第四十六歩目 「眠る少女と、忘れていた地下室」
地下塔の最深部。
巨大な魔法陣の中央で、一人の少女が眠っていた。
白い衣服。
長い髪。
そして、胸元には見たことのない紋章が刻まれている。
「……誰なんだ?」
勇者が呟いた。
誰も答えない。
女魔法使いは魔法陣を見つめ、眉をひそめていた。
「生きてる」
「分かるのか?」
「魔力が流れてるもの」
女魔法使いは少女の周囲を慎重に観察する。
「でも……おかしい」
「何が?」
「この魔法陣、眠らせているだけじゃない」
聖女が一歩近づいた。
「……守っている?」
「そう。それも、この子を何かから守るために」
女冒険者が腕を組む。
「じゃあ、起こしたらまずいってこと?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
「魔法に絶対はないの」
「便利な言葉だな、それ」
そんな会話をしている間にも。
パン屋見習いは、じっと少女を見つめていた。
「……この子だ」
「何が?」
「ずっと、呼んでた」
少年が胸元を押さえる。
「夢の中で、ずっと」
その瞬間。
少女の胸元の紋章が淡く光った。
「!」
全員が身構える。
魔法陣が一瞬だけ輝き――
パン屋見習いの手のひらに、小さな炎が灯った。
だが、それは普通の炎ではなかった。
赤ではない。
青でもない。
白い炎だった。
「……なんだ、これ」
少年が驚く。
すると。
眠っていた少女が、ゆっくりと口を開いた。
「……やっと……」
全員が固まる。
「起きた!?」
女冒険者が叫ぶ。
「静かに!」
女魔法使いが制止する。
少女は目を閉じたまま、かすかな声で続けた。
「……選ぶ人が……来た……」
そして――
魔法陣が消えた。
「え?」
勇者が間の抜けた声を出す。
少女の身体がゆっくりと浮かび上がった。
「おいおいおい!」
女冒険者が後ずさる。
「これ、起きるっていうより――」
「浮いてる!」
「見れば分かる!」
少女は宙に浮いたまま、ゆっくりと目を開いた。
その瞳は――
金色だった。
「……」
少女は周囲を見渡す。
そして。
パン屋見習いを見る。
「あなたが……」
「俺?」
「……選定者」
少年が目を丸くした。
「やっぱり……俺のことを知ってるのか?」
「知っている」
少女は静かに答えた。
「ずっと、待っていた」
「ずっとって……どれくらい?」
「三百年」
「長っ!」
女冒険者が思わず叫んだ。
「待ち合わせとしては最長記録じゃない?」
「そこを気にするな」
勇者が突っ込む。
しかし。
ユウだけは笑っていなかった。
三百年。
その言葉を聞いた瞬間。
頭の奥で何かが引っかかった。
――三百年前。
――地下室。
――白い服。
――少女。
そして。
――パンの匂い。
「……?」
ユウは額を押さえた。
「ユウ?」
聖女が心配そうに声をかける。
「大丈夫?」
「……いや」
ユウは目を閉じた。
何かを思い出しそうだった。
だが。
思い出せない。
正確には――
思い出すことを、何かに拒まれている。
「……変だな」
ユウが呟く。
その瞬間。
少女がユウを見る。
「あなたも……」
「?」
「知っている」
「俺を?」
「……いいえ」
少女は首を横に振った。
「あなたのことを、知っているのではない」
一拍。
「あなたが何をしてきたのかを、知っている」
「……」
空気が変わった。
勇者がユウを見る。
女魔法使いも。
聖女も。
そして三番目の転生者も。
「……またか」
三番目の転生者が小さく呟いた。
「何が?」
勇者が聞く。
「こいつの前世に関する話だ」
「またって……」
三番目の転生者は少女を見る。
「この施設には、転生者に関する記録があった」
ユウの表情が変わった。
「俺の?」
「正確には――」
三番目の転生者が言葉を選ぶ。
「何度も転生している存在について」
「……」
「英雄管理局は、そういう人間を研究していた」
女魔法使いが険しい顔をする。
「転生そのものを?」
「違う」
三番目の転生者は首を振った。
「問題にしていたのは――」
少女が先に言った。
「記憶」
「……記憶?」
「人は生まれ変わる」
少女は淡々と語る。
「けれど、すべての人が前世を覚えているわけではない」
「それはそうだろ」
「でも――」
少女はユウを見る。
「あなたは違った」
ユウは黙った。
