第三十七歩目 「聖域の記録と、最初のモブ」
聖域の門が閉じる。
外の世界から切り離されたように、音が消えた。
白い石造りの道。
左右には枯れない花。
その中央を、五人と少女が歩いていく。
「……静かですね」
聖女が呟く。
「三百年前も、こんな場所だったの?」
女冒険者が尋ねる。
「いいえ」
聖女は首を振った。
「もっと賑やかでした」
「人がいたの?」
「人間も、魔族も」
聖女は少し笑う。
「ここだけは、誰も争わなかったんです」
ユウは周囲を見回す。
「だから、ここに証拠を隠した」
「そうです」
聖女が頷く。
「戦争を止めるための最後の場所でした」
その時。
少女が足を止めた。
「……ここです」
「何が?」
少女は前方を見る。
「私が、ずっと夢で見ていた場所」
そこには。
巨大な白い建物が建っていた。
⸻
1 記憶のない神殿
神殿の扉には、文字が刻まれている。
『名を持つ者は、名を捨てよ』
女魔法使いが眉を寄せる。
「どういう意味?」
「分かりません」
ユウが答える。
「でも」
扉の下を見る。
「鍵があります」
「鍵?」
「ここです」
床に小さな穴があった。
ユウは懐から工具を取り出す。
勇者が呆れる。
「……それ、いつから持ってた?」
「最初からです」
「何のために?」
「何かあった時のためです」
「何かって何だよ」
「何かです」
「答えになってない!」
ユウは工具を差し込む。
――カチッ。
扉が開く。
「……」
女冒険者が笑う。
「もう、ユウがいれば鍵屋いらないね」
「前世で鍵職人だったこともあります」
「聞いてない!」
五人の笑い声が響く。
少女だけが。
扉の向こうを見ていた。
その目には。
懐かしさが浮かんでいた。
⸻
2 名を捨てた人々
神殿内部。
壁一面に。
人間と魔族の名前が刻まれている。
「……」
聖女が近づく。
「ここは、戦争で亡くなった人たちの記録です」
女魔法使いが読む。
「人間も……魔族も……」
区別なく並んでいる。
勇者が一つの名前を見る。
「これ、王国兵だ」
女冒険者が別の名前を指差す。
「こっちは魔族の兵士」
「敵味方関係なく?」
「そうみたいね」
ユウは壁を見つめていた。
「……名前を残したくなかったんでしょうか」
「え?」
聖女が振り返る。
「ここには」
ユウは言った。
「誰が何をしたかより、誰が死んだかしか書かれていません」
「……」
「だから」
ユウは壁に触れる。
「この場所では、全員がただの人間だったんだと思います」
聖女が微笑む。
「そうですね」
その時。
少女が壁の奥を指差した。
「ここに……」
一つだけ。
名前が刻まれていない石がある。
「誰のもの?」
勇者が尋ねる。
少女は首を振る。
「分かりません」
ユウが石に触れる。
――カチッ。
石が動いた。
その奥から。
一枚の古い紙が落ちてくる。
⸻
3 最初の手紙
ユウが拾う。
紙には。
見覚えのある筆跡。
「……」
自分の字だった。
『俺へ』
その一文字目だけで。
ユウの胸が苦しくなる。
読み進める。
『これを読む頃、俺はもう死んでいるだろう』
『そして、お前はきっと、また普通の人生を生きている』
勇者が黙って聞いている。
『剣士になったかもしれない』
『魔法使いになったかもしれない』
『商人かもしれない』
『農民かもしれない』
『それとも――』
少し間を空けるように。
『何の才能もない、ただの人間かもしれない』
女冒険者がユウを見る。
「……」
そして。
『それでいい』
ユウの指が止まる。
『英雄になろうとするな』
『世界を救おうとするな』
『誰か一人を助けろ』
『それだけでいい』
最後。
『もし、いつか仲間たちと再会できたなら』
『その時は――』
『自分の人生を生きろ』
手紙はそこで終わっていた。
⸻
4 今世の人生
「……」
ユウは長い間、黙っていた。
勇者が声をかける。
「ユウ」
「はい」
「どうする?」
「何がですか?」
「これから」
ユウは手紙を見る。
そして。
少し笑った。
「分かりません」
「……」
「今までずっと」
ユウは言う。
「前世の記憶を使って、誰かの役に立とうとしていました」
「うん」
「それが自分の生き方だと思ってたんです」
少女を見る。
「でも」
少女は静かに聞いている。
「今世の俺には、今世の人生がある」
女魔法使いが頷く。
「そうね」
「だから」
ユウは手紙を畳む。
「この旅が終わったら」
「……」
「何をするか、自分で決めてみます」
勇者が笑う。
「それでいい」
女冒険者も頷く。
