百人目の器(魂の分割・クローン)
俺がこの村で暮らし始めて、十六年になる。
物心ついた時から、俺はこの村にいた。
両親はいない。
村長が育ててくれた。
「ノルト。お前はな、ある偉い魔術師様から預かった子だ」
村長はいつもそう言った。
それ以上のことは教えてくれなかった。
特別なことは何もない日常だった。
畑を耕して、魔物を追い払って、たまに隣村まで薬草を届ける。
平凡だけど、悪くない暮らしだった。
おかしいと思い始めたのは、十四の頃だ。
隣村に薬草を届けた帰り道、見知らぬ少年とすれ違った。
同い年くらい。
黒い髪。
少し吊り上がった目。
どこかで見た顔だった。
鏡で見る顔だ。
「お前……」
少年も俺を見て、固まっていた。
その場では何も言えず、互いに背を向けて歩き去った。
でも胸の中に、鉛のような違和感が残った。
十五の誕生日の朝、村に一人の老婆が訪ねてきた。
灰色のローブに身を包み、杖をついていた。
目元に深い皺が刻まれていて、どこか疲れた顔をしていた。
「お前か?」
「誰だ?」
「お前の……いや、お前たちの創り主の使いだ」
老婆は村長の家の囲炉裏端に腰を下ろして、すべてを話した。
大陸最強と謳われた大魔術師ヴェルナー。
五百年の命を持ちながら、それでも死を恐れた男。
彼は禁術の中の禁術に手を出した。
自分の魂を百に分割し、百人の子供の体に宿らせた。
本体が滅んでも、百の欠片のどれか一つが生き残れば、魂は再生できる。
つまり、百の命を「予備」にしたのだ。
俺は、その百人のうちの一人だった。
「嘘だろ」
声が震えた。
「お前の顔と同じ子供が、大陸中に九十九人いる。全員がヴェルナーの魂の欠片だ」
隣村ですれ違った少年。
あの既視感。
同じ顔。
同じ魂の、別の器。
頭の中が真っ白になった。
「なぜ今、それを教えに来た?」
老婆は杖を握り直して、低い声で言った。
「ヴェルナーが目覚める。百の欠片を回収して、元の一つに戻すつもりだ」
回収。
つまり、俺たちの命を吸い取るということだ。
百人分の命を束ねて、一人の完全な魂に戻す。
そのために、俺たちは作られた。
村長が俺の顔を見て、涙を流していた。
「すまなかった。知っていて、言えなかった」
怒りよりも先に、悲しみが来た。
十六年間の日常。
畑の土の匂い。
収穫祭の夜に村のみんなで焚き火を囲んだこと。
隣の家の娘に不器用な花束を渡して、笑われたこと。
全部、いつか回収されるための「保管期間」だったのか。
三日間、何も手につかなかった。
畑にも出ず、飯も喉を通らなかった。
四日目の朝、俺は立ち上がった。
逃げるためじゃない。
会って、聞きたかった。
ヴェルナーの塔は、王都の北の山脈にあった。
歩いて七日。
その間、同じ顔の少年に二人すれ違った。
一人は泣いていた。
もう一人は、怒りに震えていた。
声はかけられなかった。
塔の最上階に、老いた男が座っていた。
ヴェルナー。
五百年を生きた大魔術師。
そしてある意味、俺の「本体」。
窓辺の椅子に深く腰掛け、ぼんやりと外を眺めていた。
想像していたよりも、ずっと小さな背中だった。
「よく来た、九十七番」
番号で呼ばれた。
それが俺の正体だった。
名前ではなく、番号。
「聞きたいことがある」
「何だ?」
「俺たちに、命はあるのか」
ヴェルナーは窓の外から視線を動かさなかった。
数秒の沈黙の後、枯れた声で答えた。
「お前たちは私の影だ。本体が消えれば影も消える。逆もまた然り。それ以上でも以下でもない」
「影にも、影の日々がある」
「何?」
「俺は十六年、畑を耕して、友と笑って、夕日を見て暮らしてきた。花束を渡して笑われたこともある。お前の欠片かもしれない。でもあの日々は、俺のものだ」
ヴェルナーの肩が、わずかに揺れた。
笑ったのか、震えたのか、わからなかった。
「お前は何番目だ」
「九十七番だと、あんたが言った」
「そうだった。九十七か。確か、南の丘陵地帯の村に置いた子だな」
「ああ。いい村だよ。飯がうまくて、人が温かい」
ヴェルナーはようやく俺を見た。
五百年分の疲労が、その目の奥に沈んでいた。
「……百人分の人生を奪ってまで、私が守りたかった命とは何なのか」
その声は、大魔術師のものではなかった。
ただの、疲れ果てた老人の声だった。
「正直に言えば、もう分からん。五百年も生きると、何のために生き延びたかったのかすら、思い出せなくなる」
俺は何も言えなかった。
憎むつもりで来た。
でも目の前にいたのは、百人分の命を背負いきれなくなった、ひとりの人間だった。
沈黙が長く続いた。
窓の外を、鳥が横切った。
「好きに生きろ」
ヴェルナーは、そう言った。
「回収は」
「やめた。百の命を吸い上げたところで、空っぽの器が完全になるだけだ。中身がなければ、意味がない」
塔を出る時、振り返って聞いた。
「あんたはどうするんだ?」
「私か。私は……もう少しだけ、この窓から空を見ている」
それが、俺と「本体」の最初で最後の会話だった。
村に戻った日、夕焼けが綺麗だった。
村長が門の前で待っていて、俺を見た瞬間、また泣いた。
「おかえり」
「ただいま」
たったそれだけのやり取りが、これまでの人生で一番重かった。
俺の名前は九十七番ではなく、ノルトだ。
南の丘陵地帯の、小さな村の、ただの百姓だ。
それで十分だと、今は思える。




