第二十一歩目 「魔王城の厨房バイトと、魔王の晩餐」
魔王城へ向かう道中。
ユウ・タナカは荷馬車の中で求人票を眺めていた。
『魔王城・厨房補助員募集』
「……」
勇者が隣から覗き込む。
「それ、まだ持ってたのか?」
「はい」
「捨てろ」
「どうしてですか?」
「魔王城だぞ」
「だから仕事があるんですよ」
「そういう問題じゃない!」
女魔法使いがため息をつく。
「もう諦めましょう。あの子に常識を求めるほうが間違ってるわ」
魔王城。
それは、魔族の国の中心にそびえ立つ巨大な城だった。
黒い石壁。
巨大な門。
空を覆うほどの塔。
その門前には、無数の魔族兵が並んでいる。
「勇者一行、到着!」
門が開く。
勇者が剣に手をかける。
女魔法使いも杖を構える。
そしてユウは――
「厨房はどこですか?」
「今それ聞く!?」
⸻
城内。
勇者一行は大広間へ通された。
玉座には――
一人の男が座っていた。
黒い衣。
長い角。
鋭い眼差し。
魔王。
その存在だけで、空気が重くなる。
「勇者よ」
魔王が口を開く。
「よく来た」
「魔王……!」
勇者が剣を抜く。
兵士たちがざわめく。
だが魔王は手を上げた。
「剣を収めろ」
「何?」
「今ここで戦うつもりはない」
勇者が警戒する。
「では、なぜ呼んだ?」
魔王は答えなかった。
視線だけを動かす。
勇者の後ろ。
そこにいるユウを見る。
「……」
ユウも魔王を見る。
「……」
二人の視線が重なる。
魔王の表情が変わった。
「やはり……」
「?」
ユウは首を傾げる。
魔王が立ち上がる。
「お前か」
「俺?」
「……」
魔王はゆっくり近づく。
「何度目だ?」
「何がですか?」
「その姿で、私の前に立つのは」
ユウの顔から笑顔が消える。
「……」
勇者が振り返る。
「ユウ?」
魔王は続ける。
「大賢者の弟子だった時も」
「……」
「剣聖の一族だった時も」
「……」
「北の海で漁師をしていた時も」
女魔法使いが息を呑む。
「狩人だった時も」
「……」
「商人だった時も」
魔王は静かに笑った。
「お前はいつも――英雄の後ろにいた」
ユウは黙っていた。
「どうして……」
魔王が尋ねる。
「なぜ毎回、英雄を助ける?」
ユウは答えられない。
自分でも分からない。
「……分かりません」
魔王は少し驚いた。
「分からない?」
「はい」
「ならば今世ではどうだ?」
「……」
「また英雄を助けるのか?」
ユウは勇者を見る。
そして。
「たぶん」
「なぜ?」
「……」
少し考えて。
「放っておけないので」
魔王は目を細めた。
「変わらないな」
その時。
――ぐぅぅぅ。
大広間に腹の音が響いた。
「……」
全員がユウを見る。
「すみません」
ユウが腹を押さえる。
「朝から何も食べてません」
「…………」
魔王の側近が頭を抱えた。
「この状況で空腹になるのか……」
ユウは魔王に尋ねる。
「食事って出ますか?」
「……」
魔王はしばらく黙った。
「出せ」
「はい!」
側近が叫ぶ。
「何を召し上がりますか?」
ユウが答える。
「厨房を見てもいいですか?」
「……」
「料理の手伝いをしたいので」
魔王は目を閉じた。
「好きにしろ」
「ありがとうございます」
ユウは厨房へ向かった。
「待て!」
勇者が叫ぶ。
「俺たちも行く!」
「なぜ勇者が厨房に……」
女魔法使いもついていく。
「もう慣れたわ」
⸻
魔王城の厨房。
巨大だった。
魔族の料理人が何十人も働いている。
だが――
「……」
ユウは食材を見る。
「もったいない」
「何?」
料理長が振り返る。
「この野菜、葉を捨ててますよね?」
「ああ」
「食べられます」
「本当か?」
「はい」
ユウは包丁を持つ。
農夫。
料理人。
商人。
漁師。
様々な前世の経験が組み合わさる。
「肉はこの部分を煮込みに」
「魚は骨で出汁を取れます」
「豆はスープに」
「パンは少し硬くなってるので、焼き直しましょう」
魔族の料理人たちは呆然としていた。
「……」
「……」
「……」
やがて。
厨房から良い香りが漂い始めた。