「私たちも手伝うよ」
聖女が微笑む。
「もちろんです」
ユウは少し照れたように笑った。
「ありがとうございます」
⸻
5 少女の名前
その時。
少女が言った。
「私も」
「?」
「名前を思い出しました」
全員が振り返る。
「名前?」
少女は自分の胸に手を当てる。
「ずっと思い出せなかったんです」
「三百年前の名前?」
「はい」
少女は目を閉じる。
しばらくして。
「……リナ」
そう呟いた。
「それが、私の名前です」
ユウは。
その名前を聞いた瞬間。
頭の中に。
遠い記憶が蘇った。
小さな少女。
泥だらけの顔。
泣きながら笑う姿。
『リナ』
『なに?』
『名前、忘れないで』
『忘れないよ』
そして。
『あなたもね』
ユウは目を閉じる。
「……リナ」
「はい」
「久しぶり」
少女――リナは。
笑った。
「おかえりなさい」
⸻
6 聖域の地下
その瞬間。
神殿の奥で。
――ゴゴゴゴゴ……。
床が開いた。
「また地下か」
勇者がため息をつく。
「今回は深そうですね」
ユウが覗き込む。
「何メートルくらい?」
「測るな!」
女魔法使いが突っ込む。
階段を下りる。
その先に。
巨大な部屋があった。
中央に置かれているのは。
古代の装置。
「これ……何?」
女冒険者が尋ねる。
「転生装置」
ユウが答える。
「……」
全員が固まった。
「何?」
「転生するための装置です」
「なんでそんなものが聖域にあるの!?」
女魔法使いが叫ぶ。
ユウは装置を調べる。
「三百年前」
そして。
「俺は、これを使った」
聖女が息を呑む。
「じゃあ……」
「俺の転生は」
ユウは装置を見る。
「偶然じゃなかった」
⸻
7 すべての前世
装置の壁に。
無数の記録が浮かび上がる。
一人の少年。
奴隷。
大賢者の弟子。
剣聖の孫娘。
漁師。
狩人。
商人。
農民。
鍛冶職人。
薬師。
料理人。
鍵職人。
そして。
数え切れない人生。
勇者が呟く。
「これ……全部、お前?」
「はい」
ユウは頷く。
だが。
一つだけ。
記録されていない人生があった。
「……」
ユウが眉を寄せる。
「この空白は?」
女魔法使いが見る。
「三百年前から今世までの間?」
「違います」
ユウは首を振る。
「もっと前です」
最初の人生よりも。
さらに前。
「俺には」
ユウが呟く。
「最初の前世がある。」
「……!」
全員が息を呑む。
「じゃあ」
勇者が尋ねる。
「三百年前が最初じゃなかった?」
「……たぶん」
装置に新しい文字が浮かぶ。
『第一世代――記録抹消』
ユウの表情が変わる。
「誰かが消した?」
「そうみたいね」
女魔法使いが言う。
すると。
装置の奥から。
一つの映像が浮かび上がった。
⸻
8 最初の人生より前
映像の中。
まだ文明が存在しない世界。
巨大な森。
荒野。
そして。
一人の少年。
ユウに似ている。
だが。
今まで見たどの前世とも違う。
少年の前には。
一人の女性が立っている。
その女性が言う。
『世界を救って』
少年は首を振る。
『嫌だ』
『どうして?』
『俺は、英雄じゃないから』
女性は笑う。
『そう』
そして。
『だから、あなたに頼むの』
映像が途切れる。
「……」
ユウは動けない。
すると。
装置に最後の文字が浮かんだ。
『第一世代の記憶は、世界の始まりに関係する』
勇者が呟く。
「世界の始まり……?」
その瞬間。
聖域全体が揺れた。
――ドォォォン!
外から。
何か巨大なものが門を破壊する音。
女冒険者が武器を抜く。
「敵!」
聖女が結界を張る。
女魔法使いが杖を構える。
勇者が前へ出る。
「ユウ!」
「はい!」
ユウも工具をしまい。
周囲を見る。
「来ます」
「何が?」
「……王国軍だけじゃない」
ユウには分かっていた。
外から感じる魔力。
それは。
人間でも。
魔族でもない。
「これは――」
聖域の門が。
巨大な音を立てて崩れ落ちる。
その向こうに立っていたのは。
黒い鎧をまとった一団。
その先頭にいるのは――
王宮で見た国王ではなかった。
一人の少年。
ユウと同じくらいの年齢。
だが。
その瞳には。
異様なほど長い年月を生きた者の光が宿っていた。
「やっと見つけた」
少年は。
ユウを見て笑った。
「初代転生者。」
ユウの顔から。
初めて笑みが消えた。
少年は続ける。
「お前が忘れた最初の人生を――」
黒い魔力が渦巻く。
「俺は全部、覚えている」
そして。
聖域の鐘が。
鳴り響いた。
――ゴォォォン。
ユウの知らない。
最初の前世の物語が。
ついに動き始めた。




