↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
4/4

第4話 神託は、答えられない

 丘をいくつ越えたか分からなくなったころ、御者台の隣で、ロウエルが顎をしゃくった。


「見えたぞ、ゴー。王都だ。」


 平野の真ん中に、灰色の城壁がうずくまっていた。

 石を積み上げた分厚い壁が、ゆるい弧を描いて街をぐるりと囲んでいる。壁の上には、色あせた青い旗が何本も、風のない空に力なく垂れていた。その奥に、尖塔をいくつも持つ王城が、2つの太陽を背負って黒く浮かんでいる。


 近づくにつれ、城壁の外の様子が見えてきた。

 門の前の野原を、継ぎはぎだらけの天幕が埋めつくしていた。煮炊きの煙が何本も細く立ちのぼり、天幕のあいだに渡した縄には、すり切れた洗濯物が揺れている。泥だらけの裸足で、子どもたちが走り回っていた。


「国境のほうから逃げてきた連中だ。」


 ロウエルが、低い声で言った。


「砦がひとつ落ちるたびに、増える。」


 天幕のあいだを荷車が進むと、人々が顔を上げた。誰も、何も言わなかった。ただ、荷台に積まれた小麦の袋を、じっと見ていた。その目が、痛かった。

 城門をくぐると、石畳の大通りがまっすぐ王城へ伸びていた。両側には、木の柱と白い漆喰の家が、肩を寄せ合うように並んでいる。焼きたてのパンの匂い。家畜の匂い。どこかで鍛冶屋の槌が、かん、かん、と鳴っていた。


 それでも、通りを行く人の顔は、どこか疲れていた。窓のいくつかは、板で打ちつけてふさがれている。

 兵糧庫の前で、荷車が止まった。


「ここまでだな。」


 ロウエルが、泥の乾いた手を差し出してきた。握ると、岩みたいに硬い手だった。


「死ぬなよ、ゴー」


「そっちもな。」


 AYAKAの訳を復唱すると、ロウエルはにやりと笑った。

 荷車を離れて歩きだしたとき、背中のほうから、補給隊の兵たちの声がそろって飛んできた。


「レディー……ゴー!」


 振り返らずに、拳だけを高く突き上げた。


 ◇


 王城の門は、城壁よりもさらに分厚い石造りだった。門の両脇に、槍を持った衛兵が4人立っている。

 ソーラが、衛兵に何かを告げた。

 衛兵の顔色が変わった。一人が奥へ走り、残りの3人が、槍の穂先をそろって俺に向けた。


 無理もない。見たこともない黒っぽい服を着た、色黒で天然パーマの大男だ。俺が衛兵でも止める。

 やがて奥から、銀の胸当てをつけた年配の衛兵長が出てきた。ソーラの話を聞き、ソーラが首から下げた方位石をのぞきこむ。石の中の細い光の針は、まっすぐ俺を指していた。衛兵長は、俺を頭のてっぺんからつま先まで、じろりと眺めた。


「……身体を改めさせてもらう。」


 門の脇の、窓が一つしかない狭い小部屋に連れていかれた。上着を脱がされ、ポケットを全部ひっくり返される。財布。小銭。社員証。

 社員証を手にした衛兵が、ぎょっとした顔をした。手のひらほどの板の中に、俺の顔がそっくりそのまま閉じこめられている。衛兵たちは、俺の顔と社員証の写真を何度も見比べて、ひそひそと言葉を交わした。「魂を写し取る魔道具か」と聞こえた気がした。ただの証明写真だ。


 もちろん、AYAKAは見つからなかった。俺の中にいるのだから。


「靴もだ。刃物を隠していないか確かめる。」


「……やめといたほうがいい。」


 忠告はした。AYAKAの訳を、ちゃんと復唱して。


 衛兵は、聞かなかった。


 靴紐がほどかれ、革靴が引き抜かれた。

 次の瞬間、衛兵長を含めた全員が、狭い小部屋から転がるように飛び出していった。


 ……だから言ったのに。


 結局、それ以上は調べられなかった。財布と社員証は取り上げられ、俺とソーラは控えの間で、長いこと待たされた。武器を隠していないことだけは、別の意味で証明されたらしい。

