第十九歩目 「魔王領の行商バイトと、知らないはずの英雄」
王都を出て、五日。
ユウ・タナカは魔王領へ向かう商隊の中にいた。
「……本当に来たのね」
勇者一行と同じ道を進みながら、女魔法使いが呆れたように言う。
「はい」
「行商のバイトで?」
「はい」
「魔王領よ?」
「そうですね」
「危険よ?」
「分かってます」
「魔物も出るのよ?」
「狩りはできます」
「そういう問題じゃない!」
勇者が笑う。
「まあ、ユウらしい」
商隊を率いる商人も苦笑していた。
「しかし助かるよ。魔王領との国境は危険だからな」
「こちらこそ」
ユウは荷物を確認する。
食料。
薬。
工具。
衣類。
簡単な武器。
魔王領では、何が必要になるか分からない。
「……」
ユウは一つの木箱を開ける。
「これ、持っていかないほうがいいです」
「なぜ?」
「魔力を帯びています」
「高級な魔石だぞ?」
「魔物を呼びます」
「……」
商人が慌てて箱を閉じた。
「捨てよう」
「それがいいです」
昼過ぎ。
商隊は魔王領との国境へ到着した。
そこには巨大な門があった。
人間側の砦。
その向こうに広がる、黒い森。
「ここから魔王領か」
勇者が呟く。
女魔法使いが緊張した顔で杖を握る。
「何が出てくるか分からないわ」
ユウは森を見る。
「……」
妙だった。
魔王領。
もっと荒れていると思っていた。
だが――
「道があります」
「道?」
「ちゃんと整備されています」
勇者も見る。
確かに。
森の中には、人間の街道と変わらない道が続いている。
「魔族も道を使うのね」
「当然だろう」
背後から声がした。
振り返る。
そこには一人の魔族が立っていた。
「……!」
兵士たちが武器を構える。
「待ってください」
ユウが止める。
「敵意はないです」
「どうして分かる?」
「武器を持ってないので」
「魔法を使うかもしれないぞ」
「その可能性はあります」
魔族は困ったように笑った。
「人間はすぐに剣を抜くな」
「魔族だからな」
勇者が前に出る。
「何者だ?」
「国境の案内役だ」
「案内役?」
「商隊が来るときは道を教えている」
商人が証明書を出す。
「正式な通行許可を持っている」
魔族は確認した。
「問題ない」
そして。
魔族の視線がユウに止まった。
「……」
「どうしました?」
「お前」
「はい?」
「どこかで見たことがある」
ユウは首を傾げる。
「初対面だと思います」
「……そうか」
魔族はそれ以上何も言わなかった。
商隊は魔王領へ入る。
そこでユウは驚いた。
魔族の村。
農地。
市場。
鍛冶屋。
宿。
「……普通だ」
思わず口に出る。
女魔法使いも周囲を見る。
「もっと荒れた場所だと思ってた」
「魔族だって生活するんだからな」
勇者が言う。
商隊が市場で荷物を広げる。
魔族たちが集まってくる。
「人間の薬か?」
「食料もあるぞ」
「この布は珍しいな」
ユウは客の様子を見る。
商人だった前世の感覚が蘇る。
「この薬は高くしすぎないほうがいいです」
「なぜ?」
「この地域では薬草が少ないから」
「よく分かるな」
「買う人の顔を見れば」
商人が笑う。
「君、本当に商売向いてるよ」
ユウは首を振る。
「前世で商人だっただけです」
「……」
「……」
「どうしました?」
「いや」
商人は何も言わなかった。
夕方。
商隊は魔族の村にある宿に泊まることになった。
ユウは宿の裏で薪を割っていた。
「何してるの?」
女魔法使いが尋ねる。
「宿の手伝いです」
「行商の仕事は?」
「終わりました」
「だからって、宿の手伝いまで……」
「薪割りのバイト代が出るので」
「出るの!?」
「はい」
女魔法使いは呆れた。
「あなた、どこに行っても働くわね」
「仕事があるので」
その夜。
ユウが宿の厨房を手伝っていると――
「おい」
魔族の料理人が声をかけてきた。
「この魚、どう焼けばいい?」
「……」
ユウは魚を見る。
「川魚ですね」
「そうだ」
「腹を開いて、香草を詰めます」
「香草?」
「臭みが消えます」
「ほう」
