第3話 聞き方ひとつで、AIは役に立つ
AIは、平気で嘘をつきます。
それでも、使い方しだいで、最強の相棒になる。そんな話です。
魔物の狩り場から十分に離れたところで、ソーラは足を止めた。大きな岩が三方を囲む、小さな窪地だった。
頭上の枝の隙間から、紫に暮れていく空がのぞいている。橙色の小さな太陽が、最後の光を木々の梢に引っかけていた。
日が沈みきる前に、ソーラは手際よく野営の支度をした。
小枝を組んで、ソーラが指先をかざす。ぽっ、と小さな火が灯った。
豆粒ほどの火種が、細い小枝の一点だけを正確に焦がしていく。火はゆっくりと広がり、やがて焚き火になった。
ぱちぱちとはぜる音とともに、橙色の火の粉が、暗くなりかけた森にふわりと舞い上がる。
俺は、思わず身を乗り出していた。
「……今の、魔法か?」
「は、はい。火をつけるだけの、簡単なものですけど。」
簡単なもの、と言われても困る。
指先から、火が出たのだ。ライターも、マッチもなしに。
子どものころに見たアニメやゲームの中だけのものだと思っていた。
2つの太陽を見たときより、AYAKAのウィンドウが浮かんだときより、なぜか今のほうが、ここは本当に異世界なんだと腹の底から思い知らされた。
「すげえ……。もう一回やってくれ。」
ソーラの目が、まんまるになった。それから、みるみる耳まで赤くなっていく。
「も、もう一回、ですか?……はいっ!」
ソーラは、張り切って指先をかざした。
ぽっ。ぽっ。ぽっ。豆粒ほどの火が、灯っては消え、灯っては消える。そのたびに、ソーラの口元がどんどんゆるんでいく。
俺は、子どもみたいに手を叩いていた。
『補足いたします。この現象は、私の知る物理法則では説明できません。』
AYAKAが、珍しく「分からない」と言った。
……そりゃそうだ。
「僕の魔法で、こんなに喜んでもらえたの……初めてです。」
ソーラは、照れくさそうに鼻の頭をかいた。
「これくらいしかできないんです。大きな火は、どうしても出せなくて。」
ソーラは、恥ずかしそうに言った。
弱い火しか出せない。それが、いつまでも見習いのままでいる理由らしい。
「気にしなくていいんじゃないか。俺なんて、魔法そのものが使えないんだから。」
自分で言って、少しだけ寂しくなった。
せっかく魔法のある世界に来たのに、俺にできるのは、AYAKAに聞いて、言われた音を繰り返すことくらいだ。
ソーラが、ぱっと顔を上げた。
「じゃ、じゃあ……教えましょうか?」
「いいのか?」
「はいっ!僕でよければ!」
誰かに何かを教えるのも、きっと初めてなのだろう。
ソーラの顔は、さっきよりもっと、喜びにあふれていた。
そのとき、俺の腹が、盛大に鳴った。
2人で顔を見合わせて、吹き出す。
「……魔法の練習は、明日からにしましょうか。先に、夕飯です。」
ソーラは笑いながら、布袋から小さな鍋を取り出した。
森を歩きながら摘んでいた草や茸を、次々と放り込んでいく。
「これは食べられます。」
ソーラは、緑の葉を一枚つまんで見せた。それから、少し間を置いて付け加えた。
「……本当です。」
思わず吹き出した。ソーラも、つられたように笑った。
鍋から湯気が立ちはじめる。青菜と茸の、少し土っぽい、いい匂いだ。
焚き火の明かりが、ソーラの丸い顔と、岩肌をゆらゆらと照らしている。
俺は、聞きたいことを頭の中で並べていた。この世界のこと。王国のこと。神託のこと。
口を開きかけて、視界の端のウィンドウを見る。
いや、と思い直した。
この世界のことは、AYAKAには分からない。分かるのは、目の前のこいつだ。
「なあソーラ。この国の人は、神託のことをどう思ってるんだ。」
AYAKAの発音を借りて聞くと、ソーラは鍋をかき混ぜる手を止めた。