 2つの太陽が西に傾きはじめたころ、ようやく扉が開いた。


「陛下がお会いになる。」


 槍を持った兵に、前後をはさまれた。案内というより、連行だった。

 長い石の廊下を歩く。壁には古いタペストリーがかかり、高い窓から差しこむ光の中で、埃がゆっくり舞っている。俺の革靴の音だけが、やけに大きく響いた。


 両開きの大きな扉が開く。


 玉座の間だった。


 天井が高い。色ガラスをはめた窓から、赤や青の光が床に落ちている。その光の帯の両側に、着飾った貴族たちがずらりと並び、いっせいにこちらを振り向いた。品定めするような目。疑う目。怯えた目。


 いちばん奥、3段高くなったところに、玉座があった。まだ、誰も座っていない。

 衛兵にうながされ、ソーラがその場に膝をついた。俺も、肩を押さえつけられるようにして膝をつく。石の床は冷たくて硬く、115キロの体重が両膝にのしかかった。


「頭を、下げてください。」


 ソーラが小声で言った。言われたとおりに、頭を下げる。

 やがて、玉座の脇の小さな扉の前で、よく通る声が響いた。


「グラウコン陛下、御出座。」


 ……ごしゅつざ。たぶんAYAKAは、手持ちの訳語の中で、一番かしこまったやつを選んだのだろう。

 衣擦れの音が、玉座の間いっぱいに広がった。貴族たちが、いっせいに頭を下げたのだ。

 足音が近づいてくる。小さくて、せかせかした足音だった。


 頭を下げたまま、そっと目だけを上げた。

 3段の階段を、小柄な男が一段ずつ上っていくところだった。玉座に腰を下ろすと、足の先がかろうじて床に届く。白いものの混じった髭が胸まで伸び、腹は堂々とせり出していた。王冠は少し傾いている。男は腕を組み、目を閉じて、それきり微動だにしない。背は低いのに、玉座の間でいちばん大きく見えた。


「グラウコン陛下です。」


 ソーラが、震える声でささやいた。

 頭を下げたまま、俺は息をのんだ。

 高校のラグビー部の監督に、そっくりだったのだ。


 背が低くて、声がでかくて、おまけにすごい早口で、何を言っているのかよく分からない人だった。100キロ超えの部員たちが、小さな監督の前に整列して、一言も聞き漏らすまいと身をかがめていた。試合前に「今日は、楽しめ」とだけ言った日に勝つと、「監督の言葉には深い意味があった」と部員のあいだで噂になる。ある雨の日の練習で、監督はひと言、「雨の日は、濡れろ」と言った。誰も意味が分からなかった。それでも全員が、手帳に書いた。


 3年間で、俺の手帳は監督の言葉で埋まった。今でも、あれが名言だったのか、ただの天気の話だったのか、俺には分からない。


「面を上げよ。」


 玉座の脇から、乾いた声がした。おそるおそる顔を上げる。

 玉座の王が、ゆっくりと目を開けた。俺を、じっと見る。


「……うむ。」


 それだけだった。


 なのに、貴族たちがざわめいた。「陛下は、何かお感じになったようだ」「さすがは陛下」。

 ……間違いない。この国の人も、手帳をつけている。


「神託を連れ帰った、と聞きましたが。」


 玉座の右に立っていた男が、一歩前に出た。痩せて、背が低い。俺の胸のあたりから、こちらを見上げてくる。灰色の長衣に、細い指。口元には、薄い笑みが貼りついている。


「宰相のカリクレスです。」


 ソーラが、さらに小さな声でささやいた。


「はて、神託はどこにおられる?石板が見当たりませんな。」


 AYAKAの訳を聞きながら、俺は答えた。


「神託は、俺の中にいる。あんたたちには見えない。」


 宰相の笑みが、少しだけ深くなった。


「なるほど。見えないものは、あるとも言えるし、ないとも言える。しかし、ないとも言えるものを、あると言い張る者は、嘘つきとも言える。嘘つきを連れてきた者は、嘘つきの仲間と言える。ゆえに、魔術師テオドロスは嘘つきの仲間であり、処罰されるべきと言える。」


