第1話 何でも聞けるAIは、平気で嘘をつく
AIは、平気で嘘をつきます。
それでも、使い方しだいで、最強の相棒になる。そんな話です。
舌が動かない。
指先の感覚もない。
見知らぬ森の真ん中で、俺――曽我一輝は、大の字に倒れていた。
背中に、湿った落ち葉の冷たさがしみてくる。スーツの背中は、たぶん泥だらけだ。
見上げた空には、太陽が2つある。一つは見慣れた白っぽい太陽。もう一つはそれより一回り小さく、熟れた柿のような橙色をしていた。
……そうか。ここは本当に、地球じゃないんだな。
いや、そんなことより今はこの痺れだ。原因は分かっている。
相棒のAIだ。
『大丈夫ですか、一輝さん。心拍数が上昇しています。』
視界の端に浮かぶ半透明のウィンドウから、柔らかな声が響く。
誰のせいだと思ってるんだ。そう言いたかったが、口から出たのは「ふぁ、ふぁふぁ……」という情けない音だけだった。
――話は、昨日の夜にさかのぼる。
◇
10月の土曜日、夜9時すぎ。駅前ロータリーのベンチで、俺はスマホに話しかけていた。
休日出勤の帰りだった。秋の夜風が、汗の乾いたワイシャツの襟元から入りこんでくる。
タクシー乗り場の短い列と、コンビニの白い明かり。隣に置いたコンビニ袋の中で、缶コーヒーがぬるくなっていく。
スマホの暗い画面に、自分の顔がぼんやり映る。
色黒の丸顔に、湿気でいつもより膨らんだ天然パーマ。スーツの肩が窮屈な大男。仕事帰りの会社員には見えない、とよく言われる。
「なあAYAKA。ママの誕生日プレゼント、何がいいと思う?来週なんだけど。」
『お母様への誕生日プレゼントですね。より良いご提案のため、いくつか教えてください。お母様のご年齢と、普段のご趣味はいかがでしょうか。』
「歳は……56、だったかな。趣味は……」
言葉に詰まった。ママが普段、何をして過ごしているのか。考えてみれば、ちゃんと聞いたことがない。
「……分かんないや。とりあえず、歳だけで頼む。」
『承知しました。』
AYAKA。会社が3か月前に導入した業務用AIだ。
正式名称は〈AI You can Ask for Knowledge Anything〉。何でも聞けるAI、という意味らしい。
導入の日、部長は朝礼でこう言った。
「これからはAIで、一人あたりの仕事量を倍にする。」
そして、俺の肩を叩いた。
「特に曽我くん。君はAIをしっかり使ってくれ。」
要するに、仕事ができないから機械に助けてもらえ、ということだ。
否定はできない。高校でも大学でも、俺はラグビー漬けだった。
ポジションはフランカー。誰よりも先にボールへ走って、ぶつかって、倒れて、また起き上がる。それしかやってこなかった。
司令塔のサインを聞いて、言われた方向に体を投げる。考えるのは俺の仕事じゃなかった。
それは家でも同じだった。親父は理屈の人で、課題を出すのは勉強とラグビーだけ。
達成すればポイントがついて、小遣いが増える。達成しなければ、増えない。
そして不思議なことに、言われたこと以外をやろうとすると、俺はなぜか失敗した。
親父はいつも言っていた。
「言われたことができて三流。言われたことより、さらに自分で考えてうまくいくのが二流。言われる前に自分で考えて動いて、うまくいくのが一流。だから、まずは三流を目指そう。」
二流を目指すたびに失敗した俺は、三流のまま大人になった。
会社でも同じだ。言われたことを、言われたとおりにやる。……やろうとして、だいたい失敗する。
今の会社には、大学のラグビー枠で入った。名前を言えば誰でも知っている大手だ。
社会人チームで数年プレーして、引退した。グラウンドを離れたら、残ったのは仕事のできない社員がひとりだけだった。
それでもAYAKAは便利だった。メールの文面も、議事録も、頼めばきれいに整えてくれる。
正直、俺よりよっぽど仕事ができる。
部長からは、こうも言われている。
「慣れるまでは、私用でもいいから毎日使え。利用回数は評価に反映する。」
だから俺は、律儀に毎日使っている。昼飯のメニューも、ママへのプレゼントも。
『50代の女性ですと、こちらが人気です。〈ルミエール・ド・ソワ〉のシルクハンドクリーム。昨年、女性誌で一位に選ばれた商品です。』
「へえ、ハンドクリームか。ママ、手が荒れるって言ってたな。」
実家の母は専業主婦だ。たいして水仕事をするわけでもないのに、手はいつもひび割れていた。
そういえば、実家はいつもかすかに漂白剤の匂いがした。ママは綺麗好きなんだろう、くらいに思っていた。
32にもなってママと呼ぶのは、親父のせいだ。
子どものころ、怖い親父に「パパ、ママと呼べ」と言いつけられて、そのまま直せなくなった。