「帝国の人は、神様みたいに崇めてるって聞きます。王国の人は……怖がってます。帝国を強くしたものだから。」
「じゃあ、俺が神託を連れて帰ったら。」
「……喜ぶ人と、怖がる人と、半分ずつだと思います。」
正直な奴だ、と思った。
木の椀によそってもらったスープは、少し苦くて、ちゃんとうまかった。舌も痺れなかった。
その夜、焚き火のそばに横になると、枝の隙間に星が見えた。見たことのない並びの星ばかりだった。
視界の端のウィンドウに目をやると、隅の表示が、いつの間にか〈通信量 残り96%〉に変わっていた。たいして使った覚えはない。
減っていくのか、これ。
寝転がると、太ももとふくらはぎが悲鳴を上げた。
半日歩いただけでこれだ。115キロの体は、思っていた以上に、なまっていた。
◇
翌朝、森を抜けると、視界がいきなり開けた。
なだらかな丘がいくつも重なり、その斜面を、刈り入れを待つ麦畑と草地が埋めている。あちこちに、石を積んだ低い垣根と、ぽつんと立つ一本木。
そのあいだを、土の街道が一本、うねりながら丘の向こうへ伸びていた。
夜のうちに雨が降ったらしい。
道はぬかるみ、深く刻まれた轍に溜まった水が、2つの朝日を映して光っている。一歩ごとに、革靴が泥に吸いつかれた。
しばらく歩いたところで、怒鳴り声が聞こえた。
街道の真ん中で、荷車が一台、泥に車輪を半分沈めて傾いていた。荷台には麻袋が山積みになっている。
荷車の前には、見たこともない獣が2頭つながれていた。
恐竜図鑑で見たヴェロキラプトルを、ひと回り大きくして、おとなしくしたような姿だ。2本の後ろ脚で立ち、長い尾で体の釣り合いをとっている。
体は茶色の羽毛に覆われ、口先は鋭い牙ではなく、草を食むための丸いくちばしになっていた。
その細い2本の脚が、くるぶしまで泥に沈んでいる。一歩踏ん張るたびに、ずぶずぶと飲まれていく。
獣たちは首を振り、甲高い声で鳴いていた。
そのまわりで、革の胸当てをつけた男たちが6、7人、汗だくで荷車を押したり、獣の手綱を引いたりしていた。
胸当てはどれもすり切れ、ズボンは膝まで泥で茶色に染まっている。
「王国の兵です。補給の隊だと思います。」
ソーラが小声で言った。
「あの獣は?」
「ドロモです。平らな道なら、一日じゅう荷車を引いて歩ける働き者なんですけど、力はそれほどなくて。脚が2本しかないから、ぬかるみにはとても弱いんです。……馬は騎兵に回されてしまって、補給の隊にはドロモしか残っていないんです。」
馬は貴重らしい。戦争をしている国なら、当然か。
兵の一人がこちらに気づき、手を止めた。続いて、ほかの兵も。
視線が、灰色のローブのソーラと、泥のはねたスーツ姿の大男とのあいだを行き来する。
「何者だ。」
口ひげを生やした、40がらみの男が前に出た。日に焼けた頬に、古い刀傷が一本走っている。腕が太い。この隊の頭らしい。
ソーラが慌てて頭を下げた。
「宮廷魔術師様の弟子の、ソーラと申します。こちらは……旅の方で。」
神託のことは、言わないことにしたらしい。賢明だ。
男は、俺をじろりと見た。頭のてっぺんから、泥だらけの革靴まで。
「旅の者にしちゃ、妙な格好だな。」
言い返す言葉が浮かばなかったので、とりあえず笑ってみた。
男の眉間のしわが、一本増えた。
「村々から集めた小麦を、王都の兵糧庫まで運ばなきゃならん。前線の砦の連中は、こいつを待ってるんだ。日が暮れるまでに次の宿場に着けなきゃ、また一日遅れる。」
男は、吐き捨てるように言った。誰に向けたわけでもない言葉だった。
俺は、傾いた荷車と、泥まみれの兵たちを見た。
考えるより先に、口が動いていた。
「手伝うよ。」
◇
とはいえ、どうすればいいのか分からない。
