第2話 その翻訳、本当に合ってる?
AIは、平気で嘘をつきます。
それでも、使い方しだいで、最強の相棒になる。そんな話です。
痺れが抜けるまで、半日はかかるらしい。
そのあいだ俺は、苔の上に寝転がったまま、丸顔の青年に世話を焼かれていた。
木々のあいだから差しこむ2つの太陽の光が、地面をまだらに照らしている。小川のせせらぎと、聞き慣れない鳥の声。体が動かないぶん、耳と鼻ばかりがよく働いた。
「痺れ草は、足を冷やすと抜けるのが早いんです。少し失礼しますね。」
彼はそう言って、俺の革靴の紐をほどき始めた。
あ、と思った。
止めようとしたが、舌がまだ回らない。
靴が、引き抜かれた。
次の瞬間、森の鳥が一斉に飛び立った。
青年は、しゃがんだ姿勢のまま3歩後ずさった。
両手で鼻と口を押さえている。目には、うっすら涙が浮かんでいた。
「……ちょっと、臭うか。悪いな。」
ようやく動くようになった口で謝ると、彼は涙目のまま、首をぶんぶん横に振った。
ちょっと、ではなかったらしい。
実家にいたころ、玄関で消臭スプレーを撒いたら、匂いが混ざって余計に頭が痛くなると言われたことがある。
靴を履いているあいだはいいんだ。問題は脱いだときだ。足と靴の、二重奏になる。
『一輝さん。現地の方の表情から推測しますと、体調不良の可能性があります。痺れ草の影響が、周囲にも及んでいるのかもしれません。』
「……違う。たぶん、俺の足だ。」
『申し訳ございません。私は嗅覚の情報を取得できません。』
そうか。こいつには、匂いが分からないんだ。
何でも知っているAIにも、分からないことがある。今日だけで、もう2回目だった。
◇
青年は袖で鼻を覆いながら、俺の足を小川に浸してくれた。
透きとおった水の底で、丸い小石が光っている。冷たい水が、痺れた足の裏から、少しずつ感覚を連れ戻してくれた。
いい奴だな、と思った。
初対面の、得体の知れない、足の臭い男に、ここまでしてくれるなんて。
そこで、ようやく気づいた。
「なあ、AYAKA。」
小声で呼ぶ。
「こいつの言葉、なんで分かるんだ。日本語じゃないよな。」
さっきから、彼の口の動きと聞こえてくる言葉が、微妙にずれていた。吹き替えの映画みたいに。
『はい。現地の言語を、私がリアルタイムで翻訳しております。』
「お前、ここの言葉を知ってるのか。」
『いいえ。この言語は、私の学習データにも、ネット上にも存在しません。ただ、この森で起動した時点で、私のシステムに未知の言語データが追加されていました。追加された経緯は不明です。』
「……精度は?」
『保証いたしかねます。』
保証いたしかねます、か。
「じゃあ、俺の言葉はどうやって伝えるんだ。」
『一輝さんが話したい内容を、私が現地の言語に変換し、発音をお伝えします。それを復唱してください。』
つまり、AYAKAに小声で相談して、言われた音をそのまま繰り返せ、ということらしい。
言われたことを、言われたとおりに。
そういうのは、得意だ。
AYAKAがささやく、聞いたこともない響きの音を、そのまま口に出す。助けてくれてありがとう、という意味らしい。
青年は目を丸くした。それから、ふっと表情をゆるめた。
「通じた……よかった。さっきからずっと、何もない所に話しかけてたので、頭を打ったのかと。」
「……まあ、そう見えるよな。」
「僕、ソーラといいます。エレンコス王国の、宮廷魔術師の……弟子です。見習いの。」
ソーラ。
丸い顔に、人の好さそうな垂れ目。頬にはそばかすが散っていて、灰色のローブの袖口はすり切れている。
ちょうど、すぐ下の弟の功大と同じくらいの歳に見えた。功大と違って、ずいぶん気弱そうだけど。
「俺は一輝。カズキでいい。」
AYAKAの発音どおりに名乗ると、ソーラは「カズキさん」と、少しぎこちなく繰り返した。
「カズキさんは、南の国の方ですか?肌の色も、その髪も、このあたりでは見かけないので。」
高校のころ、トンガからの留学生にトンガ人と間違われたのを思い出した。
俺はどこへ行っても、どこかよその国の人に見えるらしい。異世界でも、それは変わらないようだった。
