第四十七歩目 「英雄の後ろにいた者」
――足音が止まった。
地下道の奥。
暗闇の中に浮かんでいた二つの目が、ゆっくりとこちらを見つめている。
勇者が剣を構えた。
「……来るぞ」
女冒険者も短剣を抜く。
「魔物?」
「分からない」
女魔法使いが杖を向ける。
聖女はパン屋見習いの前に立った。
そして。
三番目の転生者だけが動かなかった。
「……」
顔色が悪い。
まるで。
見てはいけないものを見てしまったようだった。
「おい」
勇者が声をかける。
「知ってるんだろ?」
「……ああ」
「誰なんだ?」
三番目の転生者は、暗闇を睨んだ。
「俺たちを作った奴だ」
「…………は?」
勇者の口が開いた。
「俺たちって?」
「英雄管理局が作ろうとしていた――」
そのとき。
暗闇から声が響いた。
「違う」
低い声だった。
「作ったのではない」
足音。
一歩。
また一歩。
「選び直しただけだ」
姿が見えた。
長い外套。
白い髪。
そして。
片方の目を黒い布で覆った人物。
年齢は分からない。
老人にも。
若者にも見える。
ただ一つだけ。
胸元に、英雄管理局と同じ紋章が刻まれていた。
「……局の人間か」
勇者が剣を向ける。
「そう思うなら、そう思えばいい」
「曖昧だな」
女魔法使いが睨む。
「嫌なタイプ」
「奇遇だな」
女冒険者が頷く。
「私もそう思う」
「そこは同意するんだな」
勇者が呟いた。
そんなやり取りをしている間も。
ユウは、その人物をじっと見ていた。
「……初対面、ですよね?」
「そうだな」
「なのに――」
ユウは首を傾げる。
「なんで、あなたを知ってる気がするんだろう」
男は答えなかった。
代わりに。
ユウを見つめた。
「お前は、本当に変わらない」
「?」
「いつもそうだ」
男は笑った。
「自分が何者なのか分からない顔をしている」
「……」
「そして、自分より先に他人を助ける」
ユウの表情が固まった。
「……昔から?」
「そうだ」
男は言った。
「何度生まれ変わっても」
その言葉に。
三番目の転生者が反応した。
「やめろ」
「何がだ?」
「そいつに話すな」
「なぜ?」
「こいつは――」
三番目の転生者は言葉を止める。
そして。
ユウを見る。
「……まだ、自分で決められる」
ユウは眉を寄せた。
「何を?」
「全部だ」
「だから何が?」
「……」
三番目の転生者は答えなかった。
男が笑う。
「なるほど」
「何が?」
「お前はまだ何も知らないのか」
「……」
ユウは少し考えて。
「まあ」
肩をすくめた。
「知らないことは多いですね」
「普通はそこで焦るものだ」
「でも、知ったところで今日の夕飯は必要ですし」
「…………」
男が黙った。
女冒険者が吹き出す。
「さすがユウ」
「そこなの?」
女魔法使いが呆れる。
「いや、でも確かにそうだ」
勇者まで頷いた。
「旅に飯は必要だからな」
「勇者まで何を納得してるのよ」
緊張していた空気が。
一瞬だけ緩んだ。
しかし。
男はユウから目を逸らさなかった。
「そういうところだ」
「何が?」
「英雄の隣にいる資格がある」
「……資格?」
「お前は英雄になりたいと思ったことがない」
「ないですね」
「力があるのに?」
「便利だから使ってるだけです」
「……」
「それに」
ユウは勇者たちを見る。
「俺より英雄に向いてる人がいるので」
勇者が少し驚いた顔をした。
女魔法使いも。
女冒険者も。
聖女も。
それぞれ何も言わなかった。
男だけが。
静かに目を細める。
「昔もそう言った」
「……昔?」
「『英雄は俺じゃない』と」
ユウの頭の奥が痛んだ。
――古い地下室。
――木の机。
――パン。
――少女。
そして。
目の前の男。
「……あなた」
ユウが呟く。
「俺の前世を知ってるんですね」
「知っている」
「どの前世?」
「全部だ」
ユウの目が見開かれる。
「……全部?」
「ああ」
男は歩きながら答える。
「奴隷だった頃も」
「……」
「大賢者の弟子だった頃も」
「……」
「剣聖の家にいた頃も」
「……」
「漁師だった頃も」
「……」
「狩人だった頃も」
「……」
「商人だった頃も」
「……」
ユウは黙った。
「全部、知ってる」
「どうして?」
「記録していたからだ」
男は壁に手を触れる。
すると。