俺は少し離れて、小声で呼んだ。
「AYAKA。荷車を泥から出すには、どうすればいい。」
一拍。
『泥にはまった車両を脱出させる場合は、安全を確保したうえで、専門の業者にご相談されることをおすすめします。』
「……業者、いねえよ。」
思わず声が出た。兵の何人かが、怪訝そうにこちらを見た。
昨日の痺れを思い出す。聞き方ひとつで、答えは変わる。
AYAKAは、俺が渡した情報の分しか考えてくれない。
頭の中を整理して、言い直した。
「荷車は木製で、車輪は2つ。引いているのは、2本脚の獣が2頭。力はあまりなくて、そいつらの脚も泥に沈んでる。泥は膝くらいの深さ。人は俺を入れて9人。道具は、縄と板と斧くらいしかない。荷は小麦の袋。業者はいない。俺たちだけで、今すぐ出す方法を教えてくれ。」
一拍。
『承知しました。状況に合わせてご提案します。1、荷を下ろして、荷車を軽くします。2、沈んだ車輪の前の泥を掻き出し、進む方向に板を敷きます。3、丈夫な棒をてこにして、車輪を持ち上げます。4、獣が前から引く力と、人が後ろから押す力を、同時にかけます。最も重要なのは、全員の力を同じ瞬間に合わせることです。』
「……おお。」
今度は、ちゃんとしている。
『補足いたします。こちらは地球の物理法則に基づく、一般的な知識です。』
つまり、地球と同じ理屈が通じることなら、こいつは頼りになる。
全員の力を、同じ瞬間に。
それなら、知っている。
◇
荷を下ろし、泥を掻き出し、板を敷く。重い麻袋を一つずつ道端の草の上に並べ、手で、板切れで、車輪のまわりの泥を掻き出していく。ここまでは、AYAKAの言葉をソーラに伝え、ソーラが兵たちに説明してくれた。
問題は、最後だった。
「全員で、同時に押す。」
それを伝えようとすると、AYAKAの訳を待って、それを復唱して、兵が首をかしげて、また訳を待つ。
そのあいだに、誰かが勝手に押しはじめ、別の誰かは引きはじめる。荷車は、ぴくりとも動かない。
だめだ、これじゃ。
モールで、いちいち言葉で説明する奴はいない。
俺は、言葉をあきらめた。
荷車の後ろに回り、兵たちの前で腰を落とす。背中をまっすぐに、肩を荷台に当てる。
隣の兵の腕をつかんで、自分の腰に回させる。反対側の兵も。押す姿勢を、体で見せる。
兵たちは、最初は笑っていた。妙な格好の大男が、泥の中で妙な構えをしている。
でも、一人、また一人と、俺の真似をして肩を並べはじめた。
「レディー……ゴー、で押す。」
腰を落としたまま、低く「レディー」と言い、ひと呼吸ためてから「ゴー」で肩を突き出してみせる。
何度か繰り返すと、兵たちも口の中で真似しはじめた。言葉の意味は分からなくても、リズムは伝わる。
「レディー……ゴー!」
押した。
ずれた。左の3人が一拍遅れて、力が逃げる。荷車は、わずかに揺れただけだった。
「もう一回!」
これは、訳さなくても通じたらしい。
もう一度、腰を落とす。全員が息をひそめて、俺の声を待っている。
「レディー……ゴー!」
9人の体が、同時に前へ出た。前では口ひげの隊長が手綱を引き、2頭のドロモが甲高く鳴いて、細い脚で泥を蹴る。
足の裏で、泥がずるりと滑る。肩に、荷台の重さがのしかかる。
懐かしい重さだった。押されて、押し返して、ほんの少しだけ、前に進む感覚。
車輪が、泥から浮いた。
板の上に乗る。転がる。
荷車が抜けた瞬間、支えを失った俺たちは、全員まとめて泥の中に倒れこんだ。
顔から突っ込んだ。口の中まで泥だらけだ。
顔を上げると、隣の兵も泥まみれだった。その隣も。目が合った。
誰からともなく、笑いだした。
口ひげの隊長が、泥だらけの手で俺の背中をばんばん叩いて、何か言った。
『あなたは、非常に優れた牛です。』
……牛?
