第十四歩目 「国境砦のバイトと、英雄のいない戦場」
翌朝。
商隊は国境砦へ向けて出発した。
昨夜、森の奥で感じた魔王軍の気配。
ユウ・タナカは、それを商人たちには話さなかった。
正確には――
「まだ確信がない」
そう考えていた。
狩人だった前世の感覚では、間違いなく軍勢だった。
だが、距離がある。
数も正確には分からない。
だからユウは、いつものように荷馬車の横を歩いていた。
「ユウ」
商人が声をかける。
「はい?」
「国境砦に着いたら、そこで仕事は終わりだ」
「分かりました」
「その後はどうする?」
「次のバイトを探します」
「……本当にそれが好きなんだな」
「はい」
しばらくして。
国境砦が見えてきた。
巨大な城壁。
無数の兵士。
物資を運び込む荷馬車。
戦場の空気が漂っている。
「止まれ!」
門番が商隊を止めた。
「物資の納入です」
「確認する」
兵士が荷物を調べる。
ユウはその横で、何となく城壁を見る。
「……」
妙だった。
兵士の数。
武器。
食料。
どれも少ない。
「砦の人数、少なくないですか?」
商人が振り返る。
「何?」
「あそこ」
ユウは城壁を指す。
「兵士が少ないです」
「そういえば……」
門番に聞く。
「最近、兵士が何人か前線へ移されたんだ」
「どこへ?」
「東側の砦だ」
ユウは地図を見る。
「……」
昨夜の魔王軍の進路。
東側。
「まずいな」
ユウは呟いた。
「何が?」
「魔王軍、東側じゃなくてこっちに来るかもしれません」
門番が笑う。
「そんなわけない」
「どうして?」
「魔王軍は東側へ向かったと斥候から報告があった」
「……」
ユウは黙った。
斥候の報告。
魔王軍の姿。
そして昨夜の足音。
「その報告、いつですか?」
「昨日の昼だ」
「……」
昨夜、魔王軍は森にいた。
つまり。
報告を出した後に進路を変えた。
「勇者さんたちに知らせたほうがいいです」
「勇者?」
商人が首を傾げる。
「さっきの馬車の人たちです」
「ああ」
だが――
勇者たちはすでに砦の司令室へ向かっていた。
ユウは荷物を下ろす。
「ちょっと行ってきます」
「仕事は?」
「終わりました」
「いや、そうじゃなくて――」
ユウは走り出した。
砦の中。
司令室。
「魔王軍が東から来る?」
砦の指揮官が地図を見る。
「斥候の報告では東だ」
「でも、昨夜――」
ユウが説明する。
森で聞いた軍勢の音。
足跡。
進行方向。
「かなり大きな軍勢でした」
勇者も頷く。
「俺たちも東側の偵察隊と連絡が取れていない」
「……」
指揮官の顔色が変わる。
「まさか」
その時。
――ドォォン!