◇
「それで、カズキさんは……」
ソーラは言いよどんだ。視線が、俺のスーツと、脱がされた革靴のあいだを行き来する。
革靴は少し離れた場所に置かれていた。風下だった。
「どこから、来たんですか。」
どう答えたものか。
「遠いところ、かな。気づいたら、この森にいた。」
ソーラの顔から、さっと血の気が引いた。
「やっぱり……」
彼はその場に膝をついた。
「すみません。それ、たぶん、僕のせいです。」
ソーラは、ぽつりぽつりと話し始めた。
エレンコス王国は、隣のピナクス帝国に攻め込まれ、もう長くはもたないこと。
帝国が強くなったのは、20年ほど前から「神託」を召喚するようになってからだということ。
神託は何でも知っていて、帝国はその言葉どおりに畑を耕し、病を治し、城を築き、国を大きくしてきたこと。
「王国も、真似をしたんです。帝国から流れてきた古い術式を、師匠が何年もかけて読み解いて。」
そして3日前の夜、王城の地下で、初めての召喚の儀式が行われた。
「僕は補助の役でした。魔法陣の、最後の一画を書く係で……そこを、書き間違えたんです。」
魔法陣は光り、何かがこの世界に来た手応えはあった。でも、王城には何も現れなかった。
「師匠が、召喚されたものの気配を指す方位石を持たせてくれました。……僕が書き間違えたんだから、僕が探しに行くって、言い張って。」
ソーラは、首から下げていた紐をたぐり寄せた。先に、親指ほどの青い石が下がっている。
石の中で、髪の毛のように細い光の針が、まっすぐ俺のほうを指していた。
「でもこの石、方角は分かっても、距離までは分からないんです。3日、歩き通しでした。」
3日。
「待ってくれ。俺がここに来たのは、昨日の夜だ。」
『補足いたします。』
AYAKAが、静かに割って入った。
『召喚の時点から私が再起動するまでのあいだに、この世界の時間で、およそ3日間の記録の空白があります。』
背筋が、すうっと冷えた。
3日。俺は3日間も、この森のどこかで、意識もなく転がっていたのか。
道理で、腹が減っていたわけだ。
ソーラは震える声で何かを言い、地面に額がつくほど頭を下げた。
その言葉を、AYAKAが訳す。
『あなたのせいで、本当に困っています。』
え、と思った。
俺は、目の前のソーラを見た。
地面に額をこすりつけて、肩を震わせている。どう見ても、人を責めている姿じゃない。
「……AYAKA。今の、本当にそう言ったか。」
『はい。翻訳結果は、そのとおりです。』
「顔と、合ってないぞ。」
一拍。
『ご指摘ありがとうございます。文脈を考慮し、再翻訳いたします。「僕のせいで、本当にすみません。」』
……全然違うじゃないか。
背筋が冷えた。
もしさっきの訳を鵜呑みにしていたら、俺は責められたと思って、言い返していたかもしれない。
言葉は、AYAKAを通さないと分からない。でも、顔はAYAKAを通さなくても見える。
訳がおかしいと思ったら、相手の顔を見ればいい。
「顔を上げてくれ。」
AYAKAの発音を、慎重に繰り返す。
今度は、自分の言葉が本当にそう伝わっているか、ソーラの反応をちゃんと見ながら。
「お前のせいじゃない。……いや、お前のせいかもしれないけど、怒ってない。」
ソーラが、おそるおそる顔を上げた。その顔を見て、ちゃんと伝わったと分かった。
◇
「でも、変なんです。」
落ち着いたソーラは、首をかしげた。
「帝国の神託は、光る石板の姿で現れるって聞きました。人の姿で来るなんて、聞いたことがなくて。」
光る石板。
その言葉に、何かが引っかかった。けれど、それが何なのかは分からなかった。
「たぶん、神託は俺じゃない。」
俺は、頭の横に浮かんでいるウィンドウを見た。ソーラの視線は、やはりそこを素通りする。
「神託は、こいつだ。」
宙を指さす。ソーラは俺の指の先をじっと見つめて、それから俺の顔を見た。
「……何も、ないですけど。」
「お前には見えないらしい。」
「じゃあ、カズキさんは。」
「たぶん、おまけだ。」
沈黙が落ちた。
ソーラは、しばらく口を開けたまま固まっていた。それから、両手で顔を覆った。
