【第二章 白い風】第八話 落とした切符
電車を降りる。
終電に近いホームは、人の間隔が広い。
白い風も、昼より長く床を滑っていく。
前を歩く男が、大きく欠伸をする。
壁にもたれた女が、閉じかけた目で時刻表を見ている。
学生のイヤホンから、細い音が漏れている。
みんな疲れている。
けれど、歩く音は途切れない。
階段へ向かう途中、前の女のポケットから小さな紙が落ちた。
白い床の上で一度跳ね、風に押されてこちらへ滑ってくる。
古い乗車券だった。
拾い上げる。
紙には、知らない駅の名と、数日前の日付が印字されている。
女は気づかずに歩いている。
声をかけようとしたとき、ホームへ次の列車の風が入ってきた。
紙が指の間で震える。
「落としましたよ」
女が振り返る。
一瞬、誰に呼ばれたのか分からない顔をした。
切符を見ると、眠そうな目が少しだけ開いた。
「あ、ありがとうございます」
受け取った紙を、今度は財布の奥へしまう。
それだけだった。
名前も知らない。
どこから来て、どこへ帰るのかも知らない。
それでも、数秒のあいだ、二人の間に同じ駅があった。
女が階段を上がっていく。
自分は改札へ向かう。
別々の方向へ歩き出しても、さっきの短い声だけが、しばらく通路に残っていた。
境界は、消えたわけではない。
知らない人は、知らない人のままだった。
ただ、その境界を一枚の紙が渡り、また戻っていった。
改札の向こうで、女のコートが一度だけ見えた。
次の人が横切ると、もう見えなくなった。
足元へ風が来る。
白い床の上には、何も残っていない。
それでも、牧場は小さな往復を覚えているように思えた。




