第四十九歩目 「最初の英雄と、最後まで後ろにいた男」
北の町。
その中心で。
地面から突き出した巨大な塔が、夜空を貫いていた。
塔の頂上。
黒い光が人の形を作っている。
まだ顔は見えない。
それでも。
ユウには分かっていた。
「……あの人だ」
勇者が隣を見る。
「知ってるのか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「昔、会ったことがあります」
「どの前世で?」
ユウは少し考えた。
「……一つじゃないと思います」
「一つじゃない?」
「何度か」
女魔法使いが目を細める。
「つまり……」
「はい」
ユウは塔を見上げる。
「あの人も、何度も生まれ変わっている」
三番目の転生者が息を呑んだ。
「違う」
「え?」
「あれは転生者じゃない」
彼は首を振る。
「あれは――」
黒い影が。
塔の頂上から飛び降りた。
――ズンッ!
地面が揺れる。
黒い霧が周囲へ広がった。
勇者が剣を構える。
「全員、下がれ!」
女冒険者が少女を連れて後退する。
聖女も杖を構えた。
女魔法使いが魔法陣を展開する。
しかし。
ユウだけは動かなかった。
黒い霧の向こう。
人影が歩いてくる。
一歩。
また一歩。
やがて。
月明かりがその姿を照らした。
黒い外套。
白い髪。
そして。
どこか寂しそうな瞳。
「……」
ユウは。
その顔を見た瞬間。
すべてを思い出した。
――いや。
思い出したというより。
今まで別々に見えていた記憶が、一つになった。
奴隷だった頃。
大賢者の弟子だった頃。
剣を学んだ頃。
海に出た頃。
森を歩いた頃。
商売をしていた頃。
そのすべての人生で。
自分は。
この人物と出会っていた。
姿は違った。
名前も違った。
時代も違った。
だが。
魂だけは同じだった。
「……そういうことか」
ユウが呟く。
黒い影が笑った。
「ようやく思い出したか」
「はい」
「ならば――」
影が手を伸ばす。
「こちらへ来い」
勇者が前に出た。
「断る」
「お前に言っているのではない」
影の視線が。
ユウへ向く。
「彼にだ」
ユウは首を傾げた。
「俺?」
「そうだ」
「何のために?」
「続きをするためだ」
「何の?」
「昔の約束の」
ユウは黙った。
そして。
少し考えてから。
「……断ります」
「なぜ?」
「今、俺には仲間がいるので」
「……」
勇者が目を丸くする。
女冒険者が笑う。
女魔法使いが小さく頷く。
聖女は微笑んだ。
「なるほど」
黒い影は。
しばらくユウを見つめた。
「やはり変わらない」
「そうみたいですね」
「何度生まれ変わっても」
「はい」
「英雄の後ろに立つ」
「……まあ」
ユウは苦笑する。
「そこが一番、性に合ってます」
勇者が叫ぶ。
「お前、それを誇っていいのか悪いのか分からないぞ!」
「俺は気に入ってます」
「ならいいけど!」
黒い影が。
初めて笑った。
「そうだった」
「?」
「お前は昔からそうだった」
影は夜空を見る。
「英雄になれと言えば拒む」
「力を与えれば、誰かに渡す」
「称号を与えれば、辞退する」
「名を残せと言えば――」
影はユウを見る。
「『別にいらない』と言った」
女魔法使いがユウを見る。
「……本当に?」
「たぶん」
「そこは覚えてないの?」
「いや」
ユウは苦笑する。
「たぶん、昔からそんな感じだったんでしょう」
黒い影が静かに言った。
「だから、お前を消す必要があった」
空気が凍る。
「……消す?」
勇者が聞き返す。
「英雄管理局は、お前を殺したかったわけではない」
影が答える。
「お前という存在を、歴史から消したかった」
「なぜ?」
「英雄という物語が成立しなくなるからだ」
女魔法使いが眉を寄せる。
「どういうこと?」
「英雄には必ず理由が必要だ」
影が言う。
「なぜ、その者が英雄になったのか」
「誰が力を与えたのか」
「誰が導いたのか」
「誰が勝利を支えたのか」
