第四十三歩目 「パン屋の見習いと、次の英雄候補」
翌朝。
王都北区。
ユウは一軒の小さなパン屋の前に立っていた。
「……本当に来た」
勇者が呆れた声を出す。
「はい」
ユウは店先の求人札を見る。
『早朝アルバイト募集』
「偶然ですね」
「絶対狙ってるだろ!」
女冒険者が笑う。
「でも昨日の紙には、ちゃんと『パン屋見習い』って書いてあったよ?」
「そうなんです」
「じゃあ、どうしてここが分かったの?」
「求人が出ていたので」
「……」
女魔法使いが額を押さえる。
「もういいわ」
聖女が微笑む。
「それで、その子が英雄候補なんですね?」
「たぶん」
ユウは店の中を見る。
小麦粉の袋。
木製の作業台。
焼きたてのパン。
そして――
一人の少年。
まだ若い見習いが、黙々とパン生地をこねていた。
⸻
1 パン屋の少年
「おはようございます!」
ユウが店に入る。
「今日から手伝うユウです」
「え?」
少年が顔を上げる。
「アルバイトの人?」
「はい」
店主が奥から出てくる。
「助かるよ。朝は忙しくてね」
「任せてください」
ユウは腕まくりをした。
「まず何を?」
「パン生地を――」
「分かりました」
ユウは作業台へ向かう。
小麦粉。
水。
酵母。
塩。
材料を見ただけで。
「水分が少し多いですね」
「え?」
少年が驚く。
「今日の湿度なら、少し減らした方がいいです」
ユウは手早く調整する。
こねる。
叩く。
折る。
発酵具合を見る。
店主が目を丸くする。
「君、パン職人だったのか?」
「前世で少し」
「また前世かよ!」
勇者が思わず叫んだ。
⸻
2 少年の才能
少年はユウの手元をじっと見ていた。
「……すごい」
「何がですか?」
「同じ材料なのに、全然違う」
少年は自分の生地を見る。
「僕は、何度やっても上手くできなくて」
「そうですか?」
「うん」
「なら」
ユウは生地を半分に分けた。
「触ってみてください」
「え?」
「違いが分かります」
少年が手を入れる。
「……」
「どうです?」
「こっちは柔らかい」
「そうです」
「でも、もう一つは……」
少年は眉を寄せる。
「重い」
ユウが笑う。
「分かりましたね」
「……うん」
少年は嬉しそうだった。
その様子を。
女魔法使いが遠くから見ていた。
「魔力は?」
三番目の転生者が答える。
「強いです」
「どのくらい?」
「かなり」
「じゃあ、本当に英雄候補?」
「たぶん」
ユウは。
パンを見ながら呟いた。
「でも、英雄になる必要はないと思います」
⸻
3 英雄候補なのに
昼。
店が落ち着く。
少年は裏口で休んでいた。
「君」
勇者が声をかける。
「はい?」
「剣とか使える?」
「使えません」
「魔法は?」
「少し」
「じゃあ、何が得意?」
少年は考える。
「パンを焼くこと」
「……」
勇者が黙った。
「それだけ?」
「はい」
「英雄候補だぞ?」
「え?」
少年は首を傾げる。
「僕が?」
ユウが口を挟む。
「本人は知らないみたいですね」
「何でお前はそんなに冷静なんだよ」
「俺も英雄候補と言われたことはありませんでした」
「いや、お前は転生者だろ!」
「だからといって英雄とは限りません」
少年は三人を見比べる。
「皆さん、何の話をしているんですか?」
「気にしなくていいよ」
ユウは笑った。
「君はパンを焼いていればいい」
「……はい」
少年は嬉しそうに頷いた。
⸻
4 英雄管理局の影
その日の夕方。
店を閉めようとしていると。
見知らぬ男が現れた。
「パンを一つ」
店主がパンを渡す。
男は代金を置く。
そして。
少年を見る。
「……」
少年は気づかない。
だが。
ユウは気づいていた。
男の腰に。
小さな銀色の徽章。
英雄管理局。
「ありがとうございました」
男は店を出ていく。
ユウが追おうとする。
しかし。
「待って」
三番目の転生者が止めた。
「追わない方がいい」
「なぜ?」
「罠だから」
「……」
「今、店の周りに五人いる」
女冒険者が驚く。
「五人?」
「全員、監視役」
勇者が剣に手をかける。
「なら、捕まえるか?」
「いや」
ユウが言う。
「まだです」
「どうして?」
「目的が分かっていません」
ユウは店を見る。
「狙いは少年です」
⸻
5 パンの秘密
夜。
少年が一人でパンを焼いていた。
ユウは隣で作業を手伝う。
「ユウさん」
「はい」
「僕、本当に英雄になるんでしょうか?」
「分かりません」
「でも、追われてるみたいです」
「……気づいていましたか」
「はい」
少年は苦笑する。
「昔から、変な人に声をかけられるんです」
「どうして?」
「分かりません」
少年はパン生地をこねる。
「でも」
「はい」
「この店が好きなんです」
ユウは黙って聞く。
「朝、パンを焼いて」
「お客さんが来て」
「おいしいって言ってくれて」
「それだけで嬉しい」
少年は笑った。
「だから英雄とか、よく分かりません」
ユウは頷いた。
「それでいいと思います」
「え?」
「自分の好きなものを守ることも、大事なことです」
⸻
6 ユウの前世
少年が尋ねる。
「ユウさんは?」
「俺?」
「好きな仕事ってありますか?」
「……」
ユウは少し考えた。
掘削。
農業。
漁。
狩り。
鍛冶。
商売。
料理。
剣。
魔法。
どれも。
前世で身につけたものだった。
でも。
自分で選んだものは。
何だったのか。
「分かりません」
ユウは答えた。
「俺はずっと」
「必要とされた仕事をしてきただけなので」
「……」
「今もそうです」
少年が笑う。
「じゃあ」
「はい?」
「ユウさんも、自分の好きなものを探したらいいんじゃないですか?」
ユウは。
少し驚いた。
「……そうですね」
⸻
7 三番目の忠告
その夜。
三番目の転生者がユウを呼んだ。
「話があります」
「何です?」
「少年のことです」
「はい」
「彼は英雄候補じゃない」
ユウが眉を寄せる。
「どういう意味です?」
「正確には」
三番目は答える。
「英雄候補にされた人です」
「……」
「本人には、何も関係ない」
「誰かが仕立てようとしている?」
「そう」
三番目は続ける。
「英雄管理局は、彼の能力を利用しようとしている」
「パン作りの?」
「それだけじゃない」
青年が少年を見る。
「彼には魔力があります」
「かなり強い」
「でも」
「本人は制御できていない」
ユウは考える。
「だから英雄として利用する」
「はい」
「……」
ユウは拳を握る。
「それなら」
「どうする?」
ユウは答えた。
「パン屋を守ります」
三番目が笑う。
「やっぱり、そう言うと思った」
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8 夜襲
深夜。
パン屋の扉が破られた。
――ドンッ!
