第二歩目 「英雄の剣と、ただの宿屋バイト」
翌朝。
ユウ・タナカは、いつもより少し早く目を覚ました。
宿屋の裏口から外へ出る。
朝の空気は冷たく、町はまだ眠っている。
「さて……」
昨日預かった勇者の剣を手に取る。
宿屋の裏にある小さな作業台。
そこには、簡素な工具が並べられていた。
「やっぱり、このままだと危ないな」
剣を抜く。
刃には問題がない。
問題は柄の内部。
前世の鍛冶職人だった頃の記憶と、剣聖の孫娘だった頃の感覚を合わせれば、状態はすぐに分かった。
「ここを外して……」
柄を分解する。
「うわ」
内部の金属が錆びていた。
勇者がこれを知らずに使い続ければ、激しい戦闘で柄が折れる。
最悪の場合――
勇者自身が命を落とす。
「危なかったな」
ユウは淡々と部品を交換していく。
鍛冶職人だった前世の技術。
商人だった前世で覚えた道具の調達方法。
農夫だった前世で身につけた金属の扱い。
そして剣聖の孫娘だった前世で培った、剣を使う側からの感覚。
いくつもの人生が、一つの作業に重なっていく。
「よし」
修理は終わった。
試しに振ってみる。
風を切る音が響く。
「問題ない」
ユウは満足して剣を鞘に戻した。
その直後。
「……何してるの?」
「うわっ」
背後から声がした。
振り返ると、女魔法使いが立っていた。
「朝早いですね」
「それはこっちの台詞なんだけど」
女魔法使いはユウの手元を見る。
「それ……勇者の剣?」
「はい」
「直したの?」
「ちょっと壊れそうだったので」
「ちょっと?」
「三日以内に折れるくらい」
「それ、ちょっとじゃないでしょ」
女魔法使いの顔が引きつった。
「どうやって直したの?」
「普通に」
「普通にって……」
ユウは首を傾げた。
「鍛冶屋で働いてたことがありますから」
「いつ?」
「昔です」
「……何歳?」
「十五です」
「じゃあ、いつ働いたのよ」
「前世です」
「…………」
女魔法使いが固まった。
「冗談ですよ」
ユウは笑った。
もちろん、本当のことを言うつもりはない。
女魔法使いはしばらくユウを睨んでいたが、やがてため息をついた。
「あなた、本当に変な子ね」
「よく言われます」
その時だった。
「何をしている?」
勇者が現れた。
女魔法使いが振り返る。
「あなたの剣、直してもらったわよ」
「何?」
勇者はユウから剣を受け取った。
鞘から抜く。
そして軽く振った。
「……」
表情が変わった。
「軽い」
「そうですか?」
「昨日とはまるで違う」
「柄の内部が腐食していましたから」
勇者は剣を見つめる。
「この剣は、俺が子供の頃から使っているものだ。今まで一度も異常なんて……」
「外からじゃ分かりにくいですから」
ユウは答えた。
「戦ってる最中に折れてたら、危なかったですね」
勇者は黙った。
やがて、深々と頭を下げる。
「ありがとう」
「いえ」
「命を救われた」
「大げさですよ」
「大げさじゃない」
勇者の声は真剣だった。
「この剣が折れていたら、次の魔物との戦いで俺は死んでいたかもしれない」
「……そうですか」
ユウは少しだけ困った。
こういうのが嫌なのだ。
感謝される。
期待される。
目立つ。
そして――
英雄の仲間に誘われたりする。
前世でも何度もあった。
「じゃあ、宿代に少し上乗せしておきます」
「そんなものでいいのか?」
「バイトですから」
ユウは笑った。
「仕事をしただけです」
勇者はしばらくユウを見ていた。
そして、
「君は変わっているな」
「普通ですよ」
「それは無理があると思う」
女魔法使いが横から言った。
「同感」
そこへ宿屋の女主人がやって来る。
「ユウ! 朝食の準備は――」
そこで女主人は勇者の剣を見た。
「……あんた、もう直したのかい?」
「はい」
「昨日の夜に頼んだばかりだろう?」
「朝飯まで暇だったので」
「暇だから剣を直す十五歳がどこにいるんだい」
「ここに」
「そういうところだよ!」
宿屋に笑い声が響いた。
その日の朝。
勇者たちは朝食を食べた。
焼きたてのパン。
野菜のスープ。
卵料理。
そして――
「このスープ、うまいな」
勇者が呟く。
「ありがとうございます」
ユウが厨房から答えた。
「君が作ったのか?」
「はい」
「料理までできるのか?」
「普通ですよ」
「普通じゃない」
女魔法使いが即答した。
ユウは首を傾げる。
料理人だった前世。
農夫だった前世。
狩人だった前世。
漁師だった前世。
それらの記憶を合わせれば、宿屋の朝食など簡単だ。
しかし本人には、それが特別なことだという感覚がない。
「ところで」
勇者が言った。
「君は、この町を出る予定はあるのか?」
「特には」
「そうか」
勇者は少し考えた。
「もし旅に興味があるなら――」
「ないです」
「即答か」
「普通に働きたいので」
勇者は苦笑した。
「そうか。残念だな」
その日の昼。
勇者たちは宿を出発した。
「世話になった!」
「お気をつけて」
「また会えるかな?」
女魔法使いが尋ねる。
「旅をしていれば、どこかで会うかもしれませんね」
「……そうね」
馬車が遠ざかっていく。
ユウは手を振った。
「さて」
宿屋へ戻る。
「昼の仕込みしないと」
これで終わり。
ただの宿屋のバイト。
勇者の剣を修理した。
朝食を作った。
それだけだ。
――そのはずだった。
数日後。
宿屋の女主人が一枚の紙を持ってきた。
「ユウ」
「はい?」
「これ、あんた宛てだよ」
「俺に?」
紙を開く。
そこには短い文字が書かれていた。
『剣の調子がすごくいい。ありがとう』
勇者からだった。
ユウは少し笑った。
「律儀だなぁ」
そして紙を折りたたむ。
机の隅へ置く。
その時。
女主人が何気なく尋ねた。
「ところでユウ」
「はい?」
「次の仕事はどうするんだい?」
「まだ決めてません」
「そうかい」
「まあ、どこかでバイトを探します」
「そう」
女主人は笑った。
そしてユウも笑った。
この時のユウは知らなかった。
勇者たちが次に向かう町で――
自分が働くことになることを。
そして勇者たちも知らなかった。
その町で待っているのが、
またしても、ただのバイトをしているユウ・タナカだということを。