影の視線がユウへ向く。
「しかし、お前がいると――」
「英雄だけの物語にならない」
ユウが先に答えた。
「そういうことです」
「その通りだ」
黒い影が頷く。
ユウは少しだけ笑った。
「なるほど」
「何がおかしい?」
「いや」
ユウは肩をすくめる。
「俺、昔から面倒な存在だったんですね」
「自覚がなかったのか」
「今もあまりないです」
「…………」
女冒険者が吹き出す。
「この状況でそれ言えるの、ユウくらいだよ」
そのとき。
パン屋見習いが前へ出た。
「あなたは、この子を知ってるの?」
少女を指差す。
黒い影の表情が変わった。
「……知っている」
「誰?」
「彼女は――」
影が少女を見る。
「英雄を目覚めさせるために作られた者」
少年の顔が曇る。
「作られた?」
「違う」
少女が口を開く。
「私は、選ぶために生まれた」
「何を?」
「英雄を」
少年が拳を握る。
「俺は嫌だ」
「なぜ?」
「この子を道具みたいに扱うのは嫌だ」
少女が少年を見る。
「……ありがとう」
その言葉に。
少年の白い炎が強くなる。
黒い影が目を細めた。
「選定者が自分で選んだか」
「何を?」
「誰を守るか」
影は少年を見る。
「それもまた、選択だ」
少年は答えた。
「だったら――」
白い炎を握る。
「俺はこの子を守る」
少女が微笑む。
「それでいい」
ユウは二人を見つめた。
そして。
ふと。
昔の記憶を思い出す。
小さな少女。
泣いている少年。
その二人の前にしゃがむ自分。
『選ばなくていい』
昔の自分が言った。
『でも……』
『大丈夫』
『英雄にならなくてもいい』
『誰かに選ばれなくてもいい』
『自分で選んでいい』
そして。
その二人の後ろに立った。
『その道は、俺が守る』
ユウは目を閉じた。
「……ずっと同じだったんだ」
勇者が聞く。
「何が?」
「俺は、何度生まれ変わっても」
ユウは笑う。
「誰かの後ろにいた」
「……」
「でも」
ユウは勇者を見る。
「今は、少し違います」
「?」
「後ろにいるだけじゃない」
ユウは一歩前へ出た。
「一緒に歩いてるんです」
勇者が笑った。
「そうだな」
その瞬間。
黒い影の身体から。
黒い霧が噴き出した。
「ならば――」
大地が揺れる。
「その選択を試そう」
「戦うってこと?」
女冒険者が身構える。
「そうだ」
女魔法使いが杖を構える。
「だったら話は早いわね」
勇者が剣を抜く。
「行くぞ!」
全員が構えた。
だが。
ユウだけが。
後ろへ下がった。
「ユウ!?」
「俺は後ろからやります」
「また!?」
「その方が得意なので」
ユウは腰の袋から。
何かを取り出した。
「……何それ?」
女魔法使いが尋ねる。
「パンです」
「なんで!?」
「腹が減ると集中できないので」
「戦闘前に!?」
勇者が叫ぶ。
ユウはパンを少年に渡す。
「食べてください」
「今?」
「今です」
「なんで?」
「英雄を選ぶなら、まず腹を満たした方がいい」
「……分かった」
少年がパンを受け取る。
少女も。
勇者も。
女魔法使いも。
女冒険者も。
聖女も。
それぞれパンを受け取った。
「……」
黒い影が黙っている。
ユウは最後に。
自分の分を一つ取った。
「食べます?」
「…………」
「いらないですか」
「……いや」
黒い影が。
ほんの少し笑った。
「昔から、それだけは変わらないな」
「何が?」
「お前はいつも――」
黒い霧が晴れる。
「戦う前に、皆へ飯を配る」
ユウは笑った。
「大事なことなので」
そして。
最初の英雄が。
剣を構えた。
勇者も。
剣を構える。
二人の英雄が。
夜の森で向かい合った。
その間に立つのではなく。
ユウは。
仲間たちの後ろに立つ。
いつもの場所。
けれど。
今までとは違う。
それは。
誰かに決められた場所ではない。
ユウ自身が。
選んだ場所だった。
「……行きましょう」
その声とともに。
白い炎が。
夜空を照らした。