勇者が皿を見る。
「これは?」
「魔王領の野菜と魚の煮込みです」
「うまそうだ」
「勇者、今は敵地よ」
「腹が減ってるんだ」
「私もだけど」
料理が完成する。
大広間。
魔王。
勇者。
女魔法使い。
ユウ。
そして側近たち。
食卓を囲む。
「……」
魔王が一口食べる。
「……」
沈黙。
「どうですか?」
ユウが尋ねる。
「うまい」
「よかったです」
魔王は皿を見つめる。
「……何百年ぶりだ」
「?」
「お前の料理を食べるのは」
ユウが固まる。
「俺が?」
「そうだ」
魔王は遠い記憶を見るように言った。
「お前は昔、私に魚を焼いてくれた」
「……」
ユウの記憶が蘇る。
漁師だった前世。
海辺。
幼い魔族の少女。
そして――
一人の若い魔王。
「……あなた」
魔王が笑う。
「思い出したか」
「少しだけ」
勇者と女魔法使いは黙って二人を見る。
魔王は言った。
「お前は、あの時も名乗らなかった」
「……」
「私は名を尋ねた」
「何て答えたんですか?」
「『ただの漁師です』」
ユウは苦笑する。
「……俺らしいですね」
魔王も笑った。
だが。
その笑顔が消える。
「だからこそ、今度は聞きたい」
「何を?」
「なぜ、お前は何度も生まれ変わる?」
ユウは黙った。
「そしてなぜ――」
魔王は勇者を見る。
「毎回、英雄の後ろに立つ?」
ユウは答える。
「分かりません」
「……」
「俺は、ただ……」
勇者を見る。
「この人たちを放っておけないだけです」
魔王は目を閉じた。
「そうか」
そして。
「ならば、お前に一つ伝えよう」
魔王は立ち上がった。
「この世界で、勇者と魔王が戦うことになった理由を」
空気が変わる。
「……」
勇者が剣に手を添える。
女魔法使いも表情を引き締める。
魔王は静かに言った。
「この戦争は――」
一拍。
「私が始めたものではない」
「……何?」
勇者が驚く。
「では、誰が?」
魔王は答えなかった。
ただ。
ユウを見る。
「お前なら知っているはずだ」
「俺が?」
「お前の前世の中に――」
魔王の目が鋭くなる。
「この戦争の始まりを知る者がいる」
ユウの胸がざわつく。
前世の記憶。
数え切れない人生。
その中に――
自分でも忘れていた何かがある。
魔王は言った。
「思い出せ」
「……」
「お前が英雄の後ろに立つようになった、本当の理由を」
その瞬間。
ユウの頭の中に――
一つの記憶が浮かんだ。
知らない少女。
燃える村。
泣き叫ぶ人々。
そして。
幼い自分が、誰かに言った言葉。
『次に生まれたら――』
そこで記憶が途切れた。
「……!」
ユウは頭を押さえる。
「どうした!?」
勇者が立ち上がる。
「大丈夫です」
ユウは息を整える。
「……思い出せません」
魔王は静かに頷いた。
「それでいい」
「え?」
「今はまだな」
魔王は玉座へ戻る。
「いずれ思い出す」
そして。
「その時、お前自身が選べ」
ユウは魔王を見つめた。
「英雄の後ろに立つのか」
一拍。
「それとも――」
魔王の視線が鋭くなる。
「今世では、自分自身の物語を歩くのか」
誰も答えなかった。
ただ。
その夜。
魔王城の厨房では――
「ユウさん!」
料理長が叫んでいた。
「明日の朝食も作ってくれ!」
「いいですよ」
「本当か!」
「バイト代は?」
「もちろん払う!」
「じゃあお願いします」
勇者が頭を抱える。
「……結局そこに戻るのか」
女魔法使いが笑う。
「でも、少し安心した」
「何が?」
「ユウはユウよ」
ユウは鍋をかき混ぜる。
「……」
魔王に言われた言葉。
そして、蘇った記憶。
まだ何も分からない。
けれど。
今世の自分が選ぶ道は――
まだ決まっていない。
その頃。
魔王城の最上階。
魔王は一人、窓から夜空を見ていた。
「……今度こそ」
小さく呟く。
「お前自身の人生を生きろ」
そして。
玉座の裏に隠された古い肖像画を見る。
そこには――
何百年も前。
魔王の隣で魚を焼いて笑う、一人の名もなき少年が描かれていた。
その少年の顔は。
今のユウと、まったく同じだった。




