【第二章 白い風】第九話 湿った夜
改札を抜ける。
地上へ続く階段を上がる。
一段。
また一段。
足音が白い壁へ返り、自分の後ろから別の足音が重なる。
上へ向かうほど、空気が少しずつ重くなる。
乾いた地下の匂いに、雨の湿り気が混ざり始める。
最後の段を上がる。
夜の街には、地下より多くの匂いがあった。
濡れたアスファルト。車の排気。煙草。遠くの店から流れてくる油と醤油。
雨はもう止んでいる。
街路樹の葉から落ちた雫が、歩道に暗い点を作っている。
信号の前で立ち止まる。
向こう側にも、帰る人たちが並んでいる。
笑いながら肩を寄せる二人。
コンビニの袋を提げた女。
ネクタイを緩め、空を見ている男。
青に変わる。
両側の群れが歩き出す。
すれ違う直前、風が交差点を横切った。
髪が揺れる。コートが揺れる。ビニール袋が白く膨らむ。
地下から連れてきた風とは違う。
湿っていて、土と葉の匂いがする。
歩道の反対側では、まだ雨の落ちていない軒先から、水を払うような音がした。見上げても、軒は乾いている。誰かが店じまいの道具を動かしたのかもしれない。風に混ざったその短い音だけが、雨より先に通り過ぎた。
それでも、身体はその風を知っている気がした。
すれ違う人の肩を避け、少し右へ寄る。
向こうも少し左へ寄る。
触れずに通り過ぎる。
地下で生まれた細い道が、地上にも続いていた。
振り返る。
地下鉄の入口は、白い光を抱えたまま、歩道の端に口を開けている。
人が一人、そこへ降りていく。
別の人が、入れ替わるように上がってくる。
入口の白さは歩道へ薄くこぼれ、濡れた夜の色は階段の途中まで下りていた。
上がる人の肩には地下の乾いた風が残り、降りる人の靴からは雨の匂いが落ちた。二つは踊り場で触れ、どちらのものとも分からない温度になった。
歩き出す。
靴の裏で、濡れた舗道がわずかに鳴る。
地下では聞こえなかった夜の音だった。
その音に合わせるように、呼吸が少しだけ深くなった。