地下道の壁に、無数の文字が浮かび上がった。
人の名前。
年齢。
能力。
生まれた場所。
死んだ場所。
そして。
転生回数。
勇者が顔をしかめた。
「……何人いるんだ」
「数えたことはない」
男が答える。
「英雄になった者」
「英雄になれなかった者」
「英雄を支えた者」
「英雄を裏切った者」
「そして――」
文字の一つが光る。
「英雄を必要としなかった者」
ユウは、その文字を見つめた。
「……俺?」
「そうだ」
「でも俺、ずっとモブでしたよ」
「それが問題だった」
「モブなのが?」
「違う」
男は首を振る。
「どれだけ力を持っていても、英雄になろうとしなかったことがだ」
ユウは黙った。
「英雄管理局は、英雄を管理する組織じゃない」
男が言った。
「英雄を生み出すための組織だ」
女魔法使いが口を挟む。
「じゃあ、選定者は?」
「英雄を選ぶ者」
パン屋見習いが反応する。
「俺が?」
「そうだ」
男は少年を見る。
「お前は、英雄を選ぶ」
「……嫌だ」
「なぜ?」
「パンを焼きたいから」
「…………」
男が黙った。
女冒険者が小さく笑う。
「またそれか」
「だってパン屋になりたいし」
「筋が通ってるな」
勇者が頷く。
「英雄になるより立派じゃない?」
女魔法使いも苦笑する。
「英雄管理局が一番困る答えでしょうね」
しかし。
男は少年に近づいた。
「ならば選べ」
「何を?」
「お前自身の未来を」
白い炎が。
少年の手のひらで揺れた。
少女が静かに見守っている。
そのとき。
ユウの頭の中で。
また記憶が弾けた。
――地下室。
――少女。
――少年。
そして。
自分。
いや。
前世の自分。
机の上に、一枚の紙を置いている。
『英雄を選ぶのは、英雄ではない』
その下に。
もう一行。
『英雄を支えるのも、英雄ではない』
さらに。
最後の一行。
『ならば――』
記憶が途切れた。
「……っ」
ユウが膝をつく。
「ユウ!」
聖女が駆け寄る。
「大丈夫?」
「……大丈夫」
ユウは額を押さえる。
「また思い出した」
「何を?」
「……昔の俺が書いた言葉」
ユウは立ち上がった。
「英雄を選ぶ者」
「英雄を支える者」
「英雄になる者」
「そして――」
ユウは少女を見る。
「記憶を受け継ぐ者」
四つの役割。
それぞれが。
誰かのために存在していた。
しかし。
男が言った。
「それで全部ではない」
ユウが振り向く。
「……五つ目?」
「ああ」
男は壁を見る。
そこに。
誰にも触れられていない古い文字が現れた。
それは。
英雄管理局の記録にも。
古代文字にも存在しない。
たった一つ。
ユウだけが読める文字だった。
「……これは」
ユウが呟く。
「俺の字だ」
勇者が目を見開く。
「お前の?」
「ああ」
そこに書かれていた言葉は。
たった一つ。
――『選ばない者』
「……選ばない?」
女魔法使いが首を傾げる。
「どういう意味?」
ユウは答えられなかった。
男が静かに言う。
「五つ目の役割だ」
「何をするんです?」
「何もしない」
「……え?」
「誰も選ばない」
「……」
「誰にも選ばれない」
「……」
「ただ――」
男はユウを見る。
「自分の道を選ぶ」
ユウは黙った。
そして。
小さく笑った。
「それなら」
ユウは勇者たちを見る。
「もう、とっくにやってますよ」
男の表情が変わった。
「……そうか」
初めて。
その顔に。
少しだけ嬉しそうな色が浮かんだ。
しかし。
直後。
地下施設全体が大きく揺れた。
「うわっ!」
「今度は何!?」
天井から石が落ちてくる。
男が空を見上げる。
「時間切れだ」
「何の?」
「この施設が消える」
「……は?」
女冒険者が叫ぶ。
「それ先に言ってよ!」
「言う必要がなかった」
「あるわ!」
勇者が剣を鞘に収める。
「逃げるぞ!」
全員が走り出す。
少女も。
パン屋見習いも。
三番目の転生者も。
そしてユウも。
最後に地下道を振り返った。
壁に刻まれた文字。
――『英雄の後ろにいる者へ』
その下に。
新しい文字が浮かび上がっていた。
――『おかえり』
ユウは。
ほんの一瞬だけ立ち止まった。
「……ただいま」
誰に向けた言葉なのか。
本人にも分からなかった。
そして。
地下施設の奥で。
長い眠りについていた何かが。
ゆっくりと。
目を覚ました。




