弔いの剣(魔物にも葬儀がある世界)
俺が冒険者になったのは、十七の春だった。
剣の腕に自信があったわけじゃない。
ただ、村の畑を荒らす魔物を誰かが止めなきゃいけなかった。
父は腰を悪くしていたし、兄はとっくに街へ出ていた。
残ったのは俺だけだった。
それだけの理由で、ギルドの門を叩いた。
受付の女性に「未経験です」と正直に言ったら、少し困った顔をされた。
でもちょうどその日、ベテラン冒険者のレナードさんが低難度の依頼を探していた。
「面倒見てやるよ。最初の一匹目ってのは、誰にでもあるからな」
そう言って、革張りの肩当てを軽く叩いた。
無骨だけど、安心させるような笑い方をする人だった。
最初の依頼は、森の外れに棲みついた角猪の討伐。
角猪というのは、額に石のような角を持つ大きな猪だ。
体は子牛ほどもある。
畑を掘り返し、作物を根こそぎ食い荒らす。
農家にとっては、厄介者以外の何者でもない。
森に入る前、レナードさんがぽつりと言った。
「いいか、新人。倒すのは難しくない。問題はそのあとだ」
俺は「はい」と返事をしたけれど、正直、意味がわからなかった。
倒したあとに何がある。
報酬を受け取って、飯を食う。
それだけだと思っていた。
森に入って半日。
角猪は木の根を掘り返しているところだった。
思ったよりも大きい。
血走った小さな目。
こちらに気づいた瞬間、地面を蹴って突進してきた。
その速度は、想像をはるかに超えていた。
レナードさんが横から盾で牽制する。
角猪の突進がわずかにそれた。
「今だ!」
俺は声を上げながら、正面から剣を突き立てた。
手に伝わる、重い感触。
角猪は一声、短く鳴いた。
それは怒りでも、悲鳴でもなかった。
まるで何かに驚いたような、不思議な声だった。
角猪はゆっくりと横に倒れ、動かなくなった。
息が荒かった。
膝が笑っていた。
でも胸の中には、確かに達成感があった。
「よくやった」
レナードさんはそう言って、背負い袋から白い布と小さな香炉を取り出した。
「さあ、弔え」
「……弔う?」
「この国では、魔物を倒した者がその魂を鎮める義務がある。知らなかったか?」
冗談だと思った。
だって相手は魔物だ。
畑を荒らし、人に害をなす獣だ。
弔うなんて、そういう対象じゃないだろう。
でもレナードさんの顔は、笑っていなかった。
「この世界ではな、倒した魔物を弔わずに放置すると、怨念が土地に染みこむ。穢れと呼ばれるものだ」
「穢れた土地には、さらに凶暴な魔物が集まってくる。一匹を放置したせいで、十匹が湧いた例もある」
「だから弔うんですか。土地を守るために」
「最初はそう思っていい。だがな、続けていくうちにわかる。理由はそれだけじゃないってことが」
レナードさんは角猪の体に白い布をかけた。
丁寧に、皺を伸ばすように。
まるで眠っている子どもに毛布をかけるような手つきだった。
香炉に火を灯し、低い声で祈りの言葉を唱え始めた。
「汝の命、大地に還れ。恨みは風に、痛みは水に。安らかに眠れ」
俺は言われるまま、その隣に膝をついた。
正直、何を祈ればいいかわからなかった。
ただ、目の前で動かなくなった角猪の、最後のあの声がずっと頭の中で響いていた。
驚いたような声。
自分がここで終わることへの、純粋な驚き。
そこに憎しみは、なかった。
胸の奥がぎゅっと締まった。
さっきまでの達成感が、急速に冷めていくのがわかった。
祈りが終わると、レナードさんは静かに立ち上がった。
「どうだった」
「……よくわかりません。ただ、さっきまで誇らしかった気持ちが、全部消えました」
「それでいい」
レナードさんは木漏れ日の中で目を細めた。
「俺たち冒険者は、命を奪って飯を食う。それは変えられない。だがな、奪った命の重さを忘れた瞬間、俺たちはただの殺し屋になる」
「弔いは、相手のためだけじゃない。自分の中にある大事な何かを、ちゃんと保つためのものだ」
帰り道、レナードさんがもう一つだけ教えてくれた。
「弔いを面倒だと言い出した冒険者は、だいたい三年以内に引退するか、死ぬ」
「命を軽く扱い始めると、自分の命も軽くなる。無茶な依頼を受けて、無茶な戦い方をして、あっけなく終わる」
「弔いは、自分自身へのブレーキでもあるんだ」
あれから三年が経った。
俺はそれなりに名の知れた冒険者になった。
大きな魔物も倒したし、仲間と組んで危険な依頼もこなした。
レナードさんは去年、引退した。
「腕が鈍った」と笑っていたけど、最後の依頼の日も弔いだけは完璧だった。
背中を丸めて膝をつくその姿は、どんな剣技よりも美しかった。
ギルドを去る日、レナードさんは俺に香炉を一つ渡してくれた。
「俺が最初の師匠からもらったやつだ。次はお前が誰かに渡せ」
受け取ったとき、香炉はまだほんのり温かかった。
何百回と火を灯してきた、その熱が染みついているようだった。
今の俺にも、どれだけ強くなっても変わらないことが一つある。
倒した魔物の前で膝をつく。
白い布をかける。
香炉に火を灯す。
祈りの言葉を唱える。
その間だけは、剣を置く。
先日、新人に聞かれた。
「先輩、なんでそんなことするんですか。相手は魔物ですよ」
三年前の自分と、まったく同じ顔をしていた。
俺はレナードさんの言葉をそのまま返すことはしなかった。
あの言葉は、自分で気づかないと意味がないから。
代わりに、こう聞いた。
「お前、初めて魔物を倒したとき、最後の声を聞いたか」
新人は少し黙った。
それから、小さく頷いた。
「あの声を忘れないためだよ」
新人は何も言わなかった。
でも次の討伐のあと、俺より先に膝をついていた。
弔いは、相手を敬う行為じゃない。
自分が何者かを忘れないための、最後の砦だ。
剣を振るうたびに、少しずつ何かが削れていく。
それを、ほんの数分の祈りで繋ぎ止めている。
この世界では、強い冒険者ほど静かに膝をつく。
それが、命を奪う者に許された唯一の誠意だから。