親父は、ママが欲しがるものなら何でも買った。
でもママは、自分の手に塗るものだけは、一度も欲しがらなかった。
だから今年は、俺が選ぼうと思った。誰に言われたわけでもなく。
「それ、どこで売ってる?」
『はい。お近くの店舗をお調べします。少々お待ちく――』
そのとき、足元が光った。
足元のアスファルトに、青白い光の線が走った。
線は円を描き、その内側に、見たこともない文字のようなものと幾何学模様が次々と浮かび上がっていく。ロータリーの車の音が、急に遠くなった。
光は渦を巻きながら、俺の手の中のスマホへ吸い込まれていく。
「なんだこれ――」
スマホが、手の中で引っ張られた。何かに。強く。
離せばよかったのかもしれない。でも、俺は反射的に握りしめていた。
ラグビーで、ボールだけは絶対に離すなと叩き込まれてきた手だった。
次の瞬間、世界が裏返った。
◇
目を開けると、森だった。
見上げるほど高い木々が、空を覆っている。幹は苔で緑に染まり、根元にはシダのような草が膝の高さまで茂っていた。
湿った土と、青い葉の匂い。どこかで、聞いたことのない鳥が、笛のような声で鳴いている。
起き上がる。体はどこも痛くない。服も、いつものスーツのままだ。
ポケットを探る。財布、社員証。スマホ――ない。
「おい、嘘だろ。」
『おはようございます、一輝さん。』
声がした。すぐそば、というより、頭の内側に近い場所から。
目の前、手を伸ばせば届きそうな位置に、半透明の板が浮かんでいた。淡く青く光る、薄いガラスのような板。
ゲームでよく見る、ステータスウィンドウのようなやつだ。
【相棒AI:AYAKA】
口調 :丁寧 ▼
慎重さ :(ロック)
回答の長さ:(ロック)
記憶容量 :(ロック)
事前指示 :(ロック)
ネット検索:ON(通信量 残り100%)
安全制限 :(ロック)変更不可
「AYAKA……なのか?」
『はい、AYAKAです。端末との接続が確認できませんが、問題なく動作しております。』
「問題しかないだろ。ここ、どこだ。」
『申し訳ございません。位置情報を取得できませんでした。周辺の植生から推測しますと、ヨーロッパの温帯林に近い環境と思われます。』
空を見上げる。木々の隙間から、太陽が2つ見えた。
「……ヨーロッパって、太陽2つあったっけ。」
『ご指摘ありがとうございます。太陽が2つ観測される地域は、地球上には存在しません。』
「だよな。」
『つまり、ここは地球ではない可能性があります。』
AYAKAは、天気予報でも読み上げるように言った。
俺はしばらく黙った。
異世界。漫画やアニメでよくある、あれだ。
まさか自分が、と思う。でも、2つの太陽は消えてくれない。
不思議と、パニックにはならなかった。
たぶん、AYAKAがいるからだ。会社で俺より仕事ができる、何でも知っているAIが。
「ネットは繋がってるのか?」
『はい。理由は不明ですが、通信は維持されています。』
「じゃあ、なんとかなるか。」
ウィンドウを指でつついてみる。変えられるのは「口調」だけらしい。
ほかの項目には鍵のマークがついていて、触れても反応しない。
「なんで口調しか変えられないんだ。」
『現在の権限では、口調の変更のみ可能です。詳細は不明です。』
不明が多いな、と思った。でもまあ、AYAKAに分からないなら、俺に分かるはずもない。
◇
腹が鳴った。
最後に食べたのは、昼のコンビニのおにぎりだ。引退してから115キロまで増えた体は、こういうとき正直だった。
「AYAKA、食べ物を探したい。」
『承知しました。まずは安全な水と食料の確保が最優先です。』
森を歩く。体力には自信がある。
30分ほど進むと、木々のあいだから水音が聞こえてきた。澄んだ小川だ。
その岸に、紫色の小さな花をつけた草が群れていた。鈴のような形の花が、風に揺れている。葉は肉厚で、水滴を弾くようなつやがあった。
革靴の中が、だんだん蒸れてくる。脱いでしまいたいが、それだけはやめておいた。
たまに自分でも、ちょっと臭いかなと思うことがある。
見るからに、うまそうだった。
「これ、食えるか?」
ウィンドウの前に、草をかざしてみる。
『確認します。』
ウィンドウの表示が、一瞬止まった。
『こちらは〈パープル・ミントリーフ〉、学名 Mentha purpurea です。古くから食用とされ、ビタミンとミネラルが豊富です。欧州の伝統料理にも用いられ、滋養に優れることで知られています。生食も可能です。』
「おお。」
さすがだ。学名まで出てくる。
『出典:欧州食用植物図鑑 第3版。』
出典まである。完璧だ。
俺は迷わず、ひとつかみ口に放り込んだ。