ユウは手際よく魚を焼く。
香ばしい匂いが厨房に広がる。
料理人が驚く。
「これは……」
「どうです?」
「うまい」
「よかったです」
「お前、料理人なのか?」
「前世で少し」
「……」
魔族の料理人は遠い目をした。
「お前の前世というものは、一体いくつあるんだ?」
「全部覚えてます」
「……怖いな」
食事を終えた頃。
宿の入口に、一人の老人が現れた。
魔族だった。
長い角。
白い髭。
杖。
そして――
ユウを見た瞬間。
老人の顔が変わった。
「……まさか」
「?」
老人が震える。
「その目……」
ユウは首を傾げる。
「何か?」
「いや……」
老人は目を細める。
「気のせいか」
その夜。
ユウが眠った後。
老人は一人、宿の外に出た。
そこへ黒い鎧の魔族が現れる。
「どうだった?」
「間違いない」
「何が?」
「勇者一行と共にいる、あの少年だ」
「ただの人間だろう?」
「違う」
老人は静かに答えた。
「あの魂には――」
一瞬。
言葉を止める。
「何度も見覚えがある」
「……何だと?」
「大賢者の弟子だった男」
「……」
「剣聖の一族に生まれた娘」
「……」
「北の海で魚を獲っていた少年」
「……」
「山で獣を追っていた狩人」
老人はユウのいる宿を見る。
「そして――」
小さく笑った。
「かつて我ら魔族に、何度も食料を売っていた商人」
黒鎧の魔族が息を呑む。
「同一人物だというのか?」
「そうだ」
「あり得ない」
「人間にはあり得なくても――」
老人は杖を握る。
「私には分かる」
翌朝。
ユウは何も知らず、宿の厨房で働いていた。
「朝食できました」
勇者たちが席につく。
「ありがとう」
勇者が食べる。
「……うまい」
「今日は魚です」
「また魚?」
「昨日、たくさん獲れたので」
女魔法使いが笑う。
「あなた、魔王領に来ても普通ね」
「そうですか?」
「そうよ」
ユウは魚を食べる。
「……」
そして窓の外を見る。
魔族の村。
子どもたち。
市場。
農地。
人間の村と変わらない。
「魔族も、普通に暮らしてるんですね」
勇者が頷く。
「ああ」
女魔法使いが少し考える。
「……魔王軍と、魔族の民は別なのかもしれないわね」
ユウは何も答えなかった。
ただ。
少しだけ安心した。
その日の午後。
商隊が次の街へ向かう準備をしていると――
「ユウ」
老人が現れた。
「はい?」
「少し話をしないか」
「何でしょう?」
老人はユウを見つめる。
「お前は――」
その瞬間。
ユウの中に、古い記憶が蘇った。
前世の一つ。
大賢者の弟子だった頃。
魔族の古老と話した記憶。
「……」
目の前の老人と、記憶の中の影が重なる。
「あなた……」
老人が笑う。
「やはり覚えているか」
「……」
ユウの顔から笑みが消える。
「あなたは、あの時の……」
「久しぶりだな」
老人は静かに言った。
「何百年ぶりだろう」
ユウは言葉を失った。
今まで。
前世の記憶を知る者はいなかった。
だから、ずっと――
自分だけの記憶だと思っていた。
しかし。
「どうして……?」
老人は答えた。
「お前の魂は、何度生まれ変わっても変わらない」
ユウは黙っている。
「そして――」
老人は笑う。
「お前は毎回、英雄の近くにいる」
「……」
その言葉に。
ユウの胸が、初めてざわついた。
「偶然です」
老人は笑った。
「本当にそう思っているのか?」
「……」
ユウは答えられなかった。
老人はそれ以上何も言わない。
「いずれ思い出す」
そう言って去っていく。
残されたユウは、しばらく動けなかった。
そして。
「……偶然だよな」
誰に言うでもなく呟く。
その背後。
勇者と女魔法使いが立っていた。
「ユウ?」
「……はい」
「どうした?」
「何でもありません」
いつもの笑顔。
いつもの声。
いつものユウ。
けれど――
その日から。
ユウの中に一つの疑問が生まれた。
自分は本当に、偶然、英雄たちの後ろを歩いているのだろうか。
そしてその答えを知ることになるのは――
もう少し先のことだった。