「あなたは、最初から全部覚えていた」
「……」
「だから、彼らはあなたを恐れた」
地下室に沈黙が落ちる。
女冒険者が小さく息を呑む。
「じゃあ……」
女魔法使いが続ける。
「ユウの記憶を封じたのは、英雄管理局?」
「違う」
少女が答える。
「彼らがしたのは――」
少女の瞳が淡く光る。
「封じられていることを、本人に気づかせないこと。」
ユウの目が見開かれた。
次の瞬間。
頭の中に、一つの光景が浮かんだ。
古い地下室。
木製の机。
小さな椅子。
そして――
「……パン」
ユウが呟いた。
「え?」
勇者が聞き返す。
「パンの匂いがする」
「ここで?」
「違う」
ユウは目を閉じる。
記憶の奥から。
誰かの声が聞こえた。
『今日も、焼けたね』
少年の声。
いや。
もっと幼い。
『うん』
少女の声。
『明日も作ろう』
そして。
その二人を見ている――
別の誰か。
その人物は笑っていた。
『英雄なんていらない』
その声を聞いた瞬間。
ユウは目を開いた。
「……今のは」
聖女が尋ねる。
「前世?」
「たぶん」
「何を見た?」
「分からない」
ユウは首を振る。
「でも……」
パン屋見習いを見る。
「こいつと関係がある」
「俺と?」
「ああ」
少年も困惑している。
「俺、前世なんて覚えてないけど」
「それでいい」
少女が言った。
「あなたは覚える必要がない」
「え?」
「選ぶ者は、過去ではなく――」
少女はパン屋見習いの手に灯った白い炎を見る。
「未来を見るから」
白い炎が揺れた。
すると。
地下室の壁一面に、魔法文字が浮かび上がる。
女魔法使いが目を見開いた。
「これは……古代文字」
「読めるか?」
「少しだけ」
彼女は文字を追っていく。
「……『英雄を作るための施設』」
「やっぱりか」
「続きがある」
女魔法使いの声が低くなる。
「『英雄とは、一人の力では成立しない』」
勇者が黙って聞いている。
「『力を与える者』」
魔法文字が一つ光る。
「『道を選ぶ者』」
もう一つ。
「『英雄を支える者』」
そして。
「『記憶を受け継ぐ者』」
最後の文字が輝いた。
ユウの胸が、強くざわめいた。
「……四つ?」
勇者が呟く。
「英雄を成立させるために、四つの役割が必要だった?」
三番目の転生者が首を振る。
「違う」
「何が?」
「たぶん――」
彼はユウを見る。
「五つ目がある」
「五つ目?」
「俺たちがまだ知らない役割だ」
その瞬間。
地下施設全体が揺れた。
「うわっ!」
「何!?」
天井から砂埃が落ちてくる。
少女が顔を上げた。
「……来る」
「何が?」
勇者が剣を抜く。
「敵か?」
「違う」
少女は静かに言った。
「この場所を壊すもの」
地響きが大きくなる。
ユウは周囲を見渡した。
そして。
床の一部に、古い扉を見つけた。
「……あれだ」
「何?」
「出口じゃない」
ユウはしゃがみ込む。
扉の構造を見る。
古い。
だが。
作りは知っている。
「これ……」
ユウの顔から、少しずつ笑みが消える。
「俺が作った」
「……は?」
勇者が固まった。
「いや、待て」
女魔法使いが言う。
「どういう意味?」
「分からない」
ユウは扉に手を置く。
「でも、この構造を知ってる」
そして。
小さく笑った。
「前世の俺が作った」
「三百年前の?」
「……たぶん」
カチリ。
扉が開いた。
その向こうには――
一本の長い地下道。
壁には、古びた文字が刻まれていた。
その一番奥。
誰かの手で書かれたような文字があった。
――『英雄の後ろにいる者へ』
ユウは、その文字を見つめた。
「……俺に向けて?」
誰も答えない。
ただ。
少女だけが、静かに微笑んだ。
「やっと、帰ってきたね」
ユウの背筋に。
冷たいものが走った。
そして地下道の奥から――
誰かの足音が聞こえた。
一歩。
二歩。
三歩。
こちらへ近づいてくる。
勇者が剣を構える。
女魔法使いが杖を握る。
女冒険者も身構えた。
聖女が祈りの姿勢を取る。
パン屋見習いの白い炎が、強く燃え上がる。
三番目の転生者だけが。
その足音を聞いて、顔を青ざめさせた。
「……嘘だろ」
「知ってるのか?」
勇者が聞く。
三番目の転生者は答えない。
ただ。
震える声で呟いた。
「こいつが、まだ生きてたのか……」
地下道の奥。
暗闇の中で。
二つの目が開いた。