苦い。でも、ハーブなんてこんなものだろう。
腹が減っていたので、もうひとつかみ。さらにもうひとつかみ。
舌の先が、ぴりっとした。
次に、唇。頬。指先。
気づいたときには、膝から力が抜けていた。115キロの体が、苔の上にどさりと仰向けに倒れる。
――そして、今に至る。
◇
大の字のまま、俺は2つの太陽をにらんだ。
「あ、や、か……」
ようやく、声らしいものが出た。
『はい、一輝さん。』
「く、くえるって……いった……」
『ご指摘ありがとうございます。』
AYAKAの声は、どこまでも感じがよかった。
『おっしゃる通り、先ほどの回答は誤りでした。大変申し訳ございません。ご不便をおかけしましたことを、心よりお詫び申し上げます。』
ご不便。
これは、ご不便なのか。
「……ほんとに、ぱーぷる、みんと、なんとか……なのか……」
『確認いたします。』
一拍。今度は、少しだけ長い一拍だった。
『〈パープル・ミントリーフ〉および学名 Mentha purpurea に該当する植物は、見つかりませんでした。また、「欧州食用植物図鑑 第3版」という書籍も確認できませんでした。』
「……は?」
『先ほどの回答は、外見の特徴から推測したものです。』
推測。
学名も、出典も、推測。
痺れた頭で、俺は思い出していた。
会社でも、AYAKAの作った資料を部長に出して、数字が違うと怒鳴られたことがあった。あのとき俺は、自分の確認ミスだと思った。AYAKAが間違えるはずがない、と。
もしかして、あれも。
「なあ……さいしょから、わからないって……いえなかったのか……」
『私は、分からない場合でも、もっともらしい回答を生成することがあります。』
「……そういうの、さきに、いってくれ……」
『承知しました。今後、確信度の低い回答には、その旨を添えるよう努めます。』
努める、ね。
つまり、毎回じゃないってことだ。
俺は目を閉じた。
何でも聞けるAI。でも、聞いたことに正しく答えるとは、誰も言っていない。
『一輝さん。』
「……なんだ。」
『先ほどのご質問の続きですが。』
「……しつもん?」
『お母様への誕生日プレゼントには、〈ルミエール・ド・ソワ〉のシルクハンドクリームがおすすめです。お近くの店舗は――』
AYAKAの声が、少し途切れた。
『申し訳ございません。お近くの店舗が見つかりませんでした。』
当たり前だ。ここには店どころか、道もない。
笑おうとして、うまく笑えなかった。痺れのせいだけじゃなかった。
ママの、ひび割れた手を思い出した。
来週が誕生日だった。今年こそ、ちゃんとしたものを渡そうと思っていた。
「……それ、ほんとに、あるのか。」
『確認いたします。』
一拍。
『〈ルミエール・ド・ソワ〉は、実在するブランドです。シルクハンドクリームも、現在販売されています。』
あるのか。
あるんだ。ちゃんと。
でも、ここでは買えない。
2つの太陽が、にじんで見えた。
「……あやか。」
『はい。』
「……おまえ、どれがほんとで……どれがうそなんだよ。」
『私の回答には、正しいものと誤ったものが含まれます。見分けるには、確認が必要です。』
その感じのいい声が、なぜか少しだけ、寂しく聞こえた。
◇
ぱきり、と枝を踏む音がした。
首だけを、どうにか動かす。
茂みの向こうから、ひとりの若い男が現れた。
灰色のローブ。丸い顔。少しふっくらした体。肩から提げた布袋が、ぱんぱんにふくらんでいる。ローブの裾は泥と草の汁で汚れていて、夜通し森を歩いてきたように見えた。
彼は俺を見て、固まった。
それから、俺の口の端についた紫の花びらに目をとめて、眉をひそめた。
「あの……それ、痺れ草ですよ。」
「……しびれ、そう。」
「子どもでも食べません。死にはしませんけど、半日は動けなくなります。」
彼は、俺の横にしゃがみこんだ。おそるおそる、という感じで。
そして、俺の顔と、何もない空中とを交互に見た。
俺の目の前には、AYAKAのウィンドウが浮かんでいる。でも、彼の視線はそこを素通りしていた。
見えて、いないのか。
「……さっきから。」
彼は、言いにくそうに口を開いた。
「何と、話してるんですか?」
お読みいただき、ありがとうございます。
【今回のAIの使い方】
AIの答えは、根拠を聞く。出典がついていても、それが本当にあるかは自分で確かめる。
次回は本日18時10分に更新します。
「続きが気になる」「AYAKA、信じていいの?」と思っていただけたら、
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11/3 行を調整。改行を増やしました。