「おまけ……。僕、王国の命運をかけた儀式で、神託の、おまけを……」
「いや、神託も一緒に来てるから。半分は成功だ。」
慰めになっているのか、自分でもよく分からなかった。
『補足いたします。私は神託ではなく、業務用AIです。』
AYAKAの訂正は、ソーラには聞こえない。
それでいい。これ以上ややこしくなるのは、ごめんだ。
◇
陽が傾き始めたころ、ようやく痺れが抜けた。
白い太陽が木々の向こうに沈みかけ、橙色の小さな太陽だけが、森を夕焼けの色に染めている。
立ち上がって、伸びをする。体はなんとか動きそうだ。
ソーラは布袋を抱えて、俺を見上げていた。
「カズキさん。お願いがあります。」
「なんだ。」
「一緒に、王城に来てもらえませんか。神託を連れて帰らないと、師匠が儀式の責任を問われて、罰を受けることになるんです。……僕のせいなのに。」
声が震えていた。
AYAKAの訳を聞きながら、俺はソーラの顔を見た。今度は、訳と顔がちゃんと合っていた。
考えるまでもなかった。
「じゃあ、行こう。」
「……え。」
「お前の師匠が困るんだろ。行くよ。」
ソーラは、ぽかんとしていた。たぶん、断られると思っていたんだろう。
言ったことは、やる。それだけは、親父にきつく叩き込まれている。
「それに、お前には命を救われた。痺れたまま半日も放っておかれてたら、野犬か何かに食い殺されてたかもしれない。」
ソーラは、きょとんとした顔で首をかしげた。
「野犬……?」
「ああ。いるだろ、こういう森には。」
「この森に、犬はいません。」
ソーラは、当たり前のことのように言った。
「いるのは、魔物です。痺れ草の群れのそばは、あいつらの狩り場なんです。痺れて動けなくなった獣を、日が落ちてから食べに来る。」
ソーラは、さっきまで俺が倒れていた苔の上を指さした。
そこから少し離れた木の根元に、白いものが散らばっていた。
今まで、まったく気づかなかった。
骨だった。鹿か何かの、大きな獣の。肋骨の一本一本に、太い牙の跡が残っている。
「……日が落ちる前に、カズキさんを見つけられて、よかったです。」
ぞっとした。
痺れ草を「食用です」と言ったAYAKAは、もちろん、ここが狩り場だなんて知らない。
知りようがない。
俺は、ソーラの丸い顔を見た。
こいつが3日も歩いて、今日ここに来てくれなかったら、今夜の俺は――。
そこから先は、考えないことにした。
「……暗くなる前に、ここを離れよう。」
俺は、少し離れた所に置かれた革靴を拾い上げた。
履く前に、念のため、ほんの少しだけ鼻を近づけてみる。
……うん。ちょっと、臭いな。
靴を履き、紐を締める。これでしばらくは平和だ。
『一輝さん。王城までの最適なルートを検索いたします。』
「待て。」
思わず、口に出していた。
「それ、地球のネットに載ってるか?」
一拍。
『……載っておりません。』
「だよな。」
今朝の俺なら、AYAKAの言うとおりに歩き出していただろう。
たぶん、また痺れ草の群れにでも突っ込んで。
この世界のことは、AYAKAには分からない。分かるのは、この世界の人間だ。
「ソーラ。道、分かるか。」
AYAKAが訳し、俺が繰り返す。
ソーラはきょとんとしたあと、初めて少しだけ胸を張った。
「はい。この森なら、目をつぶっても歩けます。食べられる草も、全部分かります。」
「頼もしいな。」
歩き出したソーラの背中を、俺は追った。
……10分もしないうちに、息が上がった。115キロの体は、現役のころのようには動いてくれない。
それでも、足は前に出た。
言われた方向に体を運ぶのは、ラグビーで慣れている。
でも今日は、言われるだけじゃなく、誰に聞くかを自分で選んだ。
それが少しだけ、気分がよかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
【今回のAIの使い方】
訳は、相手の顔で確かめる。言葉が合っていても、伝わっている温度が違うことがある。
次回は本日21時10分に更新します。
ブックマーク・評価、とても励みになります。
11/3 行間、改行調整。