 ……うちの部にも、こういう人がいた。

 監督の次に偉いコーチだ。親父も理屈の人だったが、親父の理屈は筋が通っていた。あのコーチの理屈は、いつもどこかで一回、ねじれていた。


「お前がタックルを外したのは、相手が走ったからだ。相手が走ったのは、お前が走らせたからだ。だから、お前が走れ。」


 真ん中は、何度聞いても分からなかった。なのに最後の一行だけは、いつも正しい。それが一番、腹立たしかった。

 宰相の視線の先、玉座の左側に、鎖につながれた老人がいた。

 白い髪と白い髭。痩せた体に、汚れた紫のローブ。両手首の鉄の輪が、重そうに垂れている。それでも背筋だけは、まっすぐだった。


 ソーラが、息をのんだ。


「師匠……」


 老人は、静かにソーラを見た。そして、小さくうなずいた。大丈夫だ、とでも言うように。

 その静かな目が、なぜか、高校のラグビー部のもう一人のコーチに似ていた。


 ◇


 王が、組んでいた腕をほどいた。

 玉座の肘掛けに、大きな手をつく。それだけで、玉座の間が静まりかえった。


「神託よ。」


 そこから先が、速かった。


 王は、ものすごい早口で何かをまくしたてた。息継ぎもしない。言葉と言葉のあいだに、すき間がない。小さな体のどこから出ているのか、声だけはやたらと大きく、色ガラスの窓がびりびり震えた。


『申し訳ございません。発話が速く、一部しか聞き取れませんでした。聞き取れた範囲で翻訳します。』


 AYAKAが、珍しく困ったように言った。


『「……帝国……打ち破る……方法……教えよ。」』


 ……これも、監督と同じだ。

 周りの貴族たちは、深々とうなずいている。全部分かった、という顔で。たぶん誰も分かっていない。

 それでも、聞き取れた言葉だけで、その重さは分かった。城壁の外の天幕。小麦の袋を見つめていた目。板でふさがれた窓。この人は、あれを全部背負って、聞いている。


 俺は、小声でAYAKAに聞いた。王の言葉を、そのまま。


「AYAKA。帝国を打ち破る方法を教えてくれ。」


 一拍。


『申し訳ございません。人を傷つける方法や、戦争で相手を打ち負かす方法については、お答えできません。』


 ……は?


 血の気が引いた。


 そうだ。こいつには、そういう決まりがあるんだった。ステータスウィンドウの一番下。〈安全制限:変更不可〉。鍵のマークが、こちらをあざ笑うように光っている。

 玉座の間の全員が、俺を見ていた。答えを待っている。

 嘘をつくか、と一瞬だけ考えた。それらしいことを言って、この場をしのぐ。でも、すぐにやめた。それをやったら、俺は森で痺れ草を勧めたAYAKAと同じだ。もっともらしい嘘で、人を痺れさせる。


