蘇りの値段(蘇生への重税)
私は王都の外れで治癒院を営む、しがない治癒師だ。
この世界では、死者を蘇らせる魔法が存在する。
ただし、莫大な費用がかかる。
蘇生の術式には「霊素結晶」という希少鉱石が必要で、一回の蘇生に使う量は、平民の年収の百二十倍に相当する。
つまり、金さえあれば死は乗り越えられる。
逆に言えば、金がなければ死は絶対だ。
王都には「永命館」と呼ばれる施設がある。
富裕層だけが利用できる蘇生専門の塔だ。
白い大理石の建物で、入口には黄金の天秤の紋章が掲げられている。
天秤。
まさにそのとおりで、あの場所では命と金貨が同じ皿に載せられる。
貴族や大商人たちは「蘇生保険」に加入している。
莫大な保険料を払い、万が一の死に備える。
彼らにとって死は、一時的な不便に過ぎない。
「昨日、馬車から転落して死んだんだが、すぐ蘇してもらってね。午後の商談には間に合ったよ」
そんな会話が、富裕区の酒場では当たり前に交わされている。
一方で、貧民区では事情がまるで違う。
ここでは死は昔と同じように絶対で、覆しようのないものだ。
金持ちだけが何度でも蘇り、貧しい者は一度きりの命を握りしめて生きている。
私の治癒院は貧民区にある。
蘇生はできない。
できるのは、怪我の手当てと病の緩和だけだ。
それでも毎日、誰かが戸を叩く。
ある冬の夜のことだった。
治癒院の戸を激しく叩く音がした。
尋常ではない叩き方だった。
開けると、若い母親が子どもを抱いて立っていた。
五歳くらいの男の子だ。
顔は青白く、唇は紫色で、もう息をしていなかった。
「先生、お願いします。この子を……、この子を助けてください」
私は子どもを診察台に寝かせた。
体温は著しく低下している。
凍傷による心停止。
死後、推定二時間ほど。
蘇生術の適用範囲内だ。
術式的には、まだ間に合う。
だが、蘇生に必要な霊素結晶は、私の治癒院には置いていない。
そもそも一欠片すら買える財力がない。
「永命館に行けば、蘇生は可能です。ただし……」
母親の顔が、一瞬だけ明るくなった。
可能、という言葉だけが彼女の耳に届いたのだろう。
そしてすぐに曇った。
彼女は知っていたのだ。
蘇生の値段を。
「……いくらですか」
「標準の蘇生術で、金貨三千枚です」
母親の膝が崩れた。
金貨三千枚。
この地区の住民が一生働いても届かない額だ。
「分割は……分割は、できないんですか」
「永命館は前払い制です。王令で定められています。例外は認められません」
母親は震える手で、腰の巾着袋を開けた。
中から出てきたのは、銅貨が数枚と、小さな銀の耳飾りが一つ。
「これで……これで足りますか」
足りるわけがなかった。
金貨三千枚と、銅貨数枚。
私は何も言えなかった。
治癒師として十年以上やってきた。
助けられない命にも何度も向き合ってきた。
だがこの沈黙ほど辛いものは、それまでの人生になかった。
「なぜ……なぜお金がないと、子どもが助からないんですか」
母親は床に崩れ落ちて泣いていた。
その問いに答えられる人間は、この世界のどこにもいなかった。
私は何もできなかった。
治癒魔法は死者には効かない。
蘇生術は霊素結晶なしには発動しない。
そして霊素結晶は、金でしか手に入らない。
翌朝、私は永命館に掛け合いに行った。
せめて子どもの蘇生だけでも、減額や猶予の措置が取れないかと。
受付の男は慇懃な口調で言った。
「お気持ちはわかります。ですが、一人に例外を認めれば、全員に認めなければなりません。我々は慈善施設ではなく、王認の蘇生機関です。規定に従って運営しております」
正論だった。
制度としては、何一つ間違っていない。
そして、その正論が最も残酷だった。
結局、あの子どもは蘇らなかった。
母親は三日間、冷たくなった子どもを抱いて治癒院にいた。
私は追い出せなかった。
追い出す理由もなかった。
四日目の朝、母親は子どもを毛布に包んで立ち上がった。
「先生、場所をお借りしてすみませんでした」
「……どこに行くんですか」
「墓地に。お金はないけど、埋めてあげることはできますから」
その背中を見送りながら、私は考えていた。
この世界は、命に値段をつけてしまった。
蘇生術という奇跡を手にしたことで、「救える命」と「救わない命」を、金額で線引きする社会が出来上がった。
これがなかった時代のほうが、死は平等だった。
貴族も平民も、同じように死に、同じように悼まれた。
誰も蘇らないからこそ、すべての別れが等しく重かった。
今は違う。
富める者は何度でも蘇り、貧しい者は一度で終わる。
同じ「死」のはずなのに、財布の中身で意味が変わる。
私はその夜、治癒院の机に向かい、一通の請願書を書き始めた。
蘇生費用の公的補助制度を求める請願書。
子どもの死亡に限り、国庫から霊素結晶を支給する制度の設立を求めるものだ。
通るかどうかはわからない。
おそらく、握り潰されるだろう。
永命館の利権は王族にまで及んでいる。
だが、書かずにはいられなかった。
あの母親の「なぜお金がないと助からないんですか」という問いが、頭から離れなかった。
あの問いに、いつか答えられる世界にしなければ。
命に値段がつく世界で、貧民区の治癒師ができることは少ない。
治癒魔法では蘇生できない。
霊素結晶が買えない。
金もない。権力もない。
請願書を書き終えた時、外はもう明るくなっていた。
窓の向こうに永命館の白い塔が見えた。
あの塔の中では今日も、金貨三千枚を払える人間が、当たり前のように命を取り戻しているのだろう。
私は請願書を封筒に入れ、王都議会宛の宛名を書いた。
届くかどうかはわからない。
一人の治癒師にできることは、結局これだけだ。




