し照れた。


 そんなことを言われたことがなかった。


「耳は大事じゃ」


 ヨナは立ち上がる。


「目は遠くを見る」


「はい」


「だが耳は、まだ見えないものを教えてくれる」


 そう言うと杖をついて歩き出した。


 夕日の中へ。


 長い影を引きながら。


 ミリアはその背中を見送った。


 そしてふと北の山を見た。


 夕焼けに染まる稜線。


 その向こうに、本当に水があるのだろうか。


 村人たちは誰も見ようとしない。


 空ばかり見ている。


 だがミリアの心には、小さな種のような疑問が芽生え始めていた。


 もしかしたら。


 もしかしたら本当に――。


 神様の答えは、空ではなく山の方から来ているのかもしれない、と。



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