欠けた笑顔(蘇生の不完全性)
私が魔術師ギルドの末席に加わったのは、十年前のことだ。
当時の師匠、ヴェルナ老は「死者蘇生」の研究に生涯を捧げた人だった。
誰もが不可能だと嗤う(わらう)中、老人は地下の書庫に籠もり続けた。
私はその助手として、古文書の翻訳や素材の調達を任されていた。
師匠にはひとりだけ、血を分けた弟子がいた。
孫のような存在のリーシャという少女だ。
リーシャは魔術の才能こそ凡庸だったが、誰よりも明るく、ギルドの空気を柔らかくする子だった。
朝、書庫に入ると必ず花を一輪、机に置いてくれた。
「おはようございます、先生。今日のお花はカモミールです」と、はにかみながら言うのが日課だった。
あの日のことは、今でもはっきり覚えている。
リーシャが魔獣の討伐依頼に同行し、帰らなかった。
斥候から知らせを受けた師匠の顔から、一瞬で表情が消えた。
老いた手が震えていたのを、私は黙って見ていた。
二日後、封印棺が運ばれてきた。
三日後、師匠は言った。
「術式は完成している。あとは試すだけだ」
私は止めるべきだったのだろう。
禁忌とされる理由は、古文書にも繰り返し記されていた。
「蘇りし者、その魂に欠損あり。完全なる復元は神の領域にして、人の手には余る業なり」
しかし師匠の目には、理屈では止められない覚悟があった。
儀式は深夜に行われた。
地下祭壇に横たえられたリーシャの体に、七色の魔力紋が浮かび上がる。
師匠は自らの生命力を注ぎ込みながら、三時間にわたって詠唱を続けた。
髪が白く変わり、背が曲がり、十年分の老いが一夜で師匠を蝕んだ。
そして、リーシャの指先がぴくりと動いた。
私は思わず声を上げた。
「師匠、成功です。動いています」
リーシャはゆっくりと目を開けた。
体温が戻り、呼吸が始まり、やがて身を起こした。
外見は、死ぬ前とまったく同じだった。
だが、何かが違った。
「リーシャ、わかるか。わしだ」
師匠が震える声で呼びかけた。
リーシャは師匠を見て、首を小さく傾げた。
「はい。ヴェルナ先生ですね」
言葉は正しかった。
記憶もあった。
名前も、場所も、過去の出来事も、すべて正確に答えた。
けれど、あの笑顔がなかった。
花を持ってきてくれなくなった。
「おはようございます」とは言うが、はにかむことがない。
誰かが冗談を言っても、表情が動かない。
食事を「美味しい」と言うが、目が何も映していない。
最初、ギルドの仲間たちは喜んだ。
リーシャが戻ってきたと。
しかし一週間もすると、誰もが気づき始めた。
そして、誰もそのことを口にしなくなった。
ある夜、私は師匠の部屋の前を通りかかった。
扉の隙間から、老人の背中が見えた。
机の上には、リーシャがかつて置いてくれたカモミールの押し花。
師匠は声を殺して泣いていた。
私はその場を離れることしかできなかった。
数週間後、師匠が私を呼んだ。
「おまえに頼みがある」
師匠の目は、儀式の夜よりも疲れ切っていた。
「リーシャの記録を残してくれ。蘇生術の成功例としてではない。失敗の記録として」
私は黙って頷いた。
師匠は続けた。
「体は戻せる。記憶も戻せる。だが、あの子の笑顔は……、あの子が何かを好きだと感じる心は、わしには戻せなかった」
それから一年ほどして、リーシャ自身が私のところに来た。
「ひとつ聞いてもいいですか」
抑揚のない声で、静かに尋ねた。
「以前の私は、笑っていましたか」
私は答えに詰まった。
嘘をつくこともできた。
でも、リーシャの目がそれを許さなかった。
「ああ。よく笑っていた。ギルドで一番、明るかったよ」
リーシャは少し黙ってから言った。
「みんなが私を見る目が、以前と違うのはわかります。でも、何が違うのか、自分ではわからないのです。悲しいという感覚が、あるはずなのに、掴めない」
師匠はその翌年に亡くなった。
リーシャは師匠の墓前に立ち、目を閉じていた。
涙は流れなかった。
けれど、その日だけ、墓にカモミールが一輪、置かれていた。
理由を聞くと、リーシャは首を傾げた。
「わかりません。ただ、そうするべきだと思ったのです」
あれから八年が経った。
リーシャは今もギルドにいる。
仕事は正確で、信頼も厚い。
ただ、笑うことはない。