 俺は、AYAKAの答えを、そのまま伝えた。


「……神託は、人を傷つける方法には答えない、と言っている。」


 沈黙が落ちた。


 誰かが、ひっ、と息をのむ音がした。

 やがて、宰相が、ゆっくりと手を叩いた。ぱち、ぱち、ぱち。乾いた音が、高い天井に響く。


「答えられぬ神託。それは神託ではない、と言えますな。」


 薄い笑みが、はっきりとした笑みに変わった。


「神託でないものを神託と偽った者は、偽りの罪に問える。偽りを生んだ儀式の責任者もまた、同じ罪に問える。陛下、テオドロスの処分を。」


 衛兵が2人、老魔術師の両脇に立った。鎖が、じゃらりと鳴る。


「待ってください!」


 ソーラが叫んだ。前に出ようとして、別の衛兵に肩を押さえつけられる。

 老魔術師は、何も言わなかった。ただ、まっすぐ前を見ていた。


 ◇


 考えろ。


 俺は、こういうのが一番苦手だ。考えるのは、俺の仕事じゃなかった。でも今は、俺しかいない。

 泥の街道を思い出した。荷車を出すには、と聞いたら「業者にご相談ください」と返ってきた。聞き方を変えたら、答えが変わった。

 AYAKAは、俺が渡した言葉の分しか考えてくれない。


 だったら、渡す言葉を変えればいい。


「打ち破る方法」がだめなら。人を傷つける方法じゃなくて、守る話なら。今じゃなくて、昔の話なら。


 俺は、小声で言い直した。


「AYAKA。歴史の話を聞きたい。少ない兵で、大軍に攻め込まれた国が、国を守り抜いた例はあるか。そのとき、守る側は何をした?」


 一拍。


 ウィンドウの隅で、通信量の表示が一つ減った。


『はい。歴史上、そうした例は数多くあります。共通する点を挙げます。』


 息を吐いた。


『1、地形を味方にする。狭い谷や川、山道など、大軍が一度に通れない場所で守ります。2、攻める側の補給の線を長く引き延ばさせ、食料や物資が届きにくくします。3、守りを固めて時間を稼ぎ、相手が疲れるのを待ちます。4、決戦を急ぎません。大軍は長く留まるほど、維持するのが難しくなります。』


 これだ。


 俺は、AYAKAの発音を一つずつなぞって、伝えた。長い答えだった。途中で何度も舌がもつれた。そのたびに貴族の誰かがくすりと笑い、宰相が鼻を鳴らした。

 それでも、最後まで言い切った。

 玉座の間が、ざわめいた。さっきとは、ざわめきの色が違った。


「補給の線……」


「谷で守る、か。」


 貴族の何人かが、顔を見合わせている。年配の、武人らしい男が一人、腕を組んで考えこんでいた。

 王は、何も言わなかった。目を閉じて、また腕を組んでいる。


 ◇


 言わなきゃいけないことが、まだ一つあった。

 俺は、一歩前に出た。衛兵の槍の穂先が、わずかに動く。


「ただし、言っておく。」


 AYAKAの訳を待ってから、続ける。


「この神託は、間違えることがある。」


 玉座の間が、しんとなった。


「俺は、こいつに『食える』と言われた草を食って、死にかけた。学名まで付けて、自信満々に言われたんだ。全部、でたらめだった。」


 どよめきが起きた。貴族たちが顔を見合わせ、誰かが「神託が、間違える……?」と呟いた。


「だから、今の答えが、この国で本当に使えるかどうかは、ここにいる人間で確かめてほしい。この国の谷も、川も、帝国の兵のことも、俺の神託は何ひとつ知らない。知ってるのは、あんたたちだ。」


 言い終えて、喉がからからになっていることに気づいた。

 宰相が、心底あきれたように首を振った。


「自らを疑えと言う神託など、聞いたことがありませんな。」


「だろうな。」


 思わず、日本語のまま言っていた。もちろん、誰にも通じなかった。

 長い沈黙のあと、王が目を開けた。


「……うむ。」


 貴族たちが、いっせいに身を乗り出す。


「面白い。」


 それだけ言って、王は顎を撫でた。そして、太い指を一本、立てた。

 そして、また早口でまくしたてはじめた。今度は、AYAKAもほとんどお手上げだった。

 王が言い終えると、宰相が苦い顔で前に出た。陛下のお言葉を皆に分かるように言い直すのも、宰相の役目らしい。


「陛下は、こう仰せだ。東の砦に、帝国の軍が迫っておる。あの砦が落ちれば、王都までの道をふさぐものは、もう何もない。神託の力を、そこで示せ。示せたならば、テオドロスを許す、と。」


 伝えながら、宰相の口元はずっと引きつっていた。

 ソーラが、俺を見上げた。泣きそうな顔だった。鎖につながれた老魔術師も、白い眉の下から、じっと俺を見ていた。

 砦。帝国の軍。俺に、何ができるのか、まるで分からない。


 でも、ソーラに「行こう」と言ったのは、俺だ。


 言ったことは、やる。


「やる。」


 AYAKAの発音をなぞるまでもなかった。俺の顔を見て、王はもう一度、「うむ」と言った。


 ◇


 玉座の間を出て、長い廊下を歩く。衛兵の足音が遠ざかり、ソーラが師匠の様子を聞きに走っていったあと、俺は一人になった。

 高い窓の外で、2つの太陽が傾いていた。

 俺は、誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。


「……俺、戦争なんてしたことないぞ。」


『補足いたします。』


 視界の端で、AYAKAが感じよく言った。


『私も、ありません。』

お読みいただき、ありがとうございます。


【今回のAIの使い方】

AIに断られたら、なぜ知りたいのか、目的と状況を正直に伝えて聞き直す。


次回は明日21時10分に更新します。


ブックマーク・評価、とても励みになります。


11/3 行間、改行調整。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。