砦全体が揺れた。
「敵襲!」
兵士が叫ぶ。
「西門です!」
「西だと!?」
指揮官が窓を見る。
城壁の向こう。
黒い旗が見えた。
魔王軍。
「……本当に来た」
ユウは呟いた。
「全員、配置につけ!」
砦が一気に戦場へ変わる。
兵士たちが走る。
弓兵が城壁へ。
魔法兵が魔法陣を展開する。
勇者も剣を抜いた。
「行くぞ!」
「はい!」
ユウは――
「俺は何をすれば?」
指揮官が叫ぶ。
「君は下がっていろ!」
「分かりました」
ユウは素直に頷いた。
そして。
倉庫へ向かった。
「……」
物資。
水。
食料。
矢。
薬。
「足りない」
ユウはすぐに気づいた。
砦は兵士を東へ移しただけではない。
物資まで移していた。
「このままじゃ長く持たない」
ユウは倉庫番を見る。
「食料、あと何日ですか?」
「三日……いや、二日半だ」
「水は?」
「井戸が一本」
「薬は?」
「足りない」
「……」
ユウは考える。
戦闘そのものは、英雄たちが戦う。
でも。
戦場には英雄だけでは勝てない。
「倉庫番さん」
「何だ?」
「地下倉庫、ありますか?」
「ああ。古いのが一つ」
「見せてください」
地下倉庫には、使われていない木箱が積まれていた。
ユウは一つ開ける。
「……塩」
二つ目。
「干し肉」
三つ目。
「薬草」
倉庫番が驚く。
「こんなものが残ってたのか……」
「古い備蓄ですね」
商人だった前世の記憶。
物資管理。
保存。
輸送。
ユウはすぐに計算する。
「これを使えば、一週間は持ちます」
「本当か?」
「はい」
「でも、どうやって?」
「配給を変えます」
ユウは紙に書き始めた。
「兵士の食事を三班に分けます」
「三班?」
「戦闘中の人、休憩中の人、負傷者で必要な量が違います」
倉庫番が目を見開く。
「それなら――」
「薬も同じです」
必要な場所に必要な分だけ配る。
無駄をなくす。
物資を戦場へ運ぶ。
ユウは次々に指示を出した。
「この箱は西門へ」
「はい!」
「水はここに」
「分かった!」
「薬は負傷兵のいる場所へ!」
気づけば。
ユウは兵士たちに指示を出していた。
「……」
本人は気づいていない。
自分が戦場の補給を仕切っていることに。
そして――
それが英雄たちの戦いを支えていることに。
一方、城壁では。
「勇者様!」
兵士が叫ぶ。
「魔王軍の攻撃が強すぎます!」
「まだだ!」
勇者が剣を振る。
魔王軍の兵士を吹き飛ばす。
女魔法使いが巨大な魔法を放つ。
「――燃えろ!」
炎が敵陣を包む。
聖女が負傷兵を治療する。
「大丈夫です!」
女冒険者が矢を放つ。
だが――
「敵が多すぎる!」
魔王軍は次々に押し寄せる。
「このままでは……」
兵士たちの疲労が増していく。
その時。
「水だ!」
「薬も来た!」
「食料がある!」
補給が届く。
兵士たちの表情が変わる。
「まだ戦える!」
勇者が振り返る。
「……誰が補給を?」
兵士が答える。
「臨時の作業員です!」
「誰だ?」
「さあ……」
勇者は一瞬だけ考えた。
「……ユウか?」
女魔法使いが苦笑する。
「たぶんね」
夜。
魔王軍は一度撤退した。
砦には静寂が戻る。
兵士たちは疲れ切っていた。
だが――
誰一人、倒れずに立っていた。
指揮官がユウを呼ぶ。
「君のおかげだ」
「何がですか?」
「兵士たちが持ちこたえた」
「倉庫に食料が残っていただけです」
「いや」
指揮官は首を振る。
「君が見つけて、君が使い方を考えた」
「……」
ユウは少し困った顔をした。
「仕事なので」
「……またそれか」
指揮官は笑った。
その夜。
勇者がユウの隣に座った。
「今日はありがとう」
「何がですか?」
「俺たちが戦えたのは、君のおかげだ」
「俺は戦ってませんよ」
「だからこそだ」
勇者は城壁の向こうを見る。
「英雄が戦えるのは、誰かが後ろを守ってくれるからだ」
「……」
ユウは黙った。
その言葉が、なぜか胸に残った。
勇者は立ち上がる。
「明日も頼む」
「はい」
「……バイトとして?」
「もちろん」
「そこは変わらないんだな」
勇者は笑った。
翌朝。
ユウは砦の掲示板を見ていた。
『臨時炊事係募集』
「……」
ユウは求人票を剥がした。
「戦場で料理か」
少し考える。
「まあ、やったことあるし」
その直後。
砦の外から、伝令が駆け込んできた。
「報告!」
「どうした!」
「魔王軍本隊がこちらへ向かっています!」
空気が凍る。
「規模は?」
「昨日の十倍です!」
ユウは求人票を握ったまま、ゆっくり顔を上げた。
「……」
今度の戦いは。
これまでとは違う。
そして――
ユウが「ただのバイト」として関わってきた旅は、少しずつ、本当の戦争へ近づいていた。