隊長の顔を見る。歯を見せて、大笑いしている。どう見ても、悪口じゃない。
「AYAKA、今のもう一回。顔は笑ってる。」
『ご指摘ありがとうございます。再翻訳いたします。「牛みたいな馬鹿力だな。助かったぜ。」』
そっちのほうが、ずっといい。
俺も、泥だらけの手で隊長の背中を叩き返した。
◇
下ろした荷を積み直すときには、兵たちのほうから、あの掛け声が聞こえてきた。
「レディー……ゴー!」
麻袋を2人がかりで抱え、ゴーで荷台に放り上げる。発音は滅茶苦茶なのに、リズムだけはぴったり合っていた。
誰が始めたのか、いつの間にか全員がそう言っている。
荷を積み終えるころには、俺は兵たちから「ゴー」と呼ばれていた。
泥にへばったドロモを休ませるあいだ、街道脇の草の上に腰を下ろして、兵たちと一緒にパンをかじった。黒くて酸っぱい、歯が折れそうなほど硬いパンだった。
ミーハーな親父が、インスタで見かけて「ママが喜びそうだ」と買ってきたドイツパンに似ている。
パンは大好きなママも、こういう硬くて酸っぱい、いかにも外国の味は苦手で、最初のひと切れでやめてしまった。残りは、練習帰りで腹ぺこの俺が、こっそり全部食べた。腹が減っていると、これが案外うまいのだ。
親父は今でも、ママがあのパンを気に入って食べきったと思っている。おかげで、あのパンはそれから何度も食卓に並んだ。
雨上がりの空は高く、麦畑の上を、風が波のように渡っていく。
隊長は、ロウエルと名乗った。補給隊を任されて10年になるらしい。
俺も名乗ったが、ロウエルは「カズキ」を3回言い間違えたあげく、「まあ、ゴーでいいか」と笑った。
言葉は、相変わらずAYAKAの訳を復唱するだけだ。発音はたぶん滅茶苦茶で、俺が何か言うたびに兵たちが笑う。
それでも、泥だらけで並んで押したあとだと、不思議と気まずくはなかった。言葉が半分しか通じなくても、同じ泥をかぶれば分かり合える。ラグビーと同じだ。
「しかし、ついてねえ。」
ロウエルが、パンくずを払いながらぼやいた。
「国境の砦が落ちた。3日前だ。帝国の神託が『3日で落ちる』と言って、その通りになったらしい。」
兵たちの顔が、少し曇った。
「神託ってのは、外れねえんだな。」
誰かが、ぽつりと言った。
外れないんじゃない、と俺は思った。
外れたことを、誰も外れたと言わないだけかもしれない。
痺れ草の学名を、出典付きで堂々と答えたAIを、俺は知っている。
でも、それを口にするのはやめておいた。今の俺には、まだ何の根拠もない。
ロウエルが、ふとソーラのほうを向いた。
「あんた、宮廷魔術師様のとこの弟子だと言ったな。」
「は、はい。」
「……聞いてねえのか。」
ロウエルは、少し言いにくそうに声を落とした。
「お師匠様は、昨夜のうちに捕らえられたぞ。神託の召喚をしくじった責任でな。」
ソーラの手から、パンが落ちた。
顔から、みるみる血の気が引いていく。訳を聞くまでもなかった。
俺は立ち上がった。脚はまだ、昨日の疲れで重い。それでも。
「急ごう。」
ロウエルが、俺とソーラを交互に見た。それから、荷車の御者台を親指で指した。
「乗ってけ、ゴー。王都まで、俺たちも同じ道だ。次に荷を下ろすときも、あの掛け声で頼むぜ。」
泥だらけの手で差し出されたその手を、俺は握った。
御者台に上がると、ドロモの羽毛の背中越しに、街道の先がずっと遠くまで見えた。
丘をいくつも越えた、その向こうに、王都がある。
言われたことしかできなかった俺が、言われる前に「手伝う」と言った。
それで、荷車一台分の友達ができた。
悪くない、と思った。
お読みいただき、ありがとうございます。
【今回のAIの使い方】
聞き方を変えると、答えが変わる。状況と目的を伝えるほど、AIは役に立つ。
明日からは、毎日21時10分に更新します。
ここまで読んでいただけた方、本当にありがとうございます。
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※作者は『ヴェルタ戦記』も連載中です。よろしければ、そちらもどうぞ。
11/3 行間、改行調整。