「来た!」
女冒険者が飛び起きる。
黒装束の男たちが店内へ侵入する。
「少年を確保しろ!」
勇者が立ちはだかる。
「そう簡単にいくか!」
剣を振る。
だが。
敵は多い。
女魔法使いが魔法を放つ。
聖女が結界を張る。
リナも加わる。
「少年を逃がして!」
ユウが叫ぶ。
「はい!」
少年が裏口へ走る。
だが。
そこにも敵がいた。
「見つけた」
「……!」
少年が後退する。
男が手を伸ばす。
その瞬間。
「そこ、床が滑りますよ」
「え?」
男の足元に。
大量の小麦粉。
――ズルッ!
「うわっ!」
男が転倒する。
少年が目を丸くする。
「ユウさん……」
「パン屋ですから」
⸻
9 パン職人の魔法
だが。
一人の男が少年へ迫る。
「もう逃がさん!」
少年の手が震える。
「来ないで……!」
その瞬間。
少年の身体から。
強烈な魔力が溢れた。
「――!」
店内の空気が震える。
パン生地が宙へ浮かぶ。
小麦粉が渦を巻く。
そして。
炎が。
一瞬で釜へ集まった。
――ゴォッ!
巨大な炎が燃え上がる。
敵たちが後退する。
「何だ、この魔力は!」
女魔法使いが目を見開く。
「火属性……?」
三番目の転生者が呟く。
「違う」
「え?」
「これは――」
少年が呆然と自分の手を見る。
ユウは。
焼き上がったパンを見る。
「……」
「何です?」
勇者が聞く。
ユウはパンを一つ手に取る。
「焼き加減が完璧です」
「そこかよ!」
⸻
10 英雄候補の答え
敵は撤退した。
店内はめちゃくちゃ。
パンも散乱している。
少年は泣きそうな顔で立っていた。
「僕……」
「はい」
「怖かった」
「そうですね」
「でも」
少年は焼き上がったパンを見る。
「パンは……ちゃんと焼けた」
ユウは笑う。
「なら大丈夫です」
「どうして?」
「あなたが守ったものが残っているから」
少年は。
焼きたてのパンを一つ手に取った。
「僕は……」
しばらく考える。
「英雄になりたいかは分からない」
「はい」
「でも」
少年は店を見る。
「この店は守りたい」
ユウは頷く。
「それで十分です」
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11 王都の鐘
その頃。
王宮地下。
英雄管理局。
一人の男が報告していた。
「候補者の覚醒を確認しました」
老人が目を細める。
「予定より早いな」
「初代転生者が介入したためと思われます」
「……やはり」
老人は笑う。
「彼は英雄を作らない」
「では?」
「英雄になる前の人間を守る」
老人は立ち上がる。
「ならば」
「次の段階へ移せ」
「はい」
部屋の奥。
巨大な地図が広げられる。
そこには。
王都。
聖域。
魔王領。
そして――
まだ誰も訪れたことのない土地。
北の大地。
「次の舞台は北だ」
老人は言った。
「そこには」
地図の一点を指す。
「二人目の英雄候補がいる」
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12 また、バイト
翌朝。
パン屋は営業を再開した。
店主が頭を下げる。
「本当に助かったよ」
「いえ」
ユウは最後の掃除を終える。
「では、これで」
「またいつでも来てくれ」
「ありがとうございます」
店を出る。
勇者が聞く。
「で?」
「はい?」
「次はどこへ行く?」
ユウは昨日の手紙を見る。
北の大地。
そこにいるという新たな英雄候補。
そして。
「……」
その下に。
小さく書かれた一文。
『北方交易都市、臨時荷運び人募集』
ユウは求人票を見つめる。
「……偶然ですね」
全員が叫んだ。
「絶対違うだろ!」
ユウは首を傾げる。
「本当に偶然なんですけど……」
三番目の転生者だけが。
少し離れた場所で笑っていた。
「さて」
彼は小さく呟く。
「本当に偶然なのかな」
ユウ自身にも。
まだ分からない。
英雄の後ろへ行くのが。
ただの偶然なのか。
それとも――
三百年前から続く何かに、導かれているのか。




