錆びた剣が、まだ主人を待っている(付喪神(ツクモガミ)の悲哀)
目が覚めたのは、いつだったか覚えていない。
気がついたら、私は「考えること」ができるようになっていた。
私は剣だ。
鍛冶場で生まれ、一人の騎士に買われた。
それから百年、ずっとあの人の腰に下げられていた。
最初は何も分からなかった。
振り下ろされるたびに衝撃が走り、血で汚れ、布で拭かれる。
それだけが私の世界だった。
でも時が経つにつれて、少しずつ感じるようになった。
あの人の手の温度。
鞘に収められるときの安堵。
戦いの前、柄を強く握りしめる指の震え。
百年。
あの人は百年、私を使い続けた。
人間の寿命としては長い。
魔法か、それとも何か特別な血筋か、私には分からない。
ただ確かなのは、百年の間ずっと、あの人は私と一緒だったということだ。
あの人は無口だった。
でも私を手入れするときだけ、小さな声で話しかけた。
「今日もよく斬れたな」
「お前がいなかったら、とっくに死んでた」
「もう少しだけ、付き合ってくれ」
その言葉の一つ一つが、私の中に積もっていった。
言葉が重なるたびに、私は少しずつ「私」になっていった。
そしてある朝、私は「目覚めた」。
あの人の声が聞こえた。
あの人の感情が伝わるようになった。
嬉しい。悲しい。疲れた。怖い。
全部、分かった。
でも伝える術がなかった。
私は剣だ。
声を出すことも、動くこともできない。
ただあの人に使われて、あの人を守ることしかできない。
それでも、それだけで十分だと思っていた。
最後の戦いを、今でも覚えている。
あの人は笑っていた。
満足そうに、穏やかに。
敵を全て退けた後、あの人は空を見上げた。
秋の空だった。
高くて、青くて、どこまでも澄んでいた。
「ありがとう」と言って、私を地面に突き立てた。
そのまま、あの人は私に背を預けるように座り込んだ。
目を閉じた。
呼吸が浅くなった。
そして、止まった。
私は突き立てられたまま、そこに残された。
あの人の体は、やがて誰かに運ばれていった。
でも私は抜かれなかった。
まるで墓標のように、そこに残された。
雨が降った。
雪が積もった。
草が伸び、蔦が絡みついた。
季節が巡り、年が重なり、私の刃は錆びていった。
でも意識だけは消えなかった。
待っている。
何を待っているのか、自分でも分からない。
あの人はもう戻らない。
それは分かっている。
でも「もう少しだけ付き合ってくれ」という言葉が消えない。
だから私は、ここにいる。
ここで待っている。
ある日、旅人が通りかかった。
若い冒険者だった。
私を見つけて、引き抜こうとした。
「おっ、なんだこの剣。古いけど、いい鋼だな」
やめてくれ。
私はここにいたいんだ。
あの人が「ここに突き立てた」のだから。
冒険者は何度か引っ張ったが、私は動かなかった。
意識を持つ前にはできなかったことだ。
でも今の私には、ここに留まる意志がある。
「抜けないか。まあいいや」
そう言って去っていった。
それからまた、何年か経った。
一人の老鍛冶師がやってきた。
白髪で、腰が少し曲がっていた。
でも目だけは鋭かった。
私をじっと見つめて、小さく息をついた。
「付喪神か。百年以上経っているな」
分かるのか。
私に魂があることが、分かるのか。
老鍛冶師は私の前に座り込んだ。
「主人を待っているのか」
待っている。
ずっと待っている。
「もう何十年も前に死んだ騎士の剣だろう。この辺りには古い戦場跡がある」
知っている。
あの人が最後に笑った場所だ。
老鍛冶師は枯れ草の上に腰を下ろして、しばらく私を眺めていた。
「楽にしてやろうか。溶かして、新しい形にしてやる。そうすれば意識も消える。苦しくなくなる」
いやだ。この形のまま、ここにいたい。
あの人が握った柄を、あの人が磨いた刃を、このままにしておきたい。
老鍛冶師は、しばらく黙っていた。
それから立ち上がって、私の錆を丁寧に拭いた。
油を塗り、蔦を取り除いてくれた。
久しぶりに、誰かに触れられた。
あの人の手とは違う。
でも、鍛冶師の手には道具への敬意があった。
「そうか。待ちたいなら、待てばいい。ただ、錆びて朽ちれば意識も消える。それでもいいのか」
構わない。
あの人がいない世界で、私が何になれるというのか。
新しい主人に使われる剣になりたいとは思わない。
私はあの人の剣だ。
それ以外の何にもなれない。
老鍛冶師は立ち上がり、一度だけ振り返った。
「お前は幸せな剣だよ。そこまで想われた主人も、きっと幸せだった」
そう言って、去っていった。
それからさらに時が流れた。
錆はまた広がり、刃はもう何も斬れないだろう。
柄の革は朽ち、鍔には苔が生えている。
でも私はまだここにいる。
あの人が突き立てた場所で、まっすぐ空を向いている。
時々、風が吹く。
あの人の手の温度に似た、暖かい風が。
その度に思う。
「もう少しだけ付き合ってくれ」
付き合うとも。
いつまでだって。
この身が錆びて崩れ落ちるその日まで。
これが命かどうかは分からない。
道具に宿った意識を、命と呼んでいいのかも分からない。
でも、あの人を想う気持ちがあるなら。
それはきっと、命だ。
私は剣だ。
あの人の剣だ。
それだけで、十分だ。